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ピエスモンテ (じいヤンのよもやま話)
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 ようこそお越しくださいました。定期的に更新する日記ではありませんが、随時時間があるときに更新をさせていただきますので、お気軽にご笑覧ください。
 病んでいた時期よさようならとばかし、おかげさまで元気になったと同時に御礼奉公とばかりに、時間さえあれば深夜でも休日でも駆け回っています。
 年齢を重ねたせいでしょうか?顔つきや声の大きさからあの道筋の人と勘違いされる傾向は強いですが、間違ったことと出会わない限り、上野に来たパンダのごとくおとなしく愛らしい(苦笑)存在です。
 コメントやメッセージもお気軽にお寄せください。時間がかかることはありえますが、必ずお返事をお返しいたします。
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#693 新年度がはじまりました。

2016/04/04 05:23
ピエスモンテ(じいヤンのよもやま話)
#693<新年度がはじまりました>

このブログはmixiとbiglobeのリブログと連動で約12年間書き綴ってきたブログです。
カウントは1からでなく100からですから593回目となりますね。
さて、
「あっ!」という間に3/31と4/01の年度変更線を超えてしまい、実感できることは首都高速道路の料金でくらいだったかな?
私が以前に担当させていただいていた弊社の得意先のエレベータ会社も毎年年中行事のように<コスト3割カット>目標で価格表を出せと命令調。価格競争に勝つためとは言いながらも、具体的にどの部分で反映か?さえ提示がないというか<できない>というのが現状だ。

おそらく、社員の残業代の足しにでもという下請けの営業担当者らでの専らのお噂。

都内にあった製造拠点を千葉に一括移転で、月商1000万を軽く超えている下請けの代表格が中には移転先の工業団地に土地を買って同じように移転操業したり、お髭払いばかりされていた共栄会社のトップ3〜4社が軒並み倒産だった。

弊社は実力もそこそこだが、零細企業とはいえ今でも会社は存続できているだけでも幸せだと思う。

パソコンによる在庫管理などでガチガチに管理されているので、昔は手のひら程度の鋳物部品を3個紛失しちゃってと現場担当から泣きが入れば「次の納品のときに3個なら差し上げるので帳尻あわせておいたら?」という芸当ができたが今は一切アウトだ。

ここのところ、ロボット技術の快進撃でロボットを開発した人間がロボットに介護してもらう時代に突入しようとしているようだが、俯瞰して物事を捉えてみると、このまま人間の労働社会にロボットが進出を続けていくことで、今以上に人間の働く場が急激に減る時代も来るだろうと。

先日、連れの祐さんと中部地方凱旋の旅をしてきたが、その途中刃物技術で日本を代表する<岐阜県関市>の関刃物センターの田中社長とお話をさせていただくチャンスがあって、「吉川さん
関の刃物はもうおしまいですわ」とおっしゃった。

刃物職人さんもお若い方で70後半と聞く。
若い人が鋳物でいうと3K,4Kという職場を好まない傾向で新たに職人になる人がいないのだそうだ。
また、物を大事に使う時代は終わって、全てが使い捨ての時代だから、刃物本来の良ささえ理解してもらえないとも。

刃がこぼれたら研ぎ直して使う。その繰り返しで刃物のよさが出てくるのだそうだ。
料理でも夫婦共稼ぎで生活を支え合うことで精一杯だから食事もすぐにできるものに依存するから調理用具も売れないのだろう。専業主婦の方もクックパッドのような調理レシピを活用してお料理を楽しまれている人も少なくないが、僕が幼少の頃の台所事情とは違うし。

価格が原因なのか?
使うチャンスがないのか?と色々と分析してみるものの、日曜日のあるテレビのキー局で放送している若い娘さんに定番料理をつくらせる<やってtry(とーらい)>というコーナーでも「そこに卵をひとつ落とします」というと足元に生卵を落下させるというレベルだし。

日本人だからできた、生み出した技術というか職人技をお国はなぜ傾注しようとしないのか?
刃物技術は海外では日本製でないと使えないと大評判なのに。

鋳物の職人さんの世界も同じですよ。と。

それとも、
刃物研ぎロボットでも登場するのだろうか?

大企業はいま吸収合併などのように生き残りをかけて必死だ。
もっともっと日本人が日本の技術の結晶を求める必要があるのではないだろうか?
高いから、、、かな?

夏の参院選に向け安倍自民党が点数稼ぎで議席のことしか考えていないレベルまで政治家の世界も腐敗してしまった。

消費税云々よりも「どうしたら経済が活性化するか」だ。

いまのメディアを見ていても「醜い批判合戦」だけだ。
粗探しがそんなに面白いか!!と思うから僕は視覚に訴えるテレビジョンをほとんど見ないし、時間もないことと資源の問題からも新聞媒体も契約していない。

このようにペーパーレスの時代で、市内には書籍専門店がほぼなくなりつつある。新曲が出るとiTunesのようにインターネットで瞬時に自分の手元に配信される時代だからCDショップもなくなってきた。

弊社が製造しているエレベータのカゴを上下させるための滑車も時代は進み、低層のビルであるなら<水圧>で動くエレベータまで登場したり、ワイヤーロープでなく平ベルトで吊るすようなものまで登場してきている時代だ

仕事が増えるどころか受注を維持できることも難しい時代。

それを憂いていれば誰かが助けてくれるなら憂いてもいい
時代は日々刻々と変化しているのだから、今までこうだったから、、、の理論は成立するはずもなく、農家の皆さんが今まで補助金を交付されていたから今後ともよろしくではなく、自分の力でどうにか自立したいという情熱家の皆さんが手を携えあってブランド米を開発しようと頑張ったり。

もっともっとメディアも応援するべきだ
粗探しで売り上げが伸びればいい、、というのは<人の不幸で飯を食う>ようなものだ。良心はとがめないのか?と思う。

ベッキーにせよゲスにせよ、事実をスクープは良いとしてもまだどこかのメディアはベッキーに復帰はないというような人の人生をも勝手に蠕動するような記事をまだ書いている低レベル。

小保方さんもそうだし、国の代表である安倍さんのアベノミクスは失敗だと他国の専門家が暴露する始末。

<恥を知れ恥を!>と言いたい。

でも、
庶民の生活はまだ平和だと思う。
責めて次世代を担ってもらう子供達が新学期ということで胸をワクワクさせて入学や進級の準備をしている。

十分に恵まれていない子供達がいるのであるなら優しく温かい手を差し伸べることが<今でしょ>やるのはと思わないか?
ランドセルを匿名で届けるあの人にもメディアは「やめるべき」という記事も見たが、法律に抵触する行為なら別だがそうでないなら黙ってろよ!と言いたい。

そんなことを考えた朝でした。





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#691 おせっか医 お手伝いしましょう科 担当者として

2015/12/01 05:43


おはようさん。
昨日の記事の続編というわけではありませんが、父は私の弟に通院先の病院に連れて行ってもらったようです。

この文章の読者にドクターも数人おられるのであくまでもお医者さんゴッコの「おせっか医」の「支えましょう科」のコンシェルジュとして帰宅後の父のテーブルにあったミヤBM錠とアドナ錠。つまり昔からある「ミヤリサン」と毛細血管補強剤?というか、予定では私が引率するときに主治医が不在の通院先で院長に臨時で診ていただくわけですから、血便の写真から主訴の症状が出た時からのバイタルの経緯他の情報はある程度まとめてあったのですが、父の既往歴からも原因はわからぬとも「憩室炎」の再発による下血。歯痛との因果関係はわからないけれど、症状が増悪して全身症状になったら神経系統での症状のリンクはプロブレムリストに出してもいいかなと。

「要するに憩室炎の再発での出血とはいえ、血小板が健常者の半分しかない父ですから<どうにも止まらない>状況」と踏んだわけで。
呂律は回っていて振戦もなし。基礎バイタルデータも正常ということで何の根拠もないけれど、緊急性はないと思ったので日曜日の父の悪態で爆発した私は、鋳物部門の社長をしている弟にぶつけるように示唆してきた。

普通なら(自分が現役の時は)月末時は父の通院に付き合うほど暇ではなかった。1日の出荷になっている鋳物製品を検査と塗装、伝票処理と次の鉄の溶解行程に向けての工場内と外注先への発注の段取りで手一杯だった。
(零細企業は専務・工場長ともなれば、一人で最低3役はこなす技量も体力も必要だったからだ)
それが、危篤状態の父に付き添うのでなく、風邪をひいたから病院へのノリならば、時間は自ら創るものだが、弟には時間があったのだろう。
(つまり仕事が暇だという証拠。どんなに不況や需要が縮小傾向でも、私なら必死にアイデアを出して営業に出かけている。足かせをしても弟が頭を下げて得意先を回るということは考え難い)

そんな様々なことを思いながら・・・・。
もう一人のクランケである亡母の妹のいる松戸まで足を伸ばしてみた。独居老人で先般から足が痛いという症状にも病院に行かない、長男は教師夫婦で時間がないということで叔母の様子を見て見ぬ振りをしているし、次男も勤務シフトが不規則な警察官。
次男の嫁が自宅から90分運転して毎週欠かさず叔母の世話をしてくれている。
特に長男は自分の母がいつまでも元気だという想定しかできないから、2人の息子が手足口病になったと預かってと平気で78歳の母に預けて行く。母に伝染したらどうなるかも頭にない教務主任の長男と学年主任の嫁だ。

ところが、、、
携帯も自宅の電話も出ない。自宅に行っても応答なし。
外出中だと思えばいいのだが、歩くと痛いのと聞いていたし、さすがに痛くて次男の嫁と病院か?とも。

すきな和菓子と夜中2階から1階のトイレに降りてくるときに足元が危ないとセンサーライトを2個、いただいたピンクのスヌーピーのブランケットを玄関口に書き置きとともに置いて。
「あれ?玄関周辺のお花の土が完全に乾いちゃってる」

心配するときりがないものだ。
ホースでたっぷりと水をやって、、、帰ったが。

川口に戻り本業の手配等に飛び回っていた矢先に叔母から電話。
「整形外科?の大きな病院でかなり待たされて、、病院でお友達と出会ったから帰りに一緒にお茶を飲みましょうと」
「病院では携帯はダメだから、自宅に置いてきちゃったの」

どうして女性は携帯電話も重いからと何らかのこじつけをつけてでもバッグに入れたがらないのか?

次男の嫁からも「お母さん、電話は持っていかないといけない」って叱られたって。
叔母から血液検査の報告を受けたが、T-choもUAも問題ないというものの、T-Gつまり中性脂肪が高いと言われたと。
Glu(血糖値)の説明があったはずだが??で。

確かに太った叔母だが、僕の見立てでは浮腫の傾向と感じていて、GluもHbA1Cの値まで最近の先生は検体検査のオーダーを出してくれないようだが、自分のことからもA1Cは欲しい数字ですが。

足が痛い・太っている=歩くのが億劫。つまり食欲は旺盛だから、自宅の周りのお花に毎日水をやったり、ご近所さんの家にお呼ばれしたり、徒歩10分圏内のスーパーに買い物に行くのがせいぜいだが、このひと月はそれもできずにだった。
あまりに足が痛いということで、私と祐さんでお見舞い方々数回続けて訪問させてもらって状況を誘導しながら聞き出した。

足の太ももの裏側から膝にかけて痛いと。
部位からして「縫工筋」周辺と見て、自宅にあった「温湿布」を持ち込んで「おばちゃんね、一応女性だからズボンを下ろして下着のヘリから膝にかけて1〜2枚祐さんに温湿布を貼ってもらおうよ」と。
「雄規、おばちゃんは構わないから席を外さなくていいよ」

「いや、俺にも見たいものと見たくないものってあるよ(笑)」
(「若い女性なら率先して僕が貼るけれど・・」きみまろさん調子で)
痛みについては、かかりつけ医からいただいている服用薬を見せてもらった。
<頓服>としてロキソニン系の消炎鎮痛剤とムコスタ系の胃粘膜保護薬のおきまりの痛み止め。
(薬に頼らないことを美徳にしている典型的な健康人です)

極端いうと「頓服」の意味もわかっていない??
頓服は「お守り」と。

「雄規、バッファリンのような薬は飲むのよ」
(OTCともなっているロキソニンだが、バッファリンという薬だけ知っている世代。まさか生理痛のときに飲んだ以来、我慢は美徳とされているのだろうか?)

「おばちゃん、この頓服というお薬はこのような足の痛みの時にも飲んでいいんだよ」
「おばちゃんの病院の先生からいただいてきた薬だから安心して飲んでみようよ」と各1Tのませて。
「それからね、温湿布は余分に置いておくけれど、自分で患部に貼れなくとも大丈夫。5センチ四方までは患部を外れても効き目はあるからね」

「ご近所のマッサージで鍼灸は痛みが取れるまで通うのをやめておこうね。鍼灸治療は即効性が抜群で血流が急に良くなると逆に痛みも増すから」と。

私の父と違って時系列的な知識注入に対して混乱をきたす叔母ではないので、どうしても症状が改善しない時はね、かかりつけの内科でもいいから先生に診てもらうときのために、ここに先生にお伝えする自己カルテを書いておいたから保険証と診察券とこの紙を読んでいただくだけでいいからと。

それから叔母が病院に行ったのは1ヶ月後のことでした。(笑)

**ハイ!ここまでで間違いがあったら先生方のご教示をよろしくお願いします!***

日常の健康カルテを自分・祐さん・父・叔母。この4人のカルテを通院時に出すことができるように心得ておくことは意外と大変な仕事で。
一番おろそかになるのは自分のこと。
スマホの普及でBTから自分の基礎データは入力さえ手を抜かなければ、受診時にグラフにしてプリントアウト出来たり、病院のカルテ方向へのアカウントアドレスがあれば事前にデータをメーリングで送っておくこともできる時代。
北海道のある専門医が定期的もしくは必要に迫られた時にテレビ電話でカンファレンスをされているという実践例もあり、個人のiPhoneでもfacetimeというテレビ電話が無料でできる時代。skypeもそうだ。

高齢化社会で介護付き老人ホームに入れる人ばかりでなく、昨日の埼玉県深谷市で介護していた親娘が入水自殺という胸が痛くなるような事件があったりで、TPPや憲法改正よりも優先順位を置くべき問題がここにあると思うのだが。

在宅を希望されているお年寄りは多いはず。
東京都杉並区が伊豆方面だったか房総方面だったか?過疎化だけでなく、もう待機老人を収容する施設が作れないということで、区が「移住推進」を始めたという。
もちろん、良否ではなくお年寄りが済んだことのない町に腰をすえること自体が大きな負担になることを行政も理解すべきと思う。
介護離職という現実も踏まえないといけないが、在宅で異常時はモニタリングできるようなシステムは構築してゆくチャレンジも必要かと。

そのためにも医療従事者の待遇改善ともっと医療従事者の育成に力を入れたり、どうしても産婦人科のように医療事故らしきことがあると最近の人は自分の業を棚に上げて何かと言うと責任問題で提訴。

過失は徹底的に検証すべきだが、過失が起きやすい労働環境の改善ともっと言わせていただくと、所詮人間のことを人間が命を守るわけで、過失はいけないが助けようとしていても事故ということは人間だからゼロにしろという目標は良いとして、ゼロでない医療従事者を糾弾することは無理だということ。

救急要請して現場到着まで約8分という時代。救急車が来ても横断歩道を平気で歩いて渡るバカ、道を譲らないバカ運転手とか減る傾向にない。

自分の身内ならどけどけというような馬鹿者たちだろう。

AEDの使い方の普及推進に力を注がれている時代になったが、この8分で放置したら病院搬送までまた10分近くかかれば心肺停止のまま終わる。

誰であれ命は大事。
倒れていた人を見たら誰であれ助けるために救急隊が到着するまでにできることはすべて施したい。
ただ胸骨圧迫だけでなく、可能な限り同伴者がいれば事情を聴きメモでいいから救急隊に手渡すだけでも私は救命率アップに貢献できると思っている。

ERの先生たちはプロ中のプロでも、同時進行で疾病が何かを探りながら救命手段を瞬時に選択されている。
考えている余地もないかもしれない。
そんな時にいかに的確に瞬時に治療方針を立てられるように患者の日頃の情報はどんな些細なことであれ医師に伝えることで救命率にも貢献できると。

だから私の名刺には
サポートコンシェルジュという造語を掲げているわけです。
「あんな奴に手助けなんかしたくない、死んじまえ!」と思うほどの人もいるでしょうが、

<人として応援できるのに放置する勇気はあるのですか?>
人生、折り返しを過ぎた時期にはもう自分の両親はこの世にいない人も少なくないでしょう。

私も自慢の母を見送って20年弱にもなります。

私は<言霊>を信じています。それはなき親からのメッセージと捉えているからです。

輪廻転生、難しい言葉ですが、良いことをしていればいつか必ず自分に舞い戻ってくる。逆に悪いことをするといつか自分の同じ憂き目にあう。死んであの世に還った霊魂がこの世に何度も生まれ変わってくること。

先人の教えで良いことは現世にいる人間が引き継げ、悪いことをするとこうなるんだというように・・・。

バチが当たるという理性概念とも同じかな?

だから50を超えてからの私は貧乏暇なしの毎日。
悩みも不安も尽きないけれど、毎日同じような不安を思っていると現実になってしまうだろうし。

だから、フランスのテロ事件のように自分の主義主張を脅迫するように罪のない人を無差別に殺傷する奴らはいずれ同じような憂き目にあうだろうと。

目には目を・・で報復だと動いている国もあるが、フランス人?のある方のtwitterの発言が賞賛されているように、目には目をでは同じ土俵に立ったことになるわけで。

最愛の嫁さんが何の罪もなく殺傷された心境は計り知れない悲しみと怒りと不安だろう。思わず合掌だった。

さて、
今日から師走。

毎年のことだが、年末年始は拷問のように慌しい毎日になる。
現に今日からもう時間単位のスケジュール。
大晦日になると気が緩むせいかBPも200/120超えにもなる。

私が倒れたところで現実は誰も助けてくれない。
ツレもお正月だけはどうしても外せないところがあって。
(それなりに出来る範囲で精一杯のことはいつもしてくれているが)

だからこそ、私なりに自分のライフラインよろしくメディカルラインは確保してあるわけで。

一昨日に父に爆弾を落として、昨日の通院も拒否したのも、、
<いいか、俺は体を張って命がけで親父だけじゃない、ツレの祐さん、息子、叔母を守ってるんだ!つまらぬ単なる怠け病に付き合うほど暇じゃない!甘ったれるのもいい加減にしろ!>と。

祐さんが医科歯科大に入院中も、毎日通った後に同時期に加齢性白内障のOPEを受ける叔母を見舞うために御茶ノ水20時出発で松戸で22時、帰宅して23~24時に父の寝室を見舞って自宅入りが25時過ぎを2ヶ月。

6時には起床していつものように。掃除洗濯仕事と。
自分でも辛さは微塵もなかったが、よく体壊さずこなしたなと。
それでも父の口から「ありがとう」の労いはない。

明日は菩提寺の長男(副住職)リュウちゃんが「不安や心配があったらおいで」と誘った直後に「伺ってもいいですか?」と。
彼も年齢こそ違うが、跡取りとしては同じ。

可愛い息子のような存在で、少しでも彼の肩の力が抜けるようにと。

「おせっか医」「お手伝いしましょう科」の初診クランケだ。




美蜜病棟 叔母と看護婦と研修医 (フランス書院文庫)
フランス書院
尾崎 嶺

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#690 批判の世から認め合う世にしようよ。

2015/11/29 05:22

おはようさん。
昨日は私のアップ記事にカリカチュアジャパンの皆さんからたくさんの「いいね」をいただきました。ありがとうございました。

決してお世辞ではなく、心からそう思った、感動した、幸せな気分になった・・という気持ちで書かせていただきましたが、これからの時代はメディア以上に個人発信のSNSがこれだけ普及している時代では、自分が応援させていただきたいと思っているお会社やお店を盛り上げたいという気持ちやそれぞれの会社や店舗からも発信するSNSからの情報が大きな追い風になると思っています。

SNSも紙一重で凶器や武器にもなりますが、あの店はここが良くないという記事よりも、ここが素敵ですよ〜というPOSITIVEな発信の方が説得力が違うものです。もちろん反省すべきことは反省し次に繋げて行く姿勢は必要ですが、批判している人は批判だけで気がすむというレベル。私はどんな世界でもそうですが<批判することも自由発想ではあるものの、批判する資格を得るには「それに対する代替案」も同時に提示することができないと説得力に差がでてくる>ということ。

大人から子供まで、誰だって褒められたい、認められたいという1次欲求はある。褒められれば自信につながる。やる気になれる「やるきスイッチ」を必ず持っているものです。
ヨーロッパの方でテロ事件。他でも領空戦犯だなんだと人の命をなんだと思っているのか!と言いたくなるような事件だらけ。

フランスのパリのテロ事件で追悼の思いを込めてトリコロールのライティングをした東京スカイツリーや東京タワー。個人レベルでもFBのプロフィールにトリコロールを重ねている運動?に私も純粋な気持ちでしばらくの間使わせていただこうとしていますが、使用開始直後にFBがトリコロールプロフの運動を拡散しているとか批判の嵐?
評論家が多すぎる。

イスラムの一部の人たちが何であのようなことをするのか?
何を画策しているのか?

メディアリテラシーの必要性については何度となく書かせていただいているが、そのテロ事件の背景についても概ねニュースとしては把握できていると思っているものの、テレビ局によっては報道の手法が異なっている?思想面での違い?から、視聴者によっては受け止め方が違っても不思議ではない。
私も昭和33年生ですから、テレビというメディアが普及され始めた時代に育ったわけで、ニュースというとテレビやラジオ、新聞でしか知るものはなかったので、メディアからの情報は絶対的なものだった。

   メディアからの情報=正しい「事実」情報 というわけ。

今でも<事実は1つ>ということは変わりないが、前後左右4方面から見る富士山の様子が違うように、テレビのチャンネルによって違う視界からの情報はそれぞれ異なることも当然と言えば当然で。テレビで言うと受信料を支払っている「NHK」は中立的な存在で情報発信するのが義務であるのに、今の政権はその自由報道、中立的な報道にも介入してきている・・・という「事実」。

国民を蠕動しているという捉え方も容易にできるとならば由々しき問題にもなる。
いずれにせよ、
国家であれ「褒める」というよりも「重箱の隅をつつくような批判合戦」だ。それに罰則や風評を動かすような国会議員までいる。
なんで、批判よりも認知とか賞賛というされたら誰でも心地よい気持ちになれるような発信や考え方ができないの?と言いたい。


最近は「子供を叱らないしつけ」が流行のようだ。
これも、一部と思いたいが単純に子供が悪さをしても注意しないのが美徳だと大きな勘違いをしている。

私は例え話ですが「紙に大きな円を書いて好きな色に綺麗に色鉛筆で塗りつぶしてみてください」と出題?するのですが、円を綺麗に書くということが目的でなく、ゆがんでいても円になればいいと。
<問題はどのようにして円の輪郭からはみ出ないように色で塗りつぶせるか?>ということ。
*輪郭を太く描く。
*どこからでも気ままに出なく輪郭に沿った部分を先に塗ることで、はみ出ないという認識が生まれるから、多少雑に塗っても輪郭からはみ出ない。
<はみ出さないように輪郭をがっちりと決めておくこと>
・・・これが子供へのしつけです。

家族で電車に乗ってTDLにでも行こうとしましょうか。
(1)ある家族は子供に何も言わず電車に乗る。
(2)ある家族は子供に「電車の中はお家ではないからね、いろいろな人と一緒に乗るから電車に乗ったら静かにしようね」と叱るのではなく普段の会話の延長のように話してから乗る。
どのような違いが出るでしょうか?
(1)の子供が電車内で大きな声を出したり、ゲーミに夢中になって人とぶつかったりとなれば「静かにしなさい!おじさん達に叱られるでしょ?」とまた違った解釈で叱る親も少なくないのでは?でも、「叱らないしつけ」を美徳としているので放任。下手すると親もスマホでゲームに夢中ということも。
(2)こちらはどうでしょう? 事前に話し合いができているということは、必然的に円の輪郭をがっちりと定められているわけですから、子供なりに考えていい子で電車内を過ごせるかもしれません。
そしてTDLの最寄り駅までいい子で過ごせたら「えらかったね〜」と褒めること(認めてあげる)ことで、子供の心に「電車内ではこうすることがいいことなんだ」という自意識・自己規範が自然と形成される。

つまり、
<叱らないしつけ=叱る必要がないしつけ>という公式を親御さんがどれだけ理解できているかです。
そのためにはまずは「認めてあげること」「褒めてあげること」がとっても重要なポイントになるわけで。
SNSをいかにpositiveに使うか?

あのお店でこんな嬉しい体験ができました!と誰もが幸せな気分になれる投稿をしましょうよ。
人の粗探し、マイナス面の指摘と批判というものを「➖」とするのなら、それを払拭して「➕」にチェンジするには、➖を垂直に一本の棒で断ち切るから➕という記号ができるわけだから。

毎朝目が覚めたら新たな一日が始まるというワクワク感をいつも感じられるような人生を送りたいなと思うこの頃です。
タケさんのブログは難題ばかりと批判の嵐かな??

でも、実行できる簡単な方法はさ、
「人にやられて気持ちいいことを人にすればいいこと」
「逆に、人からされたら嫌だなあと思うことは人にはやらない」
たったこれだけのこと。


昨日の晩は、父のところで父に「さつちゃんに描いてもらった超ファンキーなカリカチュアを見せた時の表情」をさつに送るという約束で見せに行きながら祐さんと3人で歓談。
目が点になっていました。(笑)
不思議ですが、描かれた表情を人は真似したくなるようです。
今日は町会の敬老会の忘年会。
父より3歳年上の町会顧問のハマさんご夫妻もいつものようにご自宅に送迎させていただき参加。
「お〜い、明日は何時に起きればいいんだ?」
  ゆう「10時にお父さんを起こしに行きますよ」
「で?」
  タケ「着替えたら10時45分ご出棺になります(笑)」
「わかった」・・・とわけわからないけれど。

年老いてくると、「俺はもう死ぬんだから」という言葉は男女問わず必ず出てくるキーワード。
あと少ししか人生は残っていないと弱気になる。
だからこそ、僕は逆手にとって「漆黒ブラックジョーク」で笑わせる。
「会場は何階だっけ?」
  タケ「収骨室は2階を予定しております」って。
愛車のスライドドアを閉める時も「蓋を閉じさせていただきます」と調子に乗りすぎの感もあるっていえばあるけれど。


人間の死に対する感覚についてのお話は明日のこころだぁ・・と
故小沢昭一先生の言い回しを使わせていただくことにして。

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#689<徳永英明concert tour2015 VOCALIST&SONGS3 >

2015/11/15 14:55
#688<徳永英明concert tour2015 VOCALIST&SONGS3 in 東京国際フォーラム>
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昨日は以前から決めていた「徳永英明さん」のコンサートツアーを聴きに久しぶりに東京国際フォーラムに。

実は<タケさんの多忙な週末>に輪をかけたような週末のプロローグは木曜日あたりから幕が開き、エピローグの前のアンコールがえらい長期に伸びるもんだから、エピローグとプロローグが混戦状態で日付の感覚も曜日の感覚も麻痺。
「サンデー毎日」の真逆な人生を遅らせていただいております。
(笑)

つーわけで、昨日は午前中に父の定期通院日ということで、朝一番から起きていて髭剃りをしている時に携帯電話も補聴器も持たずに洗面所でシェービングだから2階の自宅から1階の実家に電話して父を起こそうにも電話でない=寝ているという解釈で、風邪っぴきの私が目を覚まそうとしているのに実家まで降りて行き起きて〜と言ったら髭剃りをしている父。
(この玄関出て玄関への10秒ほどの移動が結構負担になるわけで)
車を用意して自己カルテを持ち、、、と運転士と介助担当と全て兼任で病院へ。(ツレがまだ服などを見てくれるので助かるが)
父もなぜか祐さん相手だとご機嫌でテキパキ動くのにね、息子だと動かないのはなぜ?)

病院でインフルエンザの予防接種を受けて処方箋薬局と久しぶりにパンやさんに「初めてのお買い物シリーズ」を。
(娘とパン屋デートがご機嫌で)
菩提寺にも寄り、今日の監査会の本堂内の介助を副住職に改めてお願いして。
昼食を実家で食べてさあ、コンサートモードに。

15時開場16時開演と祐さんから聞いていたのだったが、「ごめん、16時の17時だった」と。こりゃうっかり八兵衛だ!ぢゃない󾭗。
2時間のロスタイムをどうするか?
例によって鳩ヶ谷のムサシ君に会いに行き、外の犬小屋で爆睡中でも僕の顔見ると「うんち」と。
すぐに大量のものを産み犬小屋に。
(この時点で体調に異変を感じていた自分。父の主治医が風をひきましたとのことだから、いただいてしまったかと。強い悪寒と倦怠感と熱・・まずい)

珍しいことだが、高いチケットでツレに誘ってもらっているのだからということもあって、コンサートの時は普段と同じようにコンサートモードで多少の異変はもろともせずだったが、昨日は息子と一緒に行くのもいいんじゃないかと弱音を。
昼食もやっとの思いで食べた。
まだ時間があったので、処方箋薬を飲みに自宅に戻って仕切り直し!

東京国際フォーラムに着いたのは16:10だった。

相田先生の美術館のSHOPに立ち寄ってから会場入り。
徳永さんのコンサートに通い始めたのは、VOCALISTシリーズの走りの時からだったから、毎回、川口リリアと国際フォーラムの2回聴きに行っているが、カメラが入っているいないで徳永さんのテンションの違いは明白で。
昨日もフォーラム最終日にWOWOWが入るので、サブの音源収録がいるとのこと。

どおりでいつもの国際フォーラムの音響がきつすぎていたと感じた。1階の30〜40列で持っていた水のペットボトルまでバス音がきついのでボトルを持っている手が震えたほどだった。
国際フォーラムの音響は天下一と思われる音響設備は知っていたものの、なぜか昨日は音が割れているようにも思えるほどの大音量だったような。

曲によって立ち上がって一緒になってリズムをとるのは楽しいものだが(最初は恥ずかしいのとミーハーにはなりたくないと)
でも、昨日は徳永さんがなぜか何度も「座っていいよ」と連呼されていたように、曲が終わったら座ってほしいものだ。
それは、同じ金額のチケットを買っている以上、座ってステージを見たいとか、足腰が痛くて立てない人も当然来場しているからだ。

エンディングで陶酔した女性が突然目立つこともわからず、センターの席で一人立ち上がってステージに見入っていたけれど、決して笑って見過ごせる場面ではないよね。
おまけに、大学の合唱団のステージでも教室で授業をするときも、死角と思われるところほど実はよく見えてしまうもので、フォーラムも同じだと。

川口リリアの1階席で僕だけたまたま赤いシャツを着て行ったら、徳永さんがMCで「男性の赤いシャツもいいね」と言われて周りを見回してみたら僕だけだったし。

来年はデビュー30周年と聞きましたが、僕も徳永さんがもやもや病?に打ち勝ってNHKの紅白歌合戦に黒のシャツに赤い花をつけて復帰された直前からずっと聴かせていただいているから、壊れかけのラジオ・輝きながら・風のエオリアをよく耳にしたのが1988年長男誕生の夏で、パナソニックのエオリアというエアコンのCMで岸部一徳さんが「取り替えるならインバータ」とテレビを賑わせていた時からだから、27年。ほぼ徳永さんとはおつきあいさせていただいてきたことになる。

僕もその頃から心を患って闘病中で、今徳永さんと同じように<輝きながら>の人生だけに、たくさんのファンの皆さんとは一味違った側面で徳永さんと一緒に歩ませていただいている。
「頑張ってほしいなあ」と。

ステージの余韻覚めやらず、会場の出口に向かったらたまたまトイレに徳永さんの弟さんを発見!
出てきたところで「お久しぶりです、川口のリリアで2度ほどお話しさせていただいて以来です」とご挨拶。
祐さんは川口リリアのように写真を希望していたが、それこそ失礼だからと。
川口リリアでも僕がたまたま弟さんを発見して写真撮影に応じてくださったことから、翌年もホール内で再会。今回3回目。
背の高いイケメンで、メガネをかけられるとお兄ちゃんにそっくりでした。

そんなこんなで・・・。

昨日の晩はツレが里帰りということもあって独身貴族状態。
なんやかんやで就寝は朝4時だった。

今朝は雨でも「川口市全市一斉のクリーンタウン作戦」という美化活動の日。
ハイムのパパさんのデビュー戦で、僕は理由があって裏手に回ってパパさんが気持ち良く参加できるように根回し。
これから父を菩提寺の檀家総代長として「監査会」に連れて行くことに。解放されるのは16時すぎだろうなあ。

ツレが不在の時に浮気、、、違う!!(笑)できなかった片付けやお花の手入れをと思うが、まだ風邪っぴきの後遺症が続く・・だもの。落ち込むなあ・・・。
 
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#688 役僧コマちゃんの研修旅行と・・・

2015/11/13 08:36
おはようさん。
昨日は冬晴れの気持ちの良い天気でしたね〜。風邪の治りかけで十分に睡眠をとらせていただいた早朝4時起きで久しぶりに「読書」を愉しんだ。

  北野武 著 「全思考」

生死に対する考え、教育と人間関係他の視点から現代社会の腐蝕をズバッと斬りこむ一冊です。どうも読書は遅いペースになってしまうのは、キーワード、押さえたい点等にラインを引いたり鉛筆で書き込んだり、時にはノートに要旨を書き留めたりするものですから100ページを3時間かけて読みます。
(だから僕は図書館で借りられないし、中古本が最適なのです)

ツレの祐さんはほとんど快癒に近い状態だったので、里に置いてあるというものを取りに行ったり会社の通帳を繰り越したりという仕事があるというので都心方面に車を出した。

出足が遅かったので用足し完了が正午。
なぜか都心方面の天気が曇りがちで、半日のミニトリップに「華厳の滝」へ行こうと誘った。
華厳の滝と言っても「日光」ではない。
埼玉県人として押さえておきたい<秩父の華厳の滝>だ。
最近、道路事情が良くなって(確か土屋義彦前知事の時からだったか)土屋知事の時に埼玉県の県庁まで県内から1時間ほどでアクセスできる道路整備をされたので、東京外郭環状道路(東京外環)が大泉〜三郷南で同時開通という僕にとっては偉業と捉えているのですが、以降で上田知事に継承されてきたからか、首都圏中央連絡道路(圏央道)も県内は10/31に全線開通というように、川口から秩父というと芦ヶ久保方向から正丸峠経由で国道299号で行くか、関越道で花園ICから国道で寄居方向を経由したルートで秩父鉄道線沿いをひたすら走るしかなかったが、ショートカットの「皆野寄居有料道路」が釜伏山を横切る形で開通したようですから川口元郷からだと2時間ほどだろう。

秩父から逆戻りして東松山から加須方向に向かって、久しぶりに親友で店長をしている紳士服のAOKIの加須店に立ち寄り、今祐さん交えて「新しい量販店での経営戦略」の一つとして個人的に動いている<SNSを活用した顧客をお迎えする手法>について話し合ってきたいなと。(平日のデータイムはお店の閑散時間があるので)

ご縁というのは不思議なもので、加須店がある加須市北小浜という場所はちょうど加須市立昭和中学校の目の前。125号(旧道)沿いだが、ここは僕の高校時代の同級生の自宅が旧騎西町にあって、免許を取り立ての頃に加須ICからここは頻繁に通ったところ。おまけに川口の菩提寺である錫杖寺の役僧であるコマちゃんのご自宅のお寺さんも加須ICからAOKIまでの途中のロケーション。

ご縁は不思議だ。

昨日はちょうどコマちゃんが13日一番に錫杖寺の真言宗智山派の総本山である京都智積院に10日ほど研修に行くところでしたから、ご自宅に寄らせていただき激励して帰る予定を組んでいたのだが、都心の段階で天気が良くないこともあり、秩父華厳の滝行きは断念し、都内で昼食を取ってから加須に直行した。

コマちゃんとアポイントを取ろうとしたら、コマちゃんから「入院中の父が急変して病院に家族が呼ばれてきています」と。
彼の父上は消化器全般が患っておられ、痛みを伴わないから糖尿病を悪化させてしまい治癒目的で入院ということでしたが、足の浮腫と発熱ということで主治医から呼ばれたらしい。

「タケさん、命に別条はないとのことですから」というものの、一過性の増悪状態であることは間違いないので、個人的に研修を今回は中止させていただいても父上のそばにいてあげたら?と彼に提案したのだが、2人ペアでの修行なので私が休むと相手にご迷惑がかかると30代半ばの彼は本当に律儀で。

ご自分の家のお寺のことは弟さんが守ってくれるとのことで、多分今頃は東武線に乗って久喜駅に向かっている時間と思うが、「僕と祐さんでできることは喜んでお手伝いさせていただくからね」と念を押して。

昨日は、帰宅してから菩提寺の住職の長男のリュウちゃんにまずオフレコでコマちゃんのことを伝え、役僧のお父様和尚さんと先輩のイナさんにも。ご住職は多忙でしょうからリュウちゃん、コマちゃんの分をカバーしてあげてと頼んだ。

リュウちゃんも公私ともに忙しい副住職ですから社務所の仕事を担ってもらうのもハードルが高いと思っていたのだけれど、これからは住職である父上の時代でなくリュウちゃんの時代だから、応援は必死でさせていただくから力を貸してねと頼んだところ、「ハイ!わかりました」と気持ちのよいレスポンスをくれたことが異常に嬉しくなって・・・。

僕は父が檀家総代長であるということ以外は檀家の次世代の人間の一人という一般人だが、83歳の足腰だけが弱った父が菩提寺は子供さんたちが気軽に立ち寄ってくれる場所にしないとと「種」をまいてきたことを役僧の皆さんやボランティアでお寺さんを支えてくださっている皆さんとともに行事のアシストはもちろん、日頃からお寺さんの掃除などまで懸命に汗をかいてきてくださっている中で僕らも時間が許せる範囲で一緒に参加させていただいてきた。

ご住職と奥様は少しだけ?お考えが違うようで、若いみなさんが気持ち良くお寺を支えてくれていることに労いの言葉もなく、リュウちゃんも間に挟まれた格好で悩んでいたという姿は僕も良く理解していて、、、

「これからはリュウちゃんの時代だよ」
「リュウちゃんと同世代の皆さんが大半でお寺を盛り上げ、守ってくださっていることをきちんと受け止めて、決して副住職という立場を嵩にきてではなくてね、<実るほど頭を垂れる稲穂かな>の気持ちで社務所の仕事もわからないことはわからないので教えて下さいと頼む勇気を持って一緒に仕事をすることで、リュウちゃんの人徳も助けてくれてきっと立場を問わない若者の輪が大きくなっていくからね」

「不安なことや心細いことは親父の世代である僕が水面下で動くから」と。

初めは僕はリュウちゃんに人生の先輩として苦言を呈した。
彼はその時もすぐに「わかりました」と気持ちのよいメールをくれただけでなく、翌日の写仏会の閉会後から会場の後始末を率先してやってくれたと役僧さんから伺った。

<彼ならできる!>と確信した瞬間だった。

今回も社務の重要なことまで熟知して勤めてくれているコマちゃんの長期間の出張と父上のことを含めて容体が安定するまでコマちゃんの代役を率先してやってあげようねと励ましたことにも「ハイ!わかりました」と。

副住職の仕事は役僧には理解しきれない大変なことも少なくないはずだが、僕も教師時代から畑違いの理科系の鋳物工場の専務として28年間務めてきたが、最初は対外的な動きはどうにでもなったものの、鋳物の図面挽きから型の作り方、鉄の溶かし方、湯入れ、肩バラシなど子供の頃から形骸化した表面部分は理解していても詳細なノウハウはゼロに等しかった。30代前半。まさにリュウちゃんやコマちゃんの世代だ。

しかし、
鋳物屋の専務という肩書きは零細企業では次期社長でもあるから、わからないでは済まされない。でも30歳のボンボンが当時還暦前後の職人さんに聞くことはハードルが高かったし、父も30歳年上の還暦前後で、「親父がいるから俺はまだ頼っちゃえばいい」という甘い汁をすすっていた。

父の衰えを肌で感じたのが40歳父は70歳だった。
それからスイッチが入り「これからは俺が父を支えていかないといけない」と、人がやりたくないことをまず先に手をつけた。
リュウちゃんにも話したが、自分の仕事も夕方までに仕上げないといけないことがほとんどであっても、現場で僕に声がかかれば自分の仕事を最後にしてでも職人さんとの仕事を最優先にする生活を僕は記憶しているだけでも8年間続けた。

「自分のデスクワークは夜にやりなさい」

僕は56歳の終わり、リュウちゃんはたぶん33歳。
20年の年齢差はあっても、鋳物工場と寺院の後継者であることは間違いないことですから、彼にはドストライクで心に響いてくれたのだろう。

<今更、勤め僧侶に聞けないよ>という気持ちはない方が不自然だ。でも、僕からも頼んでおくからね、勇気を出して「わからないので教えて下さい」と頭をさげる勇気を持つんだと。

リュウちゃんは動いてくれている。
その度に、直接だったりメールだったり、僕は正直に「リュウちゃん、頑張ってくれたんだね、ありがとう。嬉しかったよ」と必ず労う。

昨日もメールで冗談まじりの文章が送られてきた。

「僕はたまたま檀家総代長の息子だけどね、お寺さんにお参りさせていただく時は一檀家に過ぎないのだからね」

今日はコマちゃんの留守番初日。
9時になったらお寺さんにお参りに行きながら笑いを振りまいてこようと思う。

写真は昨日の首都高速中央環状線の江北JCT手前の荒川にかかる「五色桜大橋」と東北道久喜IC手前の空模様。
五色桜大橋のライティングは首都高速で初の通行車両から起きる振動を電気エネルギーに変換した電力で点灯されている場所です。

日本人らしい発想がカタチになったものですね。

菩提寺も、
住職と支えてくださっている全ての次世代のみんなを中心とした「輪」を作って少しづつでいいから広げて強い絆を形成していくことが、今社会問題になっている「寺院崩壊」「寺院離れ」を抑えていく、菩提寺を隆盛させていく近道と信じて<お節介タケさん参上!>とばかりに時間を工面してお手伝いさせていただいているのですが。

「楽しく愉快な人生を送れるようになった人や場所には不幸は来ない!」と信じているのです。

タケ!
風邪をこじらせてる暇はね〜ぞ!と言われそう。(汗)

「リュウちゃん!頼む!力を貸してね」

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#687 久しぶりのピエスモンテ(夏以来ですね)

2015/11/11 03:46

おはようさん。
昨日はツレが朝から喉が痛いというので薬をベッドまで持ち込んで飲ませてから「熱が出ていなくとも喉の痛みと倦怠感が出ているのなら今日はのんびりと寝ていなさい」とお昼手前まで寝かせて、自分はデスクワーク。
昼にクリーニングと郵便局に用事があると乗せて行き、僕は鳩ヶ谷のムサシの散歩に。どうも薬局の仕事は思いの外大変なお仕事で、ワンコのお散歩まで時間が割けない状況を熟知しているので、昼間であれ深夜であれお母さんの許可を頂き、行かれる時はムーちゃんのお散歩(うんち)に連れて行ってあげている。旅行の時も一番懐いている僕と祐さんがお留守番役をかってでる。
昼食に「長崎ちゃんぽん リンガーハット」に。
こちらは開店してからもう30年。当時学生時代の僕は風邪をひくと必ずここで野菜たっぷりのちゃんぽんを頂いてきた。

店長から責任者、スタッフまでここでも顔なじみ。
食傷気味という祐さんでも、野菜たっぷりちゃんぽんと餃子5個をペロリ。
そのあと、菩提寺の錫杖寺に12日から先日僕らも表敬参拝させていただいた総本山京都智積院に出張する駒井僧侶の激励に。
住職の嫁さんに「これ良かったらお持ちなさい」とラ・フランス2個。
もちろん嫁さんは無意識でしょうが、へそ曲がりの僕は「洋ナシ2個」つまり我々2人用はない!かと心で苦笑い。(人に洋ナシをおすそ分けは注意)

で、本題。
錫杖寺の脇の門扉に地元町会の掲示がよくしてあるのだが、「11/15(日)は川口市恒例の<全市一斉クリーンタウン作戦>の日」だ。
僕も町会の副衛生部長時代は広報部長も総務部長も兼務でしたから、一人でも多くのみなさんのご参加をと車にスピーカーを積んで町内を巡回したりしたものだった。

本町2丁目さんも実に広報が徹底されていて町会のHPも充実ですから、このような掲示物はお手の物だ。

で、私の元郷一丁目西町会。
回覧板には数行だけこのイベントの告知はあった。が、私とタッグを組んだ現衛生部長のマキさんは私が副衛生部長もトラックの提供も一切手を引かせてもらってからも「吉川さん、来てくれる人は出てくるしくれない人は来ないのだから」が口癖で、申し訳ないが「努力」という文字を知らない。

私がいつも口癖になっている現町会の執行部は70代後半の老害役員で占拠されているから(だから私は班長以外の役職をお返ししたわけで)あれだけの若い皆さんやお子さんが熱心に参加し始めた「芽」が育つはずもなく毎月の資源回収や芝川公園清掃の参加者も「高齢の常連さんたちだけ」で運営している格好に。

だから私と祐さんが思いついたものが「資源回収朝カフェ」で。
班長として自分が作ったハイム班のお子さんとファミリーに声をかけて「自分たちが出した資源ごみを町会の有志の皆さんに回収していただくのですから、せめてゴミステーションの中から分別して外に出しましょう!」という新しい参加の形をハイムで作って3年。
子供達にはジュースを、大人たちには暑い時はキンキンに冷えた麦茶を冬は挽いたコーヒーを飲んでいただいている朝カフェだ。

お引越しされる以前は10名以上が集まって・・・
「慣れてきたから今度は隣の公園のお掃除にも参加しようか?」と。

このように、
どんなことでも良いので、きっかけを作ってあげる工夫が町内会には不可欠なのだが、高齢者の老害となるとそんな意欲もないようで。

去年のように6町会合同の防災訓練をある小さな町会の力ある人が全市一斉のイベントにぶつけたものだから町会として一斉のクリーン作戦の参加者は役員4名だけだったようで。
(これも、その町会の衛生部?の方が町会長でもないのに「うちの町会は川口市のイベントには興味がないですから」とおっしゃったという噂だ)

どこにでもいる「困ったチャン」ですが、要するに地元の行政で決めて実施しようとするのなら「広報活動」は不可欠で。
<今さえよければそれでいい>では将来はない。

僕は自分が部長職を拝命した時から「自分の次の部長探し」を同時にスタートさせてきたから、私はつなぎ役として1〜2年だけお受けしますという条件で受けたわけで。

町会の部長以上の職務を追う人間は会社の管理職ではない。だからこそ、人の2倍も3倍も動いてナンボの立場であることが全く理解できていない。
私が総務部長をお引き受けするときに、お世話になった町会顧問に(一人は申し訳ない、私の実父ですが)「お願いがあります。恥を承知で町会をぶっ壊してください」と頼んだほど。

乱暴な提案だったが、不肖、私の4役掛け持ちで女町会長から部長職を依頼されたときに腹を決めて「旧態以前のお世話になっている町会を一旦解体してでも立て直そうというくらいの意気込みはあった」わけで。

期待していた現職の町会長も金物屋の社長だがほぼ同世代であれども考え方は70代と同じであることに落胆。

私のところに集まってくださっている皆さんの声は、不満のデパートですから、「もう一年間は充電期間でね、翌々の年度は心新たに老害を追放してでも総力戦で立て直すために立ち上がる年にしないと、単なる愚痴親父や愚痴婆さんになってしまうし、単なる老害とレベルが同じということなんだよ」と。
立ち上がれないなら「一切愚痴は言わない!」と決意しないとと。

自分の隣人との連携ができれば、有給の仕事ではないから苦労するだけ損なのだが、地域自治力の隆盛というテーマで連携を作らないと何かの時の自治もないという無法地帯になるから言っているわけで。

それを実現するのにはまず、恒例行事のことを皆さんに周知徹底し、参加していただくという地道の努力が必要だ。

私利私欲・独裁体制・公私混同。
中学の国語の漢字テストじゃないのだからさ。今でも周辺の町内会からは冷ややかな視線が痛いほどなんだし。

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#686 旧盆を終えて今年の夏に想うこと

2015/08/25 08:25

おはようさん。
旧盆も終わり夏の酷暑も一段落(もう一度あると思う)で、今までは周囲に「体調大丈夫?」と心配する余裕があったものの、旧盆期間を中心にツレが里帰り(退院後まとまった期間里帰りできなかったので)で久しぶりに「独身体制というか独居体制に戻った」ことで、この年の初めからの臨戦体制によって鈍ってしまった自分一人で動く、極端に言うと「一人で仕事・家事・介護」をしてきた生活リズムを取り戻そうと踏ん張ってみた。
自分が惚れた女性と結婚したものの、前妻の母上が挙式寸前に事故死という大きな出来事も妻はかなりの痛手を受けて(当然です)から新婚時期もいわば喪中のような生活で、妻の実家に父上を独居という形になったこともあり我々もそれを考えつつ新婚時代をスタートしたものの結果的に前妻の心の溝は埋められずということから離婚。
(惚れた女性と結ばれてもこのような結果になることもある)

それ以来、息子を引き受けた人生で正直自分も前妻の影響を受けたような心の疾患と闘病すること10年強。辛かった人生だったなあと。
こんな性分だからこそ、子どもを一人前にするまではと自分に言い聞かせ、このまま心の疾患が治癒するだろうかという心配と苦悩、仕事も当時の父は今の私の年代だったろうが、本業の鋳物屋の後継育成ということでなぜか私には仕事上の業務命令も正直かなり無茶苦茶に投げてきた父だったので「一人で一遍にそれだけの仕事や作業をぶつけてもタコじゃあないのだから無理だろよ󾭗」とよく不満を言っていたものだ。

早出?をして得意先(成田)に鋳物を積み込んで2トン車で高速利用で3時間弱を往復し、得意先には納品作業だけでも1時間。正直、自律神経をボロボロにした精神疾患の患者にはこれだけでも相当な精神的負担を強いられるのだが、父にも「得意先に行くのなら1日かけてでも<営業>してこい」という自分がやったことのない課題をなぜか長男には平気で課すような父だったので、正直心の病というのは<強迫性障害>という<潔癖性を中心とした周囲からの悪い意味での脅迫を常に向けられている>という病気だったので、車の運転だけでもゴツンというような缶飲料を潰した音を運転中に聞いただけでも「人を轢いた?」という脅迫感で恐ろしくなってその現場まで戻って確かめるといった状況だったが、得意先の工場も50m以上の長さの工場棟が3棟あるので、正直巡回することは拷問に近い。

でも、そんな心配で営業どころではなくてもある時期から朝一番に成田に到着して半日得意先で営業と時間つぶしのあと15時には帰社。特に唯一の武勇伝である<関西淡路大震災>の対応には、朝4時に川口を出て7時半には得意先に入ってラジオ体操も一緒にできるような時に「専務、早いね」と言われつつ、購買部の商談コーナーに15時まで当時デカめの携帯電話持参で占拠。エレベータ製造の仕事ですから隣の会議室に設置された<災害対策本部>には工場長からのお偉方が集結。通常100個単位の細かい鋳物部品も400個というサイズで「専務、すぐ手配できる?」と尋ねられてもそこに私がいるのだから直接協力会社に電話を入れて製造手配ができた。同業他社の注文分であれ「専務できる?」と今から考えれば「競合の他社の取引を当社に向ける」こともできたが、そこは貪欲というよりも受注スパンが4倍にも膨れて納期待ったなしであうから<自分の頭のハエを追うこと>優先の方針を決めた営業をさせてもらった。

これを丸一週間続けたことを得意先の年次表彰に認められ<社長特別賞>という部門にない表彰を取引先の代表が一度に会する会場でお得意先の雲上人である社長から直々に頂いた。
当時から目立つキャラでしたから、同業他社・異業他社から得意先の資材部・品質管理部ほかの職員の皆さんのほとんどから「専務よかったね〜」と大喝采を頂戴した。

多分、当社の歴史上に残ることだったろう。
もちろんですが、その表彰状のコピーと手土産を買って、当社の協力会社の社長に「皆さんのおかげでこのような賞をいただいてきました。御社の皆さんのご協力のおかげです。ありがとうございました」と。

そのころからかなあ・・・・自分の人生の行き方を確定し始めたのは・・・。
一時、(この受賞の後だったか?前だったか記憶が不明ですが)そんな父からの無茶振りと息子はまだ中学生?小学生?の時期に、母はもうとうに闘病の末逝去し、自分の闘病中の応援は弟夫婦にも助けてもらったものの、この性分ですから自分は1日も早くどうにか立ち直らねばと四面楚歌の状況にしながらも悪戦苦悩?

自分の心の拠り所のはずだった前妻には裏切られた気分で、闘病中の母には愚痴れず、心の師匠でもあった祖母が唯一のはけ口だったが、祖母からの人生のアドバイスもこれ以上のものはないというほど暖かく、反面で厳しいものでしたので、「ばあちゃんに泣き顔は見せられない」と自責の気持ちだったのだろう。

頂いていた睡眠導入剤や安定剤をたらふく服用して自殺企図をおこしたこともあった。
そんな繰り返しで少し入院することで気持ちの沈静化を図ったほうがいいということで、家族に仕事と息子を託して半年強の入院をさせてもらった。
(自営だからできたことと感謝しています)

入院中も急性期の症状の時はどうすることもできず、入院の目的も自殺企図で2日近く睡眠薬が効きすぎて体重120kgの巨体が左を下にして畳の部屋で爆睡でしたから、左半身が褥瘡(じょくそう:床ずれ)状態と、左手も潰したまま2日間でしたから、潰したまま血流も悪くなったらしく機能障害と褥瘡。その褥瘡が皮膚の壊死に繋がり始めて、このまま放置すると死亡するということから入院先の病院に千葉大学の形成外科の専門医が来られるからということで並行して体半分と左腕を別々にオペ。

体だけでも170針レベルの大手術。左腕だけでも50針?以上の大手術を受けて回復までというわけで半年以上の入院と。

余談ですが、
当時は付き添ってくれる人は父だけでしたから、仕事に追われている(私の分も)状況とわかっていても、大手術のオペ室入場の時点で父は「先生、宜しくお願いします。」私には「じゃあ、頑張ってこい!」と一言で帰っていった。当然ですが主治医は「え?お父さん、帰られるのですか?」と。(笑)

(実は、父の性分というか、表面的には平静を装った落ち着きのある男ですが、子供だけでなく近い人が大手術とかあると「怖いから<逃げる>」(笑)傾向が強いので。つまり机上の知識は豊富でも現場に弱いということです)

数時間?多分午後一からオペが始まって、術後にオペ室からストレッチャーで運ばれる時に主治医が看護師に「吉川さんはリカバリー室へ」という指示は聞こえていたのでその時の外の暗さから18?19時あたりだったのだろうと思うと6時間はかかるような大手術だったのだろう。

神麻(神経麻酔)を駆使した手術ですからオペ自体には恐怖感は微塵もないが、オペ後の回復期に痛みが来ることはいくら病院を恐れない自分でも危惧していたが、痛みの意識より体がいくら自分の皮膚を切除して自分の皮膚と皮膚を縫合したものの、皮膚細胞の適合化は厄介になるだろうなあということは覚悟していたので、想定のようにその晩は40度レベルの熱が朝方まで下がることはなかった。

「吉川さん、座薬入れてあげようか?」とボルタレンサポ?を打ち込んでもらったのは記憶しているだけでも3回。(一晩でミリ数こそあれどもボルタレンサポを3〜4回打ち込んで大丈夫か?ボルタレンサポは確か25mgと50mgだったか?効かないので50mgを打つことは・・・・う〜ん。そんなことはどうでもいい。熱が下がらないと震戦を伴う寒気が治ってくれ!と布団をかぶってひたすら耐えた。

「吉川さん、病室から持ってきて欲しいものある?」と看護師。
「ラジオを持ってきてくださる?」と。

それからかな、今も警属している伊集院光くんの「深夜の馬鹿力」という深夜放送。

病室に戻ったのがそれから何日後かは記憶がない。

自分が入院(希望?)した先は都立松沢病院。古い人の偏見では「キチガイ病院」の代表選手の病院だ。
主治医の判断から、精神科特化病院であることと、松沢病院を選定されたのは、同時に形成外科の専門医に緊急オペを頼める施設が整備された特化病院となれば、素人でも当時は都立松沢病院は外さないだろう。
精神医療研究センター?のような看板を背負った病棟数だけでも50を下らない精神科病院のディズニーランドのような広大な敷地にある特化病院だ。

自分でも拒否しなかったのは、中学生の頃に「北杜夫さんの<楡家の人々>という本を読み、NHKが朝の連続ドラマだけでなく、22時から夜にも連続ドラマをスタートさせた第1作が「楡家の人々」だったので、当時高校受験勉強を夜遅くまでやっていた中で両親にどうしてもみたいといったら「22時からテレビをつけて30分休憩にしたら?」ということで、宇野重吉さんや岡田茉莉子さんのご出演の楡家(にれけ)の人々というドラマを楽しんだほど、読書が苦手の私が目覚めたのは<北杜夫>さんの作品だったので、楡家の舞台となった精神病院が「松沢病院」だったからだ。

当時、もう母を見送って存命だったのは「祖母」と「父」でしたから、あのような父の性分からも、僕の松沢病院入院は祖母や親戚には徹底したオフレコだったようで。今も70歳絡み以上の世代の皆さんに精神科病院に入院という話をしたら「キチガイになったんだ」という化石のような風評が拡散されたことだったのだろう。

病院の性格上、広い病棟から外に出ることはできない閉鎖病棟だったが、色々な患者さんがいて刺青だらけのお兄ちゃんからヤクザ風の兄貴分?親父風?の患者まで、週に二回の入浴の時にヤクザ親父と一緒に湯船に入って話をしたが、170針の縫合跡をみて「お兄ちゃんよ、随分でかい手術受けたんだな。傷口大丈夫ならこっちで一緒に暖まれよ」と
(精神科病院のお話は別途書こうと思いますが)

不思議なもので、
もっぱら明るすぎるおもしろキャラの私が鬱状態にもなってという意外性の症状で、退院近い時はもう病棟では患者の仮面をかぶった看護師のような状況で、当時自分の希望でスキンヘッドでしたが、延びてくると看護師が病棟のシェーバーで整えてくれるものの、看護師さんに「トンボ型のカミソリの方がいいよ」とカミソリで「あ、吉川さんごめんね」と頭部のあちこちから流血状態にされ(笑)「あ、吉川さん、別のカミソリ持ってくるからこのままでいて」とカミソリ放置でナースセンターに・・・・は普通はあり得ない行為。刃物を持って暴れたらニュースに乗るからね。

でも、もう病棟では患者というよりも友達感覚で重症の患者さんの話し相手になっていた。

病棟長の偉い先生に「先生、僕はもう退院できますか?」と相談したら「吉川さんの希望日はある?」との問いに、「あした」とお願いしたら、「いいよ」と複数病棟の担当になられたことで、個個の相談も「先生のお時間が出来た時でいいですから」と言っていただけに、病棟長先生の判断と書面上他の退院作業を翌日にと動いてくださって書類等をわざわざ病室まで来てくださったのは嬉しかったですね。

余談だらけですが、この記事を書いたのも「この時点で強迫性障害の症状を自分内で見つけることができないくらい治癒していた」ことを伝えたかったわけで。

いつも飲んでいる薬をきちんとのみ、食事もきちんと取るような生活習慣が治癒へとつなげられたとしか自分の治癒できた物理的な理由は見当たらないのが精神疾患の本質だと。
*******

それからというものの、今のようなフットワークの良さと無茶振りの父からの命題に食いついて、それを超えるレベルの行き方まで模索し実行することができるようになったのは言うまでもないことです。

昨日、久しぶりに同級生の開業病院に痰の吸入の処置に行きながら耳鼻科医の浩一とこの時期になると亡くなった祖父母が言っていた話を思い出すのはなぜなんだろうと。

私が医療関係の知識を日々追い求め習得しているのも、怪我の功名で検査入院も含めると市内の拠点病院の数院での医療現場は熟知しているから、医師や看護師に友人になっていただくと専門知識も教えて頂いたり。

教職の現場は大学時代から今日のこの時間までも日々更新で知識として充実させるも、工場で製造作業のあれこれから学んだこといっぱい、町内会のお手伝いでも、市のボランティアでも、家族親戚の介護問題でも、、、というように毎日が勉強の材料が取り放題。

もちろん元気にさせてくださった皆さんへのお礼奉公の余生だと心得ているものの、動けるということは<現場主義>を名刺に歌い込むようにしているくらいで、勉強させてくださいと思うのならまず頻繁に教えを請う場所に参上して教わる。

おまけに左上肢機能障害3級の手帳を持つ身でも、健常者に負けないくらいのことはできるんだということを特に手帳保持者 のみならず、元気でない人の水先案内人になりたいという気持ちで、「左上肢機能障害でも<現場主義>」と名刺の職名の間に印刷しているほど。

元気にしてくださってどうもありがとう。

これが私の全てと言っても過言でないし、頑固で臆病な父から教わった行き方のノウハウを上手に展開するようにとこれでも歩みが衰えた父の分まで毎日のように父の代わりにも動き回ってるわけで。

それでもね・・・・
時にはツレや父にものをぶつけたくなる気持ちになることはありますが、ぶつけるのはいつでもできる!し、今年末で84歳になる父と両股関節の置換術を自分の英断で受けたツレのリハビリを託された立場では、同じ土俵でない以上、注意喚起はできるものの、無下に放置することは責任逃避ということにもなるから、自分の体が続く限りは、やらないといけないことは変わらないのなら<気持ちよくさせて欲しい>と二人には宣言しています。

でも、
先週の旧盆休み期間中に、会社も休みということとツレも里帰りということで父のことは私と息子のみになった。
ご近所の父の友人のお姉さんも来てくれているが、やはり姉さんも自宅のお盆なり仕事もあるだろうし、61歳で孫もたくさん?いるのなら、家族とのこともあるだろうから、少なくとも夕食は孫がお弁当を買ってきたり、本来料理も好きな私だから、父にと料理を作って108の実家のテーブルに並べて・・・。

ところが、認知でもなんでもない父の悪いところだが、孫が栄養ドリンクなりゼリーなりを補助的にと買ってくると、孫可愛さはわかるものの、補助食品は飲むがせっかく私が作って運んでも、ツレが父を考えて作るなり買ってくるなりしても、口をつけずに冷蔵庫にしまったままだったりが多くなり、弟と健康面で控えるようにと言われている筋子やイクラの類でご飯を食べてくれるなら兄貴、親父に食わしちゃおうぜ。何にも食わずにこの時代に「栄養失調」の診断を受けたらみっともないしと。

筋子を一腹を3回分に取り分けて冷蔵庫に入れておくと、他を食べずに一腹ペロリと食べてしまう始末。好き嫌いもこんなに多かったか?と思うほどだ。

だから、先週末から町会行事やお寺さん、自分の休暇も必要だったので、108リビングの大きなホワイトボードに「じいちゃんはせっかく考えて自分の飯はあとまわしにしてでも作った食事に一口だけでも味見するという<人としての礼儀>もできないのならもう暫く作らないよ󾭗」と書いて、ダメなら自分から電話して頼むことはできるので、8/20から31までは実家に出向いて家事なども夏休みさせてもらうことにした。

嫁ではないものの、ツレも好きなものなら果てしなく食べても、考えて父に届けても「(栄養ゼリーやお弁当などを見せて)孫が買ってきてくれてね」と嬉しいから自慢したかったのだろうが、ツレにせよ私にせよ拾ってきたわけでなく、離れたお店までお願いしてお金出して買ってきたわけだから、栄養ドリンクと弁当でいいならもう作りたくないという気持ちが見えてくるようだし。

**********

ツレには「すまんな」というものの、これからもっと厄介になるのが介護問題。
前回も書いたが、我が家はツレは別としても完全に男だけ。
徒歩10分のマンションに、弟夫妻と義妹の母が同居中だが、盆や彼岸の時に私の仕事の負担が倍増し身動きできない時を弟には伝えるものの、義父の面倒の手伝いにきた試しも気持ちもなく、弟がワンポイントで父の財務大臣を受けてくれているだけで。

いずれ自分が家長になったら義妹は出入り禁止にしようとまで思っているが、どこのお家事情を聞いても、最近の嫁が世話になっていることを棚に上げて強くなっている傾向は絶対にアップグレードしているようだ。

仕事の関係で里帰りしているツレだが、娘の相談もあるというのでいつまでという期間はどうでもいいから、気がすむまで里帰りしておいでと。

<いつみても波乱万丈>という亡き逸見政孝さんのオンエアがあったが、まさに今の私のようで。
決して悲観論を訴えているのでなく、昔と違い波乱万丈であればあるほど「健康体を保てる」という自負こそある。

睡眠も7時間という理想は医学面からも適切ではないようで、たった3〜4時間しか担保できない睡眠時間でも、熟睡できれば十分に体力は温存できるのであって。

予定を組み替えるから自分のことが殆んどできずですが、夢中になって現場に急行して対応させていただくことは、その現場に行くまでの運転経路から日頃見過ごすような事実現場の様子をみられる「お得感」はあるし、現場にいってたわいもない話題や作業をしても、した分だけ見えなかった情報をもらえるか、そこでまた新しい知人ができたとか<お金不要で勉強させていただけることが溢れてる>から。

弊社に入職してまもなく「僕はどの仕事からやればいい?」と社長である父に聞くと、
<祖父からもな、ともかく「現場」に行け!お前のやるべき仕事は現場に無制限に落ちてるから>と。

それが<左上肢機能障害でも「現場主義」>という私の行き方の宣誓看板になっているのだから。
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#685 旧盆こそ修行の期間かな?

2015/08/11 06:27

おはようさん。
昨日は一昨日に突然ツレの息子が上京ということもあって私はいつののように「親子3人水入らずで過ごせる時間は優先して大事にしなさい」という信条からも実家に送っていこうという手はずだったが、今回も突発的に明日からというゲリラ連絡で(笑)いいように振り回された格好で心中穏やかではなかった。

若い頃なら大げんかだったろうが、いくらツレに理解がある自分でも<不意打ち>は悪質なマナー違反だったから予定していたことも全て組み替えることに。

(そういえば、前妻も同じようだったなと振り返る。嫁ぎ先がお盆であれ自分の実家のことを優先してしまう)

最近は自分も成長したのか?諦めたか?悟ったか?ある程度状況的に理解できる範囲であるのなら相手を潰すことなく怒りを鎮めるためにも<無言に徹する>ようにしている。

11日は出勤と言ってたでしょ?
誓って聞いてないよ。だいたい一昨日も昨日も一緒に今週は何も予定はないよな?という会話の時になぜ仕事なら仕事と言わなかった?いい年して嘘はいかんよと。

まだ満足に杖なしで動いてはいけない時期。主治医からもあと2年かけるようにゆっくりとねと言われていたことも忘れたか?

「祐さんと僕は、言い方悪いが「同じ土俵じゃない」んだよ。何かを一つ一緒にやろうということはわかるけれど、一緒にやったら物を持ち運ぶ・高いところの物を取捨するなど、君は一人でできないから僕が付き添っていないとできないので、結果的に僕は一緒にやると自分のことができない」

<自分がやると宣言したことだけは血を吐いてでも自分で責任持ってやりなさい>と。つまり<できないことはできるというな!>ということだ。

更年期と自分の意思のように体が動かない焦燥感・猛暑と相まった不定愁訴感が強いことからも、整形外科の主治医に「心療内科の紹介状をお願いしたところでもある。
(それだけ気持ちの安定さが陥落している状況とみていた)

でも、昨日の里帰りの直前まであーだこーだいうので、2時間ほどガチで説教。

「いいかぃ、俺はねガチで体を張ってお前を支えてるんだ」
「お前が大手術を英断してからは、休むことなく自分のやるべきことも後回しにしてでも毎日病院に通うために洗濯や病院食が食べられぬことからも許可を取って毎日食事も届けた。退院日から勝手に主治医とお前のリハビリを俺に託されたから、退院まで時間ももらえずに2〜3日で急遽自宅に受け入れる準備に追われ、自分なりにリハビリの計画や方針を考えて、退院当日から敢えて心配してくださった皆さんのお宅まで連れて行ったり、就寝時や起床時のストレッチから入浴・歩行訓練等、、、必死だった。」

「お前が術前の状況の土俵に立つまではと」

ここまでやったという自負はない物の、術前の祐さんは少なからず<思いやりを理解できる頭はあった>はずだが、状況は重々理解しているものの、焦燥感とわがままは同一のものではない。

足が浮腫んでいるのなら、十分に休ませることから自由に起床や就寝時刻も任せたが「なりゆきまかせ」の生活の段階は卒業しなさいと。

人間、どんな状況であれ、朝起きてトイレに行き洗面を済ませて朝食という誰でもできる基本的生活習慣はある。

しかし、
入院中での闘病生活であれ在宅であれ、「これだけはどんなことをしてでもやろう」という自分へのハードルを課さない以上、無駄に生活をしている人にすぎなくなれば、一歩間違えたら「廃人」ともなりうる。

僕は以前からやりたかった花を育てることを継続して4年目。
昨日もそんなこんなで朝の水やりは体調的に辛かったが、花もペットも「喉乾いたよ」とは言えないから、この猛暑で水分がないということは拷問と同じということもあり、水やりと車で10分強の鳩ヶ谷のムサシ君のところに行き、バケツの水を冷たい水に取り替えてあげるだけにいくという習慣は欠かしたことがない。

体調が悪いのなら、そのあとベッドに行けばいいこと。


祐さんにもそんなタスクを設定して実行しなさいと。

もはやリハビリは心理作戦も含めた第2段階なのだ。

昨日は説教したあとに押したあとは引くというやり方で、最初は勝手に電車で行け!と言っていたが、「送って行くから早く車に乗りなさい」と、巣鴨まで送った。

もう昨日の予定は再組み立てが不可能だったので、外に出るモードで、行きたかった場所を転々と。巣鴨から松戸北国分〜市川〜八街〜富里〜都心方向で巣鴨〜川口と200kmほど10時間近い運航で。

正直、
久しぶりに神経性胃腸炎の痛みと下痢に襲われていたのだったが。

「自分に限界だ!」ということを頻繁に言うようになったが、実は人間である以上「限界点」はない。
ただ、現実逃避のツールで「限界だ」と詭弁をいうのが人間。


いくら理不尽なことをされてももしかすると因果応報だから、原因は自分にあるかもしれないということからも、「冷静さ」を取り戻すための訓練がまだまだ足りんのかも。


綺麗事言っているように聞こえるかもしれないが、他人の価値観を自分の価値観に合わせさせようとする行為そのものが意味のないこと、非生産的なことだからだ。

所詮、
分かりやすくいうと「アホはアホであり、馬鹿は死ななきゃ治らない」ということからも、、、ね。

でも、
今朝も下痢や軟便は改善がない。空腹だが食欲がない。
世の中、旧盆休みだが、周囲が休む時こそ忙しい運命だが、鬼の居ぬ間の洗濯のように、まとまった休養を取る必要性を痛感した朝だった。
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#684 夏の行事第一弾終了。・・・で?

2015/07/26 16:55
おはようさん。
酷暑の中の盆踊り大会。無事に終わりました。私は数年前まではテントの中で動かせていただいてきましたが、やはり現場主義が好きなタチで、広報部長の流れで、どーでもいい会の写真の師匠であるマサオさんとスナップ写真を撮影していましたが、やはり役員おりても昔からのお付き合いをしていただいた先輩諸氏や後輩たちと久しぶりに再会すると思わず吹き出すように笑いに包まれて。
理屈じゃあないんだよなぁ。
意見の相違があるなしも関係ないんだよなぁ。
吉川さんがいつも連れてきている子供達はお孫さん?
やかましいわ!(笑)
倅がまだ未婚なのに孫がいたらおかしいだろ!(笑)
青少年部の洋ちゃんパパとも、僕はね、いま町会の外堀に生息しているけど、通学班のお見送りやラジオ体操とご近所の新しいマンションの子供たちと仲良くなり、いまなかなか都会でも見られなくなった地域のイベントに誘うことでイベントを知り、そして参加してくれるようになり、やがてはお手伝いと関わってくれるように種まきをしているんだ。
だからね、
集まってきた子供達をパパの青少年部で引き継いで欲しいんだ、、と。
町会の困ったちゃんたちが卒業されたらね、また昔のように僕も盛り上げ役に入れてもらうからねー。その時は力を貸してね、、と。
地域の自治力の復権。
とかく、自分だけよければいいと言う時代に、みんなで力を合わせてひとつのことを成し遂げた時の感激は、後々の大きな力になるものです。
火事場の馬鹿力と言うように、いざという時の結束力は想定外のパワーを産むものです。
歴代の町会長は揃って、例年通りのことをやればいいと曲げないが、イベント後の総括もしない流れは成長はありえない。
アイスを配れば人は来る。
テントの中ではタダ酒を飲める。
屋台はいつから誰が誰を通じてテキ屋さんに頼んだか誰もわからないまま、
現状維持。
内輪の仲良しが陣取り、若いエネルギッシュなメンバーに声もかけず、手伝って貰うもコミュニケーションも図れないから若者もくる筈もない。
顧問相談役が祝い金を持ってきても、誰一人お酌にも話にも来ない。
だから、
祝い金も今年は例年の半分にまで減ったし、わたしも父に進言して10000円を5000円に減らさせたが、蓋をあけると殆んどが5000円。
誰だって捨て銭出すほど裕福ではないし、議員さんがみえても、お見送りはしても、来賓席での接待もない。
盆踊り大会自体は、少ない人数でよく頑張られたと思ったが、みんな高齢者中心だから、彼ら彼女らができなくなるとおしまいだ。
私は現役時代から、後輩を育てようと口酸っぱく訴えるべく、ボロボロになりながらも率先垂範、走り続けてきた。
しかし、
今年の地元氷川神社の例大祭の当番町会のカシラを受けてくださった後輩の体育部長に、大変なお仕事を引き受けてくださってありがとう。
僕は外堀に生息しているけど、防災部のように、お手伝いできることはやらせてねと頼んだ。
困ったちゃんたちは、
ほらみろ!やはり吉川さんはやりたいんだよと言うかも知れない。
やかましいわ‼️
俺は、川口でも伝統ある町会だから、火を消したくないし、盛り上げる義務があるんだと言いたいだけだよ‼️と。
盆踊り大会のスナップ写真も、大抵の皆さんは嬉しそうな顔をされていることがアップして気づきました。
今朝8時からやぐら解体作業とのことで、少しだけお手伝いをと向かったが、07:40の時点で困ったちゃんたちが既に動いていた。
何で8時からと回覧に案内しているのに勝手に始めるんだよ💢と。
8時に町会長から挨拶してキックオフが何故できない!
お祭りの祭壇作りの時も、12時からとアナウンスしたのに、12時には終わりましたと勝手なことを言ってケンカになったこともあった。
じゃあ、あんた達で全部やればいい、、となるのは自然だ。
しかし、金曜日の記事に書いたように、役員でもない皆さんが気付いたことを数人で助け合ってやられていたこと。同じような違和感を感じている皆さんでも一緒に盛りあげておられたことが私には救いになったことは言うまでもありません。
父の介助にツレへの配慮と猛暑のトリプルパンチは、今朝のわたしの体調不良に大きく貢献しています(笑)
昨日はさすがに帰宅するも空腹よりも寝るということで、夕飯抜きで爆睡。
今朝も3時半に起きたものの、これじゃあ確実に身体を壊すし、壊しても自分を看病してくれる人もいない(父もツレも足が動きにくいので)から、自業自得そのものになっちまうことから、今朝は二度寝。
6時半に起きてから、花の水やりとヤグラ解体の手伝いにと家を出たが、そんなわけで菩提寺の朝のお参りに。
早朝から菩提寺のお掃除にきてくださっている村さんと歓談。
「お寺さんというのは<戦時中の野戦病院のようなものだと思うんですよ>」という一言が心に残った。
「お寺さんというところは、庶民の<心の拠り所>なんだ」と解釈した。
「見知らぬ人とも挨拶することで覚えていただけるようになり、そのご縁がご縁を呼ぶ」まさにその通りで。
いつもね、お墓のお線香トレーの灰がきれいに掃除していただいているのは村さんのおかげだねと言ったら、「吉川さん、あれはね、僕もたまにやりますが、お線香売りの矢澤さんがなさっていることですよ」と。
知らなかった。
矢澤さんというお母様は、大病をされて救っていただいたことから菩提寺のお手伝いをなさるようになったとご本人から伺ったのですが、檀家1000軒以上もある菩提寺の墓石のお線香の灰のお掃除は並大抵のお仕事ではないはずだ。
そのことを
殿様住職と上様息子住職はご存知だろうか?
そんな朝の一コマでした。

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#683 夏の恒例行事(お施餓鬼会と町会盆踊り大会)

2015/07/25 07:00
昨日はダブルヘッダー。夜は盆踊り大会で盛り上がりました。毎日の通学班の子供達がたくさん集まってきてくれたり、ハイムの未就学児ファミリーも、ハイム卒業ファミリーやご近所さんたちまで私に声をかけてくださり、ツレと二人で疲れを忘れて、、。
なかなかお会いできない議員の先生方と対面できるのも地域のイベントならではですよね?
幼稚園の先生になったりカメラマンになったり、、。
私が通学班の見送りをしているのは、新しくできた隣のマンションの子供達とも仲良くしたいし、子供達が大好きだからだけでなく、若いパパママさんとも交流したい。とかく個人情報だとお隣さんと心からの触れ合いが希薄な時代に、私が子供のころご近所のおじさんおばさんに育てていただいた思い出を、今の若い皆さんや子供達に伝えたいという気持ちからです。
それは、いつも嘆いている地域自治会の結束力への種まきをしているわけでもあります。
嬉しかったのは子供達と遊んだだけではありません。
町会で重職を拝命した時もありましたし、資源回収も10年近く一日だけ息子の学校行事で休みましたが皆勤賞。
それが一部の勘違いした高齢の輩が見事に新しく尊重すべき芽がでるたびに踏みつけるようなことを重ねるので、わたしは5年前に班長を除く役員やトラック提供ほかの協力はやめたわけで。
今回の盆踊り大会も、カタチは成功のようですが、本部テントの中に集まるメンバーは例年の半分以下に。
相変わらず、顧問相談役から来賓がいてもお酌さえもない。
しかし、とても嬉しかったのは、この方はこの仕事の担当と割り振りすることなく、協賛金を頂戴したみなさんのご芳名を掲示するのも、気づいた先輩方が交代交代で掲示作業をなさっているとか、カメラにお詳しいわが「ドーデモイイ会」のマサオさんも今年は町会長のマサから正式に依頼されたようで、78歳とは思えないほど目が輝き動きも活発で何より楽しそうでした。
我が誇りの防災部長のヒラさんも、ビールをこよなく愛する彼が、盆踊り大会の開催時間前から会場を何度も何度も巡回されて、依頼された警備で尽力されていたり、元郷駅前の交番前の横断歩道の交通指導のフサちゃん、マッキーに加えて昨日は青少年部を盛り上げていただいているヨウちゃんママまで制服を汗でビショビショになりながらも頑張っておられたし。
私は顧問の父やハマさんの介助目的でお邪魔させていただくものの、何故か吉川と言うと、広報と衛生と総務と言うイメージが強くて(アクが強いのか?(笑))ましてカメラマンで個人的にウロウロすると目立ちすぎになって。
その上に、ツレの祐さんのキャラクターが庶民的であると皆さんが受け止めてくださるから、一町会員として参加させていただいても、目立ってしまうわけで。
しかし、最近は町会だけでなく、お寺さんや神社、お店や親戚でも、敢えて努めて明るく面白く振舞うように心がけていますが、それはイベントなどを役員の仕切りでなく、心を寄せておられる沢山の皆さんと一緒に面白く可笑しく盛り上げたり一緒に
作業をすれば最高なんだと。
子供達がその様子からまた何かを吸収してくれるなら、ラジオ体操のお手本役でもできることを自然に手をあげてくれればこれまた最高。
役員は、そんなみなさんのまとめ役、水先案内人であるわけで、踏ん反り返って上から目線で命令する立場では誓って<ない>‼️
皆さんがそんな私や祐さんに気軽に声をかけてくださったことも胸があつくなるほど嬉しかった夜でした。

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#682 気持ちのよいできごと

2015/07/16 03:53
昨日はお世話になっている菩提寺で使っていただいている私と祐さんが手作りで30個ほど作らせていただきお寺さんで使っていただいているお線香お参りセット(笑)も大分汚れたので、新規製作分を追加する前に、早朝から若い皆さんがお掃除などで汗を流しておられる仲間に入れていただこうと、朝の90分で全部汚れを洗わせていただいてきました。わたしは左手がグーチョキパーができない障害がありますが、リハビリのつもりで。
盂蘭盆の御回向に皆さんで巡回される中で、皆さんの輪に入らせていただくことで色々と見えない部分が見えてきたり、お参りされる方との会話の中でお金では買うことができない沢山の勉強材料をいただくことができて、、。
これが大きなものを支えておられるボランティアの皆さんとの触れ合いでしか得られない貴重なものになります。
わたしも零細企業の鋳物屋の専務として最後の最後まで職人さんがたと同じ目線で汗を流してきたことから学んだ生涯忘れることのない生き方だと確信しています。
正直、元気になってからというものの、決して認知症ではなくて(笑)曜日や日付の感覚を失うほど忙しくお節介な毎日を過ごしていますが、風邪をひいてもせいぜい寝込むこと半日になるくらい健康面では幸せな生活になりました。
そして、どんなに高い地位や職位でも、水面下で汗水を流してくださっている皆さんの汗の塩辛さを決して忘れてはいけないという人生の教訓でもあります。少ない教師経験でも10歳前後の子供達に受け入れて貰えたと言う奢りもあるのかも知れませんが。
父のように、歩く気持ちがあれども歩く事が困難になっている高齢者のみなさんにも適用すべきことだと思います。それは、散々若い頃にお世話になった、可愛がっていただいた皆さんが年功序列で私たちより早く動きにくくなることは事実ですから、手間がかかろうと気持ちよくお世話するのが恩義というものだと。
それと経営者としての心得は相通ずるものがあると確信しています。
金で解決できる。
確かにそうかも知れません。しかしこの経済や雇用情勢では、生きていくだけで精一杯。だからこそ日本人の国民性の素晴らしさ。一杯のかけそば、、と言うお話に胸を打たれたように、人間は決して一人では生きていけない、、ことを再認識して、助け合えることは気持ちよく無償の愛よろしく支え合っていくことは高齢化社会にはなくてはならないことだと。
アガペーというと仏教の概念とは異なり、agapē、、基督教での神学の概念で、マタイ福音書にも記載されているキリスト教徒間での相互愛とされていますが、もともと神様が人間に対する「愛」をagapēといい、神様が人間を愛することで何らかの利益を被るわけではありませんから、無償の愛というわけで。旧約聖書には神様の不朽の愛と書かれているようですが。
脱線ついでに、
ギリシャ語での愛は基本は四つの愛があるとされていて、@エロースつまり性愛Aフィリアつまり隣人愛Bアガペーつまり無償の愛、真の愛Cストルゲーつまり家族愛というわけです。
性愛は老若男女問わずに誰でもたいていのみなさまはご自分で率先して追い求める愛ですが(笑)、
フィリア、アガペー、ストルゲーの三つは、私の両親や祖父母、叔父、叔母から幼少の頃から躾として耳にタコができるほど教えられたことでもあり、学校のわざわざ道徳の時間でなく、学校生活のあらゆるところで教わったことですよね?
親に向かって何だ!
向こう三軒両隣の皆さんとは特に仲良くご挨拶もきちんとしなさい。
何かをいただいたりしていただいたらありがとうございますとお礼をいいなさい。
私には9歳年下の弟が一人いますが、睨み合い(笑)もあるときはありますが、生まれてきてくれた弟だからと随分と可愛がった思い出もありますし、お兄ちゃんだからがまんしなさい!ばかりで泣いた思い出も少なくないですね。
祖父母が寝たきりになってしまった時も、面倒だなあ、少しは休ませてよーと思っても、幼少の頃の躾もあり、対面すると疲れていても笑顔で話し相手になったり、しもの始末もしたものです。
先日もまたかかりつけの内科で町内のおじいちゃまおばあちゃまと出会いました。あれ?、、さん、ここまで何で来られたのですか?と伺うと、ばあちゃんが検査だからとさ、車を頼んできたんだよーと満面の笑みで答えられたので、、、さん、良かったら僕がご自宅までお送りしますよ、この暑さではいけませんから、、と、近所ですから送らせていただきましたら、80も後半になろうわたしの大先輩ご夫妻の旦那がわざわざ帽子を取られて深々とお礼を言われて、、。
敬老会では、おじいちゃまに父をお世話してのいただいたり、正直、足が衰えた父が二階の会場に上がり下りやトイレにつれていくことでさえ、介助が必要になれば、心ない役員はもしかすると厄介だと怪訝な視線を送っているだろうと言うことは容易に想像できることです。
しかし、父より高齢のおじいちゃまおばあちゃまが何をするわけでもなく気に留めてくださっているだけでも僕は胸があつくなるほどですから、病院から自宅まで車で5〜6分を送らせていただくのは朝飯前ですし、そんな状況を知りつつ素通りすることは、幼少の躾に背をむけることです。
やれ個人情報だ、かかわりたくないだ、、確かに今の時代はそうかも知れません。
しかし、
人間は一人では生きていけない。
助けて!と叫んで隣人に助けて貰ってもお礼も言えず、翌日にはけろっとしている神経も病気だ。
そんな愛を僕に植えつけてくれたのは、両親もそうだが僕は94歳?で他界したばあちゃん、つまり祖母と思っています。
「雄規はね、誰からでも話しやすい子なんだよ。だからね、人が話してきたらどんなことでも聞いてあげなさい。
理不尽なことや悔しいこともあるだろうよ。そんな時はさ、ばあちゃんがいくらでも聞いてやるから。それからな、雄規は人の上を生きなさい」と。
言葉はないが要するに「達観視」することの大切さを祖母は僕に教えたかったのだろうと。
祖母にとって僕は長男の長男。つまり<初孫>ということもあったのだろう。
誰もが否定することのないほど可愛がってもらった。ましてわたしは双生児で兄を生後まもなくなくしているので尚更だと思う。
僕のことを周囲は<ボンボン>と揶揄されるけれど、確かに「当時は鋳物屋さんは金持ち」という見方が大半でしたので、持っているものも生活もボンボンと見られたかもしれないが、実生活は周りにはしれぬほど厳しいものがあったと記憶している。
祖父母や両親だけでなく、父方母方の叔父や叔母も初の甥っ子ということもあって物珍しさもあるのか(笑)親が10名以上もいるような高いハードルを持ちかけられたのが<今の自分の生きる糧>になっていることも事実だ。(甚だ迷惑という(笑)本音もあったが)
そんなばあちゃん(敢えて祖母とは言いません)を墓前で思い起こすと今でも涙が溢れてきます。
じいちゃん、ばあちゃんと母は(兄も)あの世に送り出してしまったが、叔父や叔母でも特に父方は随分と逝去されてしまったものの、存命の叔父や叔母のこともこの時期になって特に健康面ということからも心配は絶えないのが現実で。
でも、
踏み込み過ぎはご迷惑にもなるという自制心も含めても、実の息子や娘夫婦や家族が親を気遣っているかというとそうでもないというのが僕の勝手な見解で。
昔から父に「お前は<書き魔>だな」と揶揄されるほど手紙を書くことはライフサイクルの重要なポジションになっていますが、ここのところ何人の叔父叔母やお世話になった皆さんにハガキを書かせていただいていることか?
「感謝されることが目的ではないのです」
「点数稼ぎが目的ではないのです」
それこそ、隣人愛・無償の愛・家族愛というわけで。
それを教えてくれたばあちゃんに背中や足を向けてねるわけにいかない。
父からもそうだが、今や人生の最終的な目的地でもある<菩提寺>に気持ちが集まってきたライフサイクルの理由はまさにここにあったわけで。
お金を寄進してだけなら、黄金のお参りの線香入れを50でも奉納すればいいことだ。
しかし、それはそれで菩提寺の住職も鼻が高くなるとは思うが、奉納されてしまえば忘却の彼方というのが残念ながら菩提寺だけでなく昨日ある人たちとの話で出た市内に限らず大胆に言えば仏教界の眼を覆うような現実だ。
教育機関の株式会社化が先日の文部科学省から出た国立大学経営の指針にも見受けられるように、日本大学が株式会社ということは周知の事実であれ、寺院もいまや<心の拠り所>ではなくなりつつあり、<いかにお布施をかき集めるか>という金集めに終始しているというのが現実。
だからこそ、
ただでさえコミュニケーションができない時代に、寺の坊主が挨拶もできないという惨憺たる自体が横行しているというわけだ。
だからこそ、
自分の父はある意味で「世襲制」のように祖父から檀家総代長を拝命したようだが、その檀家総代長が役員会なり行事なりに、もはや事実上の年金生活者であるのにもかかわらず、ひねり出した「お布施」を持ってわたしの車椅子にのってでも菩提寺に顔を出すものの、役僧の皆さんは心から迎えてくださっても目の前にいる住職夫妻も息子も放置する事実だけでなく、住職に至っては父を睨みつけるほどだ。
30過ぎの副住職も父の背中は正しいと育つのは生物学的にも正統であれ、同世代以上の通いの雇い僧侶には「雇ってやっているのだから」という言葉も出すほどのようで、平日は社務所にいるものの、電話がかかろうが来客が来ようが対応せずパソコンに向かって仕事以外のネットサーフィンということのようだ。
だからこそ、
わたしは、檀家総代長の息子だとは口が裂けても公言せず、ただ頻繁にお寺に顔を見せては、ボランティアで毎朝早くから自転車でかけつけて墓地の掃除をされている彼と一緒になって仲間に入れていただいているわけで。
<公言できないのなら、一緒に汗だくになってみんなと奉仕させていただく>
無言の主張になれば、それを肌で感じてくれたらいいなあ、、、という思いのみでのことです。
先代の住職は心から腰の低い方でした。
責めて、次世代の副住職にはこちらの輪に入って欲しいと。
いま、台風11号の影響で川口も豪雨のようだが、最近は猛暑の昼間に寝かせていただいているので、早朝から起き出して自己研鑽(かっちょええ過ぎるか?)
そんな朝の気持ちのよい作業の後で、自宅のマンションの花に水をあげようとしたら、直近の記事のように種から育ててきたひまわりがあちこちで花を咲かせてくれて・・・。
可愛がった分、口のきけない花でさえ応えてくれた。
七夕飾りの短冊に、一緒に見てくれている1年生のいっちゃんが「わたしはお花屋さんになりたい」と書いてくれたのも、お金で買えないお礼だなあと。
これからも
力尽きるまで、金で買うのでなく、心で作るものや作業を振りまいていきたい。

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#681 世も末だな。

2015/07/14 01:44

またまたこの時間帯に(笑)ですが、
世の中は<盆入り>でした。もちろん8月の所もありますが。
お盆休みというと会社の従業員・・というより職人さんたちのお盆休みをどうしようかという想いが蘇ってきます。
当時は「4日吹き」と言って4日に1回1日かけて鉄を溶かして型に流し込む「熔解工程」を組む生産計画で動かしていました。忙しい時は3日吹きって時があったかなかったか?
大手のお得意さんは夏休みというと8月に多い所で10日ほどガッツリととりますから(組合が強いのでしょう?)下請けはその休み明けに納期の照準を定めた休暇をとろうと作戦を練ります。
8/10〜8/20まで夏休みとならば、休暇明けの8/21納期の自動発注の注文書が全下請けに自動的に発信されるわけで。「納期遵守・品質向上・コスト削減」と歌う大企業のある姿でしょうが、我々下請けはちょうど納期を仕切り直しできる<アタックチャンス!>(笑)でもあるので、みな必死に8/21に意味のない照準に合わせてくるわけで。
意味のないというのは、仮に8/21納期に合わせて下請け全社が直接なり運送会社に納品を仕立てて親企業の受入担当に集中したらどうなるかは子供でもわかるものですし、仮に納入できてもそこの工場の生産ラインの能力でこなせる量では到底ないわけですから消化不良を起こすことになるので。

それをバブリーな時は(今でも?)納期遵守率の計算をしている部署があの会社は納期達成率が**%で表彰?**%以下は天誅の対象に・・・これが現実です。だから<意味のない>というわけで。

病院でもどこの命令か?流行か?最近は電カル化が前提。電カルというのは「電子カルテ」ということで、診察室にはパソコン画面とキーボードがあり、私も仮に診察前にレントゲンを撮ってきてくださいとの指示の後、1時間ほど待って大袋に画像のフィルムを持ちながら外来受付に提出してからまた順番待ちという流れが、電カルで画像センターからダイレクトに主治医のパソコンに、、、というのはスマートと思うし、さらに精査の予約も瞬時にできるということでは大きな効果を生んでいると思う。

ある程度の病院になると病棟ナースも患者に接する時にカートに乗った看護師用のノートPCで患者の処置等の参照や記録、場合によっては担当医との連絡もできるという意味では投資の価値を十分に発揮しているのではと思う。

投資して効率化や間違いを事前に防止するという意味では大きな前進と思っているけれど、それを遺憾なく使いこなせる人材養成が追いついているかだ。

話を戻して、
<盆休み>をどうしたか?
4日吹きの体制下で、お盆の休みを取るのはせいぜい1スパンの4日間という目安だったが、旧盆や新盆(要するに7月のお盆)の両方の習慣の職人さんがいたので、両方の職人さんに平等にということはもちろんのこと、2日ずつ2回に分けるにせよ、労働基準法?だったか、零細企業でも労働時間の規制はあったから基本土日は休業。だから可能な範囲で土日を絡ませて3日づつ2回に分けてという盆休みを採用したわけで。

******

昔から、祖父や父の背中を見て育ってくると、はたから見て「タケさんはボンボンだったよ」と皮肉られる現実だった。昔は「鋳物屋の社長はそれなりのステータスと金持ちだった」という揶揄が今でも飛び交い、それに甘んじて贅沢な生活をさせてもらっているという皮肉をいう人も少なくないが、生まれた環境がいやおうなしにそうであったら選択肢はないのだからと反発したくなるよね?

でも、
父や母からは、これでも「無駄遣い」は厳禁だったし「贅沢」は敵だというしつけは厳しかったと思う。

それよりも、
「タケさんはおじいちゃんや親父さんがすごい人だから」というこれまた意味のないことを言い放つ馬鹿もいるけれど、僕はいままで育ててもらってきた親や家族親戚に感謝しているからこそ、ある意味で「親の生き方に反発もし、同調もしている」つもりだ。

<お盆・盂蘭盆>の季節。
よく菩提寺の話題を引き合いに出すが、川口でも由緒ある名刹にもなっている伝統ある菩提寺もある意味で大変なことになってきていると危惧感を感じている。

昨日も遅まきながら<墓掃除>と<迎え火>に出向こうと準備をしていたのだが、あの記録的になりそうなほどの猛暑で83歳の父をお供にするわけにもいかず、ツレの祐さんもここのところ捻挫の浮腫がひどくなりということで自宅待機で僕が一人で動いたわけだが、いざお寺さんに伺うと社務所の窓口に鎮座しているのは日常は見たことがない住職が気難しそうな表情で座っている。

私も父が檀家総代長という立場を拝命しているので、まして足腰と耳が衰えた父が行事や会合のときにお手数をおかけしているからと、昨日も「おはようございます。いつも父がお世話になっています。お邪魔します」と挨拶するも、目の前で聞いていないかのようなふるまいだ。

副住職の30ちょいの息子もそんな父の背中は「正しい」と眼に映るのは生物学的にも間違いではないから、自分の修行上の立場?なのか、風の便りを耳にすると社務所のパソコンで仕事に関係のないことに終始して、電話がかかろうが来客があろうが一切応答することもなく手伝い勤務の役僧に丸投げとも聞く。

しかし、
私は檀家総代長の息子という立場であれ、それをひけらかすどころか、そうであるのならそれ以上に水面下で汗水を流してくださっている後輩たちと一緒になってボランティアでお手伝いもさせていただいているわけだが、住職(推定65)息子(推定34)と住職の嫁さん(推定未詳)とともに、一般の参拝されるお檀家さんたちの声を聞くとまず褒め称える話題を聞いたことがない。

寺のイベントがあらば「寺にいくら入るんだ?」ということが先行し、総代長の父が就任当時から役僧の皆さん方に「お寺さんはね、子供から大人まで気軽に立ち寄ってくれるような場所にならないといけない」という<種>を蒔いてきたそうだ。

<う〜ん、父にしてはまともなことを・・・(笑)>

それをしっかり発芽させるべく尽力された和尚さんは首になり、それを引き継いだ若和尚も引き継いでくださったおかげで、昨日も15時前後に菩提寺の前をあえて車を止めてみると、迎え火の檀家さんたちは一段落したものの、境内には子供たちが集まって遊んでいた。(ホッとしたが)

でも、
お寺さんのお手伝いをしてくれる子供たちにジュースなりアイスクリームなりをあげたくとも住職は「無駄な金を・・・」という始末だそうで、「子供はだめだ」と意味のないことを平気でお手伝いの衆にいうらしい。

******

僕は単なる愚痴を書いているのでなく、事実を述べている?だけで、ここだけではない、知っている寺院の現状は生きていくため?遊ぶため?の収入源を確保することに必死という現実。

中には、収めたはずの掃除料等の領収記録を怠ったが故にわざわざ檀家さんに請求の電話を入れてくる寺院もある。
付け届けは1万だ!と平気で檀家を前に要求するのも菩提寺だけでなくほかにもある。

<要するに、坊主は専門の教育機関で何を学んだか?>ということだ。
<どの分野に生きる人であれ、将来を見据えた寺院経営を描けるか描けないか?>が寺院消滅の分かれ道ということがわかっていない。

僕も以前交際した限られた女性たち?に、私と同様に教育職の人間でしたが、小学校から中学校の教師に切り替えたいとか、経験のない複式学級の担任の要請があったのだけど・・・という話を持ちかけられたときにしたアドバイスが、、、

<自分の5年先10年先のビジョンが描けないのなら受けるべきではない>と。

教職員の世界は、新人であれベテランであれ、担任を持った以上、子供たちや親御さんにとっては「成長過程という貴重な時期の受け持ちの先生」ということですから、新人もベテランもなくきちんと教育して欲しいということにはかわりはないからだ。

あたりハズレという議論は不毛な議論で。

この住職一家も、由緒ある寺院の関係者の縁故のようだが、特に30前半の息子と年齢が変わらぬ若和尚たちが、この盂蘭盆の行事のために泊まり込みで深夜まで準備に追われているというなかで全く関わらずに、当日の朝はやくから社務所の窓口でえらそうに無表情で受け取ることに嘘しむというのは誰の目からも好感は持てないことだろう。

菩提寺の本山は京都にあるが、そこの重要なポストについている人の様子も見聞きしてみると、菩提寺の住職と同じようなメンバーが仕切っていると聞くと、安倍政権と変わらず仏教界も音を立てて崩れていくような気がしないでもない。

<改革に必要なものは、地位や立場に関係のないみなさんとのコミュニケーションから出た「現実」をどのように謙虚に受け止めることができるか>が勝負。

それは、ISOの規格のように、良し悪しが論点ではなく、現実を正しくとらえて記録に残せるかどうかだということだ。

ここまで腐敗してもまだ主人公が目覚めていないというのは、<改革は至難の技>のレベルと思っている。
つまり、
今の人にお寺さんとのお付き合いができるだけの金銭的な余裕があるはずもなく、散骨や家族葬が流行になり、なかには無縁仏として祀っていただきたいとゆうパックで骨をある寺院に委ねることを目的に送りつけてくる人も後を絶たない時代だ。

熊本に「赤ちゃんポスト」という病院が話題になったが、お寺さんの「骨ポスト」が現実化してきている。

菩提寺が川口にあっても、勤務先の異動の関係で九州に移住した人がいたとする。でもお盆にはご先祖様を自宅に呼ぼうと飛行機など交通費をたらふくかけて、住職が何の根拠もなく掃除料は1万円だと仏頂ズラで請求され、仮におさめても仏頂ズラをされたらその方がかけた交通費や付届けの金の価値はあるだろうか??

これ以上はかけないが、
やがて無縁仏が増えていき、檀家さんが世代交代したら、鵜飼秀徳氏の著書のように「寺院消滅」〜失われる「地方」と「宗教」〜という本のように、川口は都会だと思うが、そのXデーはそう先のことではないだろう。

勤め人の役僧の皆さんに「あなたたちは私たちが雇っているのだから・・・・」という言葉や意識がビンビン伝わってくるのでは将来は間違いなくない!

*******
父も含めてだが、
我々を育ててくれた世代の「怠慢」が間違いなく我々やいままさに「成長期」の若者にとって<必要もない余分な気苦労を作っている>ということは間違いもない事実だ。

もっと言うと、
<金が解決してくれる>と勘違いできた世代こそ「ボンボンの典型」>だ。

「いまがよければそれでいいじゃないか」
「自分だけでもよければいいんだ」

この体たらくで劣化の典型とも言える個人感情がいまの政から、日常茶飯事のプロドラーバー主催?の交通事故、公立学校が本来の機能が発揮できずにモンペアの温床にとなっている。

おまけに「個人情報」だとふりかざし、特にヤンキー調の男女のあんちゃんねえちゃんドライバーに限ってなぜか運転席助手席に顔が見られないように「黒いカーテン」を装備している。

<自分の暴走を主張するのなら身分を明かせよ>といいたい。

膨大な国家の借金やどこに既得権益があるのか?と思わんばかりのあの国立競技場建設問題。壊すのは実に早かったなあと。

ニュースを見ても、誰と誰が密談して次の選挙に勝てるかとか、自分の名前を歴史上に残したいだけのために駄々をこねているのかと揶揄したくなる国の代表者まで。

ギリシャの次はわが日本かもしれんね。
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#680 病院の現状〜主人公は誰なんだ?〜

2015/06/26 05:03

おはようさん・・・(こんな時間だがまた夕食直後に撃沈で)
昨日は、従姉妹のカズーの頼みで手術をしたシゲさんの会社の閉鎖案内を上得意様には直接伺って挨拶がしたいので予定空いていたら乗せてってくださいなということで、午後から半日県内市内5カ所のお得意様巡りをした。
歯医者の予約がなかったらすぐに車を出せたが。

閉鎖という表現もシゲさん本人は70歳というまだこれからの歳には苦渋の決断ということになるのだが、自分には頼り甲斐のある?兄貴分でもあることもあり、嫁のカズーには伝わりにくいことも僕とは男同士連携して・・・。

得意先まわりが終わって祐さんとカズーに「じゃあ、シゲさんに報告にいくかい?」と提案。西新井まで移動した。

5日前に咽喉部分のガンとその周囲を大胆に切除したシゲさんだが、昨日は祐さんに僕の分まで代表してシゲさんと面会しておいでと。(駐車場の関係と僕が顔を出すと純粋に女性だけが面会に行くこととは違ったシゲさんの反応になるだろうから、いつもと違うシゲさんを祐さんとカズーに見てきてほしかったわけで)

やはり、思ったように妻であるカズーには筆談のテーブルを叩くように「ここに書いてあるだろ!」とばかりにイタさや辛さをぶつけているようで、車を止めてから病室に行った時の祐さんは「シゲさんはわたしにはみせない部分をカズーにはぶつけているようで」と。

病室の外まで伺ったが「僕は今日はシゲさんには会わないで帰るよ」と祐さんに。
「いや、タケもシゲさんにあってあげてよ」と祐さん。
「そうか」

カズーとシゲがあーだこーだ言っている時に、扉をあけたままの個室の入り口に立って「よっ!」と在りし日の愛川欽也さん調に手を上げてシゲさんにいつものように<敬礼>をして入っていった。

咽喉部分を大胆に切除し縫合したあとの患部は見えなかったが、顔全体がやはり大きく浮腫で。しかし、顔色はよく黄疸も出ていない様子。筆談の指も浮腫んでいるという感じもなく鼻腔に管が通され多分抗生物質と思われる50ccくらいの静注点滴がなされていた。

「頑張ったね、シゲさん。」とそばに寄り添った途端に、筆談ボードに(書くほど痛みは治まっていないと思うのに)自分の喉の痛みを必死に伝えてくれようとしていた。もちろんのこと声を失っているので指で必死に手術部分はここで・・・というようにいつものようなシゲ&タケの会話だった。

「カズーにメールするのも、鼻水がダラダラ流しながら書いたんだよ」と。
「うんうん、メールきたよってカズーから聞いてるよ。シゲさん頑張ったね。痛みが辛いと思うけれど、もう少しだけ頑張って。俺さ、またちょくちょく来るからさ。俺や祐さんにもメール出してくれていいんだぜ(カズーには伝わらないようなこともね)」と。

鼻汁が垂れ流し状態?に近く、喉も去痰処置を頻繁にしてもらわないと辛い状況のようだった。

前回も病院の現場レポートのような記事を書いたが、ここの病院もいろいろと基本的な問題点を多く抱えているようで。

自分は介護という問題と自分が闘病中に関心を持った医療や薬剤について考えることが多いので、今回のように病院にお邪魔させていただく機会をもらうと、病院の特色などを観察してくるわけで。

シゲさんがナースコールでナースを呼ぶものの、昨日はたまたますぐにナースが来てくれたが、
「すみません、去痰をお願いしたいようなのですが、よろしくおねがいします」とわたしも祐さんも看護師が来てくれた時に頭を下げてお願いするも<無表情でスルー>状態。

「ありがとうございました」のあともスルー。

*****
この地区に在住の友人にも聞いていたが、病院竣工3ヶ月前の老朽化した病院で、昔の円形の川口市民病院よりもすごいかもしれない。トイレにしても狭い入り口の中で洗面所2台を挟んで男子用女子用トイレが共存しているので、手を洗っている時に水洗後にバタンと扉から出てきた若い女性の看護師?が簡単に手を洗ってペーパーを投げ捨てて出て行った光景は、若い女性がそばに男性であるわたしがいて手を洗っているところに出て行くのは嫌だろうし、何よりも恥ずかしさで止まったのは彼女でなく自分という奇想天外な雰囲気になったのはなぜだろうと。

「タケさん、そこの病院に父が入院した時もね、まあものすごく汚い病院だったよ」と苦笑いしていた友人の気持ちもわからんではなかった。

「シゲさんとご家族の方、この病院は古くて汚いですが手術設備は最新のもので対応していますからご安心ください」というような必要もない?挨拶があったと聞いたが、砂漠地帯の救護所ではないことくらい理解しているし、西新井地区の救急病院でもあるのでわざわざ説明する必要はないと思うが。

またカズーから、
「シゲがね、ナースコールすると<どうしました?>と声を失っている手術直後の患者に聞いてくるんだよ」と。
おまけに、コールしてからきてくれるまで30分以上もかかったとも聞く。

ナースが日本人ではないんだ。とも。

看護師の数が不足している昨今で、海外から看護師の勉強に来日されている看護師さんに働く場を解放する試みも始まっているだけに、ある意味で<先端>を言っている病院とも思えたが、当直看護師の引き継ぎで、シゲさんが声がない患者であることの打ち合わせくらいはして欲しいと思うが。

確かに、ナースセンターで看護師同士のカンファレンスもしていた様子はあるのでわたしは心配には及ばないと思っていたのだが、ここでも<コミュ障>の罹患患者がナースをしていると思わざるを得ないと思うほど、明るさも会話もすれ違いにこちらが会釈しても無視というか<その意味が理解できない>職人がほとんどだった。

口コミ評判がよくないのもわかる。

医療面でも国は予算配分的に十分な勤労意欲が喚起できるような職場環境になるだけの十分な報酬や勤務シフトが担保されていない現実ではやむを得ないのかもしれない。

しかし、
仮にその病院の看護師だけでない、総合受付の事務職の女性までもが無味乾燥状態であることは、何よりも苦痛を伴って入院や通院している本来の主人公に主語を置こうともしていないというのは、ホスピタリティーの精神には合致しないというものだ。

面白くないけれども、それでも患者さんのために・・・という気持ちで勤務している人には、それなりの何らかの還元があるものなのに。

足立区の興野地区に近いこの病院も、持ってはいけない偏見にとつながるように<朝鮮人学校>がそばの住宅街にあって、、というくだらぬ偏見までにもつながってしまう。

「朝鮮人学校の建物の端にデイサービスの施設もあり、近隣に公立小学校も区立体育館も区の施設も充実して、警察官がピリピリする気配もなく目前の普通の住宅街の子供達もなんら警戒心もなく平和に暮らしているという様子を自分は友人宅がその地区にあることもあって十分すぎるほど理解しているが」

でも、
偏見を持たれるような病院の職員の対応は問題かもしれない。

ただでやらせているわけではないからだ。
インフォームドコンセントという風潮が重視されている時代に、外国人看護師がいようといなかろうと、まず日本人看護師が会話という身近な手段も行使できないのはトップの指示に問題ありということだろう。

カズーもシゲさんを思うからこそ、病院の対応に不満をぶつけているのだろうが、昨日は帰りの車中で「姉ちゃんは批判だけじゃないか。もっとどんな環境であれ<良いところを積極的に見つけてごらんよ>、姉ちゃんが筆談の文字が読めないとシゲさんにぶつけたり、帰れば看護師の対応がわるいという不満ばかりぶつけるのは、結果的にシゲさんに影響が及ぶということだよ」と。

カズーももう気持ち的にも限界点を超えているのだろう。
それもよくわかるが、筆談の文字が読めないのなら読めるように努力しなさい!ということだ。

その証拠に、
昨日、シゲさんとの会話で(筆談)彼は必死に僕には自分がどんな手術を受けて、いまどんな状況の痛みに耐えているということを必死に流し字で書いている。
僕は書道の先生ではないが、そのくちゃくちゃの文字は読めた。
わからなくても耳は正常だし視力も正常なシゲさんだから、「うんうん」「そうだね」と相槌を打ったり、笑顔で話したり・・・。

<痛みと必死に戦っている本人に「聞こうとする気持ち」「理解しようとする(優しい)気持ち」を伝えないでどうするんだ!と家族には言いたかった。

昨日、朝一でカズーと電話で話した時に、急に電話口でカズーが泣いていたのだが、そのわけは、
おととい、疲れたカズーに代わって息子夫婦が見舞ったらしいが、まだ痛みと絶え間ない去痰の苛立ちの中で筆談で「明日はカズーの誕生日だから、みんなでカズーに何か買ってやってくれ」と伝えたそうだ。

「雄規くん、うちのパパは意外と優しいところがあってさ」と。
「ふ〜ん、姉ちゃんは今頃気付いたの?」と。
「俺はシゲさんと親しく話すようになってからずっと思ってたよ」と。

その亭主の愛情に涙したカズーが午後になると「まったくもぉ」と鼻息荒くするんだからね。情緒不安定か統合失調症か?と。(笑)もしかしてヒステリー症候群??

そう。
6/24はカズーの71歳の誕生日。もちろん僕らは忘れたこともなく。
******
一方で、いままで無関心で自由奔放だった息子と、何様と思われるような嫁が息を切ったように「シゲさん」に密着状態だ。

昨日も17時過ぎに病院に息子から電話で「お母さん、病院なら迎えに行こうか?」という。
シゲさんの屋上の家庭菜園と玄関先の花壇の水やりも嫁がしているという。
(え?何かあったか?)
でも、気付いて動いてくれるようになってよかったね・・なのだが、自分としては「そのようにできるのなら、なぜいままで引っ越しや仕事が大変な時に手出し出来なかったんだ」という怒りでいっぱいだった。

これから改善されれば良いのだが。

*****
大切なこと、ここにもある。
<人間、いくら高級ブランド品で着飾っても、本性がそれなりに伴わないのなら人は見向きもしなくなる>

<世の中、日進月歩の時代。仕事でもプライベートでも同じことを粛々とこなすだけの向上心もないものは間違いなく取り残されるし、仕事なら淘汰されてしまうだろう>と。

どんな辛い状況であれ<笑顔>をうそでもできるように心がけているだけで、気の流れも間違いなく変わっていくものだ。
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#679 ある病院への決断

2015/06/26 04:59

先日、自分の持病の高血圧症、脳軟化症(ちがう!)などの定期服用の薬をいただきに今までと違う**記念病院にはじめて来院させていただいた。
実は私と同い年の**工業病院にずっとお世話になっていて、もっと前はメインの総合病院の窓口になっていただいていたのが、仲が良い一つ兄貴分の兄貴先生が川口市立医療センターにおられて、そこで持病の薬を2ヶ月に一度の診察でいただいていたのだが、3次救急病院ゆえに急な不調には**工業病院のタカシ先生にホローしていただいてきた。
しかし、
兄貴先生は都内の病院に、タカシ先生は**記念病院に転出。そこで工業病院の内科の引き継ぎ医師に別病院への<紹介状>をリクエストさせていただいて今回に至る経緯です。

彼は内科の看板を掲げているものの、実は救急部のプロである「総合診療医」であることもあって、工業病院時代もツレの股関節置換のオペについてのきっかけを作っていただいたのが彼だった。

ユーモアもあり、説明がわかりやすく、融通も利き、患者からの感想では普通の医師ではここまで考えていた下さらないだろうという部分まで順番で呼んでくださるまえにはしっかりと治療のことについてもわかりやすく準備していてくださって。
(これはセンターの兄貴先生も同様。付属診療所長時代も血液検査結果が外注先から届くと私の分まであらかじめ気に留めていてくださって心配してくださっていた先生だった)

タカシ先生の外来は週に1日午前中のみ、あとは病棟や救急専門ということだろう。半年以上ぶりに待合室ですれ違ってお互いにニヤッとしたわけだが、今回は自分の処方薬の依頼と、ツレの股関節のオペの結果報告、父のかかりつけ病院が前院長の急逝で新院長が入院と救急を廃止したことから、万が一の時に入院させていただく病院を探し、タカシ先生に父のことをお願いに参上したというわけだ。

「祐子さんは足の具合どうですか?肺血栓塞栓症の薬はリクシアナかなあ?そうとすると半年以上はのまないといけない薬ですよ」
・・・おいおい俺の記念病院初診のカルテの最初に「祐子、リクシアナ服用・・・・」と書き込んで「おいおい先生、違うだろ(笑)」とこんな具合。
工業病院の電カル(電子カルテ)記載時代も「待合の時間、外で缶コーヒーのんでた」と書き込んで・・・(違うだろ!!と)

でも、
正直に不安なことをぶつけやすくなるという不思議な力を持っている彼で、お父さんのことは点滴や処置が必要だったらいつでも連れてきてくださいという「ことば」が患者にはどれだけ救いになることか?

診察の合間に、病院事情についての情報も私の場合はある意味で専門分野の情報まで熟知しているものを彼もわかっているので、オフレコのネタも交換できたりする。

まだ40代の頼もしい弟分であるが、それだけに限られた時間を割いていただいての診察だからと、ただ風邪を引いたのでということだけで受診は失礼にもなることから、受診時には受診時状況報告カルテというレポートを1〜2枚、どこの病院にでも誰が患者でも書かせていただいている。

電カルの病院なら、データをそのままスキャニングしてくださるのも方法で。

でも、
今回、異動された彼を追いかけるにはいくつものわけがあり、異動直後のM先生は引き継ぎ後も患者の目がみられないで会話もできない先生。2ヶ月後にわたしもやめることにと「循環器のS先生でいいですか?」と尋ねてくるので「先生におまかせです」としかいいようがないし。

結局、工業病院の内科医師で最もこの春から外来担当を多く担っているS先生との初診時に丁重に挨拶を(わたしが)したものの、いきなり「あなた、この薬はなんでもらってるの?」「この薬は長期に飲む薬じゃない」と八つ当たり。これには普段なら「おまえ!もう一度言ってみろ!」と昔のわたしなら院長なり医事課長クラスを呼び込んで締め上げるものだが、この医者は呼吸器系の抗生剤である「クラリス」は1日1Tを定期服用可能な処方薬という基本的な薬剤情報も知らんのだと、おまえに頭を下げてまで診てもらうほど俺は落ちぶれていないとばかりに、「先生、患者のわたしにぶつけられてもわたしは医師ではないので困るからね、お手数かけますがこの薬等の処方薬を担当されていたタカシ先生が記念病院におられるので、紹介状書いてくれよ」と「俺はわかる医者に診てもらいたいからよ」と。

S医師がきれたくなる事情も実はわかっていて・・・。
前任のM医師が引き継ぐにも電カルは「空欄」のままだったわけで。
いわば<丸投げ>で、循環器専門医は呼吸器はしらね〜というのも変な話だが、ここのところ工業病院は建物は新規になっても昔からの医師は次々に姿をなくしている。内科だけでもこの半年で4〜5人がいなくなったし、皮膚科も眼科も交代制になるのも時間の問題。院長が代わってから加速。

親しいスタッフに聞いても警備員に聞いても中には「この病院にしないほうがいい」とまで。

経営存続のためにはそれなりの妥協案を飲む必要があるのが経営だが、ある参加病院がまだ数病院の病院ネットに加わってメリットがあることを伝えてきたり、事務スタッフが病院の雇用でなくスタッフ派遣会社に籍をおいて従来同様に働いておられる。
しかし、新規に採用?された女の子は(ほとんどが女性)マニュアルがっちがちで、事情はこちらがわかっていることもマニュアルを朗読してからでないと先に進めてはいけないという誤解をしていてよく「いいかい、主人公はあなたじゃなく患者様だよ。わたしはまだ最初だからねと我慢も容認もできるけれど、お年寄りは不満を言いたいとか自分のお願いを聞いていただきたいのにここまで言っちゃったら先生やみなさんに診ていただけなくなるということで「泣き寝入り」の人も少なくないし、マニュアルよりも患者さんとくにおじいちゃまおばあちゃまが何を求めているかを観察して手を言葉を差し出してあげるのがあなたのお仕事じゃないかなあ?」と。

お節介極まりないが、自分の「お気に入り」の病院ゆえに、スタッフがかわろうがシステムや支援団体が変わろうが、患者が残念だと思ったら他の病院に行けばいいというのは理屈上も人道上もおかしいこと。

勘違いかもしれないが、患者様の声でクレームよりもありがとうメッセージを投げているので、スタッフの皆さんは昔からですからわたしのことは認知してくださっていて。

高齢化社会で、絶対に通うことになろう総合病院が、医師本人のコミュニティー障害、つまり会話ができない・配慮ができないとなったら、教師同様に医師国家試験の判定基準にも会話能力は必須とすべきと思うのだが。

おそらく内科のS先生も優秀な正義感あふれる医師だとわたしは冷静に確信したのだが、病院のなあなあムードを改善しようとされているお気持ちもわかるだけに、前任のようにカルテ書式の<S><O><A><P>とある程度ストーリー性のある誰が代診されてもある程度のイメージが描けるようなカルテさえもかけないことに彼は憤慨しているわけで。

よくなった面もたくさんあって、スタッフさんたちとよかったですね〜と笑顔を交わせるようになってきたのに、知らない人はなんでこんなにたくさんの先生が交代なの?という話題にもなっていることだろう。
整形外科の院長歴任の先生まで工業病院を去られている。
技師や薬剤師のみなさんはほとんど変わらず気持ち良く病院を支えておられるのに。

わたしもまだ耳鼻科と皮膚科に籍を置いているが、声帯ポリープの切除術も工業病院を希望していたが、以前に喘息の既往歴があるのでオペ中に呼吸器内科の先生の立会いを耳鼻科部長が頼みたくともこの4月でやはり長年勤務されておられた呼吸器内科の先生も辞めてしまい、止むを得ず済生会川口病院でオペを受けたわけで。

勤務事情もある程度は理解しているので、人間性まで担保できない激務なら責任社会ゆえに長続きしないということも熟知出来ているが、主治医の交代は医局の問題だけではなく、一番注目していただきたいのは<患者が主人公>であるということ。

高齢者擁護論をわたしは叫ぶ立場だが、よい高齢者ばかりではないことも事実。
カルテに<M>マーク、「問題患者のMだ」をラベリングしたいと思う医師もいるだろう。
しかし、
医療技術にとどまらず、全人的に観察してフレキシブルに診察できる能力も医師には必須条件だと思う。金も勉強も人以上にかけてきた資格ですから、わたしも「先生様」と言いたくなるくらい尊敬の念でいっぱいだが、階級社会の典型ですから大学病院での上下関係はすごいことになっていることも事実。

きれいごとばかりではないが、どこの社会に行っても<人間と人間のふれあい>が基本であり永遠の共有点だということを忘れてはいけないと思う。

ここの病院もいずれ「表面化」してくると思うが、「お気に入りの病院」が評判を落とされるのは残念だ。
世の中、いいことばかりではないから。

でも、今回記念病院に乗り換えたのも苦渋の選択だった。

以前から異業種間交流の話題で、お寺さん・神社・役所から量販店の会社や個人経営店までの「よくするプロジェクト」とばかりに時間があれば仲間に入れていただいて自己研鑽と同時にみなさんが吉川さんはよいことも悪いこともキチンと伝えてくれる人という評価??をいただいていることもあり、当事者が言いにくいことは遠回しにでもソフトに伝えさせていただく方法をみなさんと考えてきました。

共通点は、
<管理者なり筆頭になられている人たちが、現場で底辺部分で汗水流して支えてくださっている皆さんの気持ちを共有できているかいないか?>とか<その組織の主人公は誰かということをトップダウンで理解できているか>だと思う。

今の若いもんは自己中心的だという批判や愚痴は通用しない時代。
だってね、当時の若いもんがもう60~70だから。
横断歩道を赤でも平気でゆっくりと渡るのは若者よりじじいばばあが圧倒的に多く、車を止めても「ありがとう」が言えない。

これが現実。

安倍首相ももはや病気と思えるように自分を見失っているほど支離滅裂だから、運命共同体は勘弁と思うが。

オリンピックもいいだろう。
TPPも憲法改正もとことん議論すればいいだろう。
しかし、
マンマインドというか、モラルというか、日本人の和の良ささえ潰されていくような劣化極まりない世情だ。
所詮、人間のやることだ。
一度に責任ある決断ができる方がおかしい。
問題解決にはまず<徹底した現状分析>からはじめ、憲法改正のように言い悪いは別としても従前の制度から<逸脱>するためには<現状>を徹底的に分析することができないと砂上の楼閣にもなる。

詳細は評論家の先生に委ねたとして、
この病院の現状、お寺さんの現状、町会の現状、介護の現状など、経営面から決断が先になることもあるだろうが、そうであるのなら決断後でもよいから徹底した現状分析ができる環境をトップは考えるべきだと思う。

蛇足だが、
菩提寺に用事があって、昨日も社務所を尋ねたら、御膳が社務所の書類棚で探し物?をされていたのか?いつものように無表情で・・・
「おはようございます。いつもお世話になっております」と帽子を取って挨拶するも、目前にいて振り向きもせず<無視>を決め込みやがって・・・。
わたしを警戒している息子は窓口に飛んできて「お、はよう・・・・」(聞こえねえよ!)ってな具合だ。

わたしはカチ〜ンとくることが日常茶飯事でも、ツレとともに「大人の対応」だから、間違っても睨まれる覚えはない。
檀家さんの知り合いからの評判も地に落ちていて、近隣のお寺さんの僧侶からの評判も同じようなことを本人たちは知る由もない。

携帯電話ではないから菩提寺の「乗り換え割」はないが、あるのなら行使したい。
しかし、工業病院とともに「お気に入りの由緒あるお寺さん」とならば、いずれ世代交代した時にお手伝いのボランティアさんがどれだけ残っているかと思うとぞっとするほど。

もちろん、このお寺さんを去られたひとも少なくない。
他にも全国?津々浦々知り合いのお寺さんとのおつきあいもあるが、劣化してしまっているのは菩提寺だけではないことも事実。

どうするんだろうね。

世界中で点数稼ぎとは思わないが、他国に膨大な援助をするほど日本国民は豊かなのか?と思う。金だけでない、心もだ。

わたしもことし57歳。あとせいぜい30年だろう。
これからどうするんだということまで考える価値はないかな??

あ、それこそ「自分だけよければいい」という典型になっちまうか??(笑)
そんなこんなを考えながら目を醒ましました。



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#678 祐さん体験型遠足<栃木県益子町 編>

2015/06/26 04:55
おはようさん。
祐さんの経過観察通院日を目前にして内緒ですが、受診時カルテにこのひと月の報告を主治医に報告するために、歩き方などのいわば自動車教習所の仮免のみきわめを出す出さないみたいにヘトヘトですが、公休日に遠足を強行(笑)
体験遠足シリーズで、栃木県の益子まで。勿論日帰り280km。
ろくろ体験に行きました。
流石に美大生だった祐さん、出来た作品はスンゲーぞ⁉️(笑)
先日の和紙すきも吹きガラスも初めてと思えないほど。
一時間半でマグカップ、花器、湯のみの三個製作。仕上がりは2ヶ月後。
忘れた頃にやってくる、、災難(笑)
しかし、
それだけでは終わらせない。
益子なら真岡鉄道とJR水戸線。
撮影にも行きました。自然に恵まれた風景や益子の街並みも。
一昨日は、父の日に長く頑張ってくれた父の家の炊飯器を新調。2時間ほど父の夕飯に付き合い、、これがまた疲れるワケで(笑)。真面目な話題の中でチャチを入れてきてアカンベーをするから認知症では間違ってもない!
帰りにアオキ加須店の親友にフリーペーパーを届けたら、地元加須と羽生の町のTONEJINとねじんと言う地元紙の編集さんと知り合い、四人で地元のお店で情報発信のスキルを討論会。
盛り上げるには、現状を分析した上ではじめて逸脱と言う独自性がうまれると言うお話をさせていただいて。
創造性に富んだ思考や動きは気持ちをワクワクさせるものです。
しかし年齢には勝てず💦。え?吉川さんまだ56ならだらしねーなあと言われますが、ざけんなよ(笑)お前らとフットワークが違うぜって。
川口から益子、笠間稲荷は日帰り。長野善光寺も愛知の豊川閣も日帰りの範疇。観光バスのドライバーの友人に比べたら負けられないもの。
しかし、度重なると昨日も夕飯の味も分からず撃沈でした。
これから通学班のお見送りです。

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#677 第3回ハイム七夕飾り

2015/06/26 04:50
2015/06/21
今年もハイムの七夕飾りがスタートできました。3年目です。早速短冊に「お花屋さんになりたい」と書いてくれた一年生のいちかちゃん。毎朝、私も通学班の集合場所まで一緒に行きますが、お花に水やりをしてくれたり、、。子供達とお花を育てようねと地味ですが続けていることが彼女のお花屋さんの夢に繋がる小さなきっかけになってくれたとしたら、こんなに嬉しいことはありません。


(写真アップ準備中)
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#677 シゲさんの大手術

2015/06/20 06:49

おはようさん。
昨日も「文化的」で充実した1日でした。ここのところ篆刻展やガラス展の見学にいく機会に恵まれていること、至福な時間です。
その夜に自宅に戻り心配していた人からの電話を受けまして・・・。
昨日は70歳の従姉妹の旦那が咽喉?ガンの再発による再手術を受けた日でもありました。どうも納得がいかぬ最初の摘出術が2回もあったり、短期間で再発というのは喫煙をしない旦那には気の毒としか言いようがなく、声帯だけでなくリンパや食堂部分にまで影があったということもあり、声の喪失だけでなく咽喉の部分を大きく切除ということにより補填部位には肩から、肩を補填するには殿部からという5時間にも及ぶ大手術だったようです。
昨日20時過ぎに従姉妹のカズーから電話あり手術の経過等を聞きまして。
現在ICUに収容されていて2週間ほどの経過観察と。その間に副作用的な症状も出てくることもあるのでその時は適切な処置をしますとのこと。

カズー本人は冷静を装って自分がどうすることもできないからと。

「姉ちゃんさ、シゲさんのことはプロである主治医の先生方にお願いして信じて待つしかないから、どうしても潰れそうになったらいつでも来てよ」と。
一人息子夫婦が同居しているものの、お寺さん親子と同じように実父(義父)の大変な事態を十分に認識できていないきらいがあり、昨日はどうだったかわからないが、我関せずを決め込んでいたことに業を煮やしていたわけで。

「僕らもね、入院した一昨日から手術の日まで気にしていたのだけどね、子供がいないわけでないからさ、いくら近い親戚でも踏み込んで「どうした?」と聞くことは意図的に避けたんだよ。言っていたように何かSOSが入ったら急行できるようにはしていたけれどね。ごめんね。姉ちゃんから連絡が入るまでは黙って待とうって」
昨日の電話である意味でホッとした部分もあるけれど、年齢的には心配無用と思っても、今度こそシゲさんから発する声は聞けなくなる。部位移植を2段階にも及ぶopeを受けたとなると想像を絶するダメージも懸念されるし、ガンがリンパや食道に及んだとなると素人でも全身転移の可能性も小さくはない。

アナフラキシー状態に陥ると命も心配になると、ある意味で僕としては事実として仲の良い兄貴と弟分の関係で、どうしたらシゲさんの力になれるか?をこのひと月ずっと考えていて・・・。

前回のオペの時も神様仏様頼みとばかりに何度となく菩提寺や祖先にも手を合わせてシゲさんのご加護を頼みこんでいた。一昨日から間に合わなかったので今日これから写経をして為書きにシゲさんの傷病平癒を祈願してこようと思っているものの、自分がどのようなことでシゲさんに役に立つか?今回の自分に与えられた課題は難題だった。

しかし、
そんな思いが通じたのか?先日の日曜日の町会の資源回収の日の朝にマンションのゴミステーションで準備をしていたら、シゲさんが自転車で父に届け物に来てくれて再会。
「まだ回収車来ないのかい?」
   「いつも10時過ぎなんだよ」
「俺はもう出なくなっちゃったからな(笑)」
   「いいんだよ、俺もここでしか参加してねえし」
   「それよりも、シゲさんさ、俺ができることはなんでもするからさ、元気出してよ」
「(笑)」
この会話をお互いにニコニコしながら交わしたのが手術前の最後だった。ということは、シゲさんの肉声を聞けるのは最後ということだ。

いくら最新の医療技術レベルの発達により、つんく♂さんのように人工咽頭で発声が従前と比べると容易になったとはいえ、移植も経験し、食道にも浸潤した?となれば食生活も影響が出るだろうから、かなりのストレスになることは間違いではない。

以前にも声が出にくいということも含めて家族には当たり散らしのような雰囲気もあったと聞く。
妻であり従姉妹であるカズーはそばにいられないと仕事の関係と就寝時間のズレもあるということから寝室も別と聞いたことがあるが、僕がシゲさんなら迷惑をかけることはあるだろうが、妻にはそばにいて欲しいと思うと思うのだが。

息子も嫁も同居であってもシゲさんに付き添うこともないので、僕としてはせめてシゲさんの話し相手になりたいと思って何かと誘いの声を投げていたのだが。

先日の超思いつきで(笑)新車でシゲさんの実家に自分のガラガラ声で兄弟を招集した上で自分もカズーを乗せて今回の手術に至ったpet-ctの診断結果を受ける直前の3日間に川口市から長野市・更埴市付近の実家まで運転していったほどだったが、もう健気にもシゲさん本人は「自分の運命」を悟っていて、その長野行きの前にも思いつきの連発でカズーを能登半島・秋田方面・箱根方面に電車で旅をしたくらいだから、腹を決めていたことも事実。
それを思うと、なんの悪いこともせず人の為に不満言わずに黙々と力を注いできたシゲさんがなぜ?とぶつけたくなる。

日曜大工の時に左手の手首をあわゆく切断寸前の大怪我をしてから、僕も左手の指が障害という共通点で、シゲさんの現場仕事に付き合って一緒に門扉の交換作業を教えてもらったり、友人の病院の看板を新規に取り替える時も、パネルの発注は祐さんの会社の関連会社さんに分けていただき、設置工事もシゲさんを動かすと高価になるからさ(笑)として、なんと設置工事デビュー戦で僕がシゲさんから工具等を貸してもらいパーツは「持って行けよ」と分けていただき、教わったようにパネルを建物本体部分に設置する工事は全て僕が施行したわけで。

「シゲさんのいい教えを忠実に守った僕の成果だね〜」
「いや、工具の性能がよかったんだろ?」
「やかましいわ(笑)」という具合だった。

口数少ないシゲさんは、手を怪我してからパソコンを購入。当時のOSはWindows VISTAという難儀なOSでしたが、いくらカズーの従姉妹の旦那が教えてくれたとはいえ、初心者がパソコンを始めて半年足らずでワード・エクセルを概ねいじることができるようになったという向上心には勝てない。

そんなわけだから、僕が鋳物製品の納品にトラックを運転中に電話が入ると決まってシゲさんで、「雄規くんさ、エクセルで作った見積書のフォームをこのように作り変えたいけれどどうしたらいいんだ?」と矢継ぎ早に。

「し、シゲさんさ、ちょいとまった!いまさ、赤羽だけど羽田に納品して戻ったら事務所に行くから待ってて」
「早くしてくれよ」とこんな具合。

また、
都内のお客様の門扉とブロック工事のために軽トラックで行くと聞いて、機種変した前のナビをプレゼントして設置したものならもう夢中で。
「雄規くん、これさ、ダンプにも使えるのかい?」
「ダンプは24Vだからね、そのままでは使えないので4000円ほどで12Vに変換する弁当箱のような機械をイエローハットで売ってるから、帰りにイエローハットでシゲさんが来店したら教えてくれるように伝えておくよ」と。
その日の納品の帰りに2トン車でイエローハットに。
「吉川さん、シゲさんはもう随分前に購入しておかえりになったよ」と。えっ??

セッティングも自分で出来てた(笑)
こんな子供っぽいシゲさんも僕は憎めず大好きで・・・。

こんなエピソードを書いたらキリがない。
息子40歳でも嫁とも殆んど打ち解けた会話はない代わりに、近所だから僕や祐さんが遊びに行くと「ヘヘ」と言わんばかりのツッコミやボケもかましてくれた。

最初、川口の済生会病院や板橋の帝京大学病院に入院した時も、時にほぼ毎日のように毎週末のようにシゲさんの病室に遊びに行った。
僕のポリープの時のように、沈黙療法?の時の筆談ボードのペンのインクがないから買ってきてというリクエストにも、大抵の入院患者さんはすぐでないと不満になるものですから、翌日に新規にホワイトボードとペン、去痰の時に使うだろうゴミ袋や手を汚した時にとウエットティッシュなどを買い込んで病室で寝ていたシゲさんを起こして渡したら、うんうんとすぐに筆談するものの、次にニヤッとしてかいた文字が・・・

「人がせっかく気持ち良く寝ていたのに起こす奴があるか?」と。
「やかましいわ」とゲラゲラ。

少しは会話できるぜと、男同士病室で「バラの育て方」を教わっていたのだが、「シゲさんさ、そろそろ帰ってまた明日来るよ」とデイルーム前経由でエレベータにと思いきや「もう帰るのかよ?」と。

パソコンの操作の質問だった。
結局、色気ないやろー2人がデイルームで90分も追加で雑談。
(こんな話好きのシゲさんだったかなあ?と)

そんなこんなの話題だが、
私の父(83)にせよ、シゲさん(70)にせよ、叔母の美代子ちゃん(78)にせよ、ドーデモイイ会のマサオさん(78)にせよ、話し相手が欲しいわけで。

今回のシゲさんは、まして快癒して退院しても声がない。
話したくとも自分の声で話せない。

残酷すぎる現実だ。
おまけに、今回は従姉妹のカズーも支えないといけない。
(もちろん、気持ちの面ですが)

父の健康状態も安定、ツレの祐さんの股関節ももう外れる心配はまずないレベルに。自分も声帯ポリープはクリアー。
・・・となるとシゲ&カズーに集中できるかもと。

<油断大敵ですが、自分たちの健康状態を担保し続けるにも努力は欠かせない>ことも心得ておかないと。

タイミングは考慮するものの、いまイメージしていることは、
1)高齢者のみなさんのiPad講座
2)月に一度程度の半日日帰り遠足
3)デジカメで風景撮影の教室  
4)自宅特設宴会場(笑)でのカラオケ
5)参加してくださる皆さんとの定期的な懇親会・・・・・等々。

僕はパソコンやデジカメの素人。
しかし、素人でないと見えにくい学習法ってありますから、本屋さんで売っているハウツー本のコンテンツ順をぶっ壊して・・・。

夢は果てしないですが、
僕でもできないことはないと思うのですが、肝要なことは<継続する>ことができるかだ。
<継続する>ためには、日常生活のライフサイクルに完全に埋め込むことができるかということだ。

朝起きてまずトイレで用をたし、歯を磨き、朝ごはんという流れに組み込めれば苦痛もなく自分のものになる。
「億劫」という魔物を払拭することができるようなカリキュラムというかシラバスが描けるかだ。

かっこつけているようですが、いずれ父が寝たきりになる時が来ても、相当な負担になろうがライフサイクルに組み込めたら負担軽減にはなる。
父に口すっぱく言っていることですが、
「じいちゃんのお世話は喜んでさせてもらうけれど、僕はまだ還暦前の現役だからね、専属というわけにいかない。でもできる範囲で一生懸命にお世話させてもらうから<気持ち良くさせてほしい>と」

怠け病のしわ寄せは断固糾弾と。
厳しいようだが、「基本的生活習慣」を担保していくことは、じいちゃん本人のリハビリにもなるしQOLの向上にもなるわけだから。
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#676 徳永英明コンサート

2015/06/07 07:35

おはようさん。
途中で投稿ボタンを押してしまうほど<術後の倦怠感>なのか?単なる<気温の昇降に体がついていけない>からか?まずよく寝るし、熟睡後に気持ち良く目覚められず悶々と疲れを肩に背負っているような状況。

今日は2年ぶりの「徳永英明さんのコンサート」。
彼はコンサートツアーを川口の総合文化センター「リリア」メインホール(2000名収容)からスタートされている。
「コンサートに備えて十分に寝ておこう」と昨日は夕方から24時過ぎまで爆睡のあと入浴してまたベッドに。

コンサートというと「セットリスト」という歌った曲目を曲順にホールのエントランスに掲示されるのだが、コンサートを終えると会場の皆さんはこぞってセットリストの撮影に走る。
「東京国際フォーラム」の時もだが、フォーラムホールAの時はおそらく5000~6000名は会場に足を運ぶだろうが、セットリストの掲示はなぜか1枚。大混乱に巻き込まれる。

僕のミーハーな部分だが、自宅に戻るとすぐにセットリスト順に持っている徳永さんのCDのデータをセット順に組み替えたCDを作ってツレに渡す習慣になっていて。

最近はiPhoneでiCloud経由で会場近くの駐車場で車を出すまでにはiPhoneにセットリストフォルダを瞬時に?作れるので、会場から自宅に戻る途中は同じ歌った順に同じ曲を聴きながら帰ることができるというわけ。(いい歳をして典型的なミーハーだが)

最近では、5分以内で作るトライアルなんていう意味のない(笑)課題を自分に課したりして・・・。

彼の音楽に魅力を感じたのはほかでもない。
彼は40代に「もやもや病」という確か脳血管周辺が画像上雲で霞んだようにモヤモヤしていることから「もやもや病」という命名がなされたのだが、一時歌手活動を休まれてまた50歳近くになって見事に復帰された私の3歳年下の歌手。

自分も同じ時期に長期間病床に伏していた時期があり、私の場合45歳に復帰して今のように元気に過ごせているという点で共通点を感じたこともあって、、、。

TIAという虚血性一過性障害の患者である友人も数人知っているが、気をつけないと致命傷にもなる病気を克服されて「vocarist」シリーズで一世を風靡された。

今は様々な歌手の皆さんが伝統的に愛されてきた楽曲のカバーアルバムをリリースされているが、そのパイオニアになったのが徳永さんだと認識している。
(最近はちょいと商売主義に走っているなという嫌悪感もでてきたけれど・・・)


会場にいくとおそらく80%以上が女性だ。
リリアの場合、男性用のトイレのほとんどが「臨時的に女性専用」に変わるので、おしっこに行くには3階や1階の片隅まで走っていくことを求められる。(笑)

個人的にはカバー曲よりも徳永さんのオリジナルをガンガン歌って欲しいと思っているのだが。
学生時代から、、、、
八神純子・渡辺真知子・アルフィー・キャンディーズとよく聴いた桃だが、最近はこれに徳永英明さんが加わり・・・。

自分もマイクを持ってカラオケという場面や神社のカラオケ大会から地区の文化祭のステージにも乗らせていただいているものの、どちらかというとパワフルな発声が特徴の自分だから時にチューブの前田くんのような曲にも挑戦することも。

徳永さんも特殊なキーで歌っているものですから、キーコントロールを−6くらいに設定しないと歌えない。

人生初めての声帯polypは歌いすぎか?耳の遠い父が補聴器を装着することも面倒なことをするのでどうしても声が大きくならざるを得ないことが主原因と。

最近では、大きな声で歌うのでなく、声量を抑えた分、tempoもandante程度に抑えたり、声量を抑えた分、ビブラートをかけてみる練習をしたりで・・・。これも自分自身で加齢を受け入れてきた証なのかもしれない。

前回紹介した叔母もカラオケに夢中。
お邪魔させていただいた時も、プレゼントしたカセットレコーダーで歌い始めるとカラオケ教室になったり。
「怒鳴るのでなく、歌詞に忠実に表情をだすようにね」
「みなさんと一緒に歌う時は<目で聞いて耳でみる>ようにね」

長年、合唱団の指揮者であれこれとまとめてきたノウハウだ。

さ、
今日は徳永さんのコンサートの前に「町会の衛生部と川口市のクリーン推進委員の先導で<目前の芝川河川敷のゴミ拾い>を初めて実施のようで。9時から1時間程度の参加要請が回覧板に。
5年前まで私も管理職で一緒に動いてきたどうしようもない先輩とずっと温めてきた行事。

地元の河川敷の美化活動は今までなかったこと。
また、地元には庚申塚や馬頭観音があるから、僕も月に一度の町会美化の日に数人の当番を作って清掃をしようというビジョンを持っていたのだが、それも女町会長の暴走で私は辞任したのでお蔵入り。

クリーン推進委員長のエイボー先輩も僕の町会本格的デビューの師匠でもあるが、70後半になってどうしようもない輩に入っちゃったので私はもう師匠とは思っていないものの、彼と二人で温めてきたイベントをスタートとなると時間的体力的に許せば参加したいと。

<どうしてじじいばばあになると底抜け脱線ゲームになるんだろう>
<かわいいじいちゃんばあちゃんになったほうが皆さんが立ち寄ってくれるのに>

これは父にも説諭していること。

わが西町会も新体制2ヶ月目。早くも内部抗争のお噂が。
「無責任だよな」と思う。

決して上から目線ではなく、このままだと町会が劣化・消滅してしまう。

私に現町会長の金物屋のマサから電話があって・・・。
「吉川さん、今年は5年に一度の国勢調査なんだ。町会から22名の調査員をお願いしたいのだけど、吉川さんやってくれませんか?」と。

「ごめんね、俺自身も声帯のオペから快復期に。ツレの足のリハも主治医からあと2年と。83歳の父のこともあるから無理だよ」
と可哀想だがバッサリと断った。

私も随分前に国勢調査員は経験している2回も。
業務自体が異常と思えるほど大変な負担であることと、私の70歳の従姉妹であるカズーを女町会長の時に推薦して尽力してもらったものの、女町会長もマサも使う時はないてでも頼み込んで助けてもらうものの、最終的には「裏切り行為」のようにどうしようもない輩の意向で恩を仇で返した男でもある。

私と同世代ということもあり、個人的にも交流もし遊びにも行った。でもアドバイスとなると町会顧問であれ一切聞かないで自分の意向で進めて失敗する。

協力しようかという気持ちはなくもない。
しかし、常識から人情まで理解できないとか、自分で改革しようとする度胸もない男に付き合うほど暇ではないし。

<時間は自分で作るもの>
<重職に限らず何か仕事を担った場合は長期的なビジョンをもたずして成功することはありえない>というのがわたしの信条。

もっともっとわたしには大切にしないといけない人や仕事がたくさんある。

還暦までカウントダウン世代だから、自分の健康維持も含めたライフワークの精査をしていかないと。

それから、、、
今日の17時に圏央道「神崎IC〜大栄JCT」まで約25キロ?が開通する。
大抵の首都圏の高速は走破している自分だから、コンサートの後で成田空港のイルミネーション絡みでツレと初乗りして来たいなあとか・・・。


さて、
そろそろマンションのお花の水やりからキックオフ!
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#675 声帯polypの切除入院を終えて

2015/06/05 03:35
おかげさまで昨日10時半に釈放されました。沢山のみなさんにご心配いただきまして励ましのメッセージまでいただきました。ありがとうございました。
術前からのバイタルは良好。オペ室に自分で入りストレッチャーに横になり、モニターを装着から酸素、、と研修ナースに協力して、危なく「いてーじゃねーか💢(笑)」と突っ込むつもりが、右手第4指と第5指の間の血管が麻酔薬の点滴には良いと言う同期の副院長で麻酔医の千晴さんのアドバイスに「俺の場合は違う‼️」と心に言い聞かせ。穿刺のやり方下手すぎ〜(笑)
何故か担当医が20分以上も遅刻。オペ室でスタッフと歓談。おかしいだろ?(笑)
千晴さんから吉川さんそろそろ麻酔かけていきますね。、、かけ方も淑女的で、、数分後意識なし。
起こされた時の第一声。
「じゃあ、宜しくお願いします」と。
吉川さん、手術終わったよ、、と。
愛煙家だから、覚醒すると咳き込みが酷かった。読者の方で禁煙とうそついても身体は嘘つかないから、バレることは覚えておいてください。
オペ室出て、DSの控えコーナーまでベッドで出てきてからバイタルチェック。すこぶる以上なし。
吉川さん、普通はここで二三時間様子を見てから病棟にご案内するのですが、吉川さんはしっかりされているから一時間ほどで大丈夫よね?
俺に聞くなー(笑)
ナースの優子さんもみち子さんも同世代。何だか不謹慎だが同窓会でお医者さんごっこしている感じ。
おまけに祐子まで輪をかけて、、。
トイレも初めは尿瓶を使ったが、もう電解液と抗生剤の混合点滴も殆んど終わりだから外して自己歩行。
結局、一時間半のちに病棟に自己歩行。横になる前にデイルームで祐子と夕飯まで過ごし、一番気にしていた祐子をどのように帰すかだった。
タクシーでと言うが、病院前はもうタクシーがいないので、路線バスで川口駅まで行き、タクシー乗り換え。
バスに一人で乗せるのは初めてだから、転倒を一番心配していたのだが。
私はと言うと、、
19時に部屋に戻り横になるとすぐに安堵感よりも疲れからトイレに起きた以外は6時間近く死んだように寝た。
緊張したでしょ?とだれからも尋ねられるが、いつも言うように殆んど出産以外は医療行為を受ける経験はあるから、オペにせよなんの緊張はないのだ。
まして全麻ならば、痛い時には寝ているわけだし。
むしろ、
スタッフの皆さんから、ツレや家族、友人、知人のみなさんへの気持ちをムダにしたくないし、感謝する、したい気持ちが大きいから、一瞬でも開放されると死んだように寝てしまう。
起きたらもう2時近い。
iPadでニュースをチェックし、メールをチェックし、読破するつもりの本を読み始め、、。
しかし、水分補給はしないといけない。タバコはダメだから飴を舐め。
禁煙パイポをくわえながらスイッチオン‼️
気づいたらベッドテーブルに持ち込んだ筆ペンと葉書などで、葉書を7〜8枚書いていた。もう5時。
いつものように、日付が変わったからと6時には病院周りを散歩していた。
祐子を起こして病院前でタクシー到着を待ち、朝食を完食してDSに戻り退院診察、会計。
吉川さん。またDSを使ってね〜と優子さんから握手を求められ、DSのスタッフさんと笑いながら後にしてきた。
夜中に、いつもなら退院してからお礼のプリントを届けるのだが、夜中に作り似顔絵つきで渡したことから皆さんが喜んでくださって、、、。
みんなだって褒められたいよね?
だって、マニュアルがあれども過剰マニュアルに縛られて仕事の負担は増やされるも給料はむしろ抑えられだし。
まして50代半ばの世代は準管理職。
みんな必死に生きている。
批判はクレーマーにお任せして、僕は何はともあれありがとうと。
帰宅が遅くなり、マンションの子供たちも迎えてくれて、、。
小声だけならOKと言われたが。
自己責任でゆうこのこともあり愛車で退院してきたが、夕飯待てずにベッドへ。
飲み込む痛みはないが、やはり喉を掻爬されたのだから頸部の痛みはある。
6時間睡眠のあと夜中2時に起きたが、可哀想に、祐子は死んだように寝ていた。
入院前と退院後に、
仏様神様とオヤジ、祐子と菩提寺の墓前と地蔵堂にお参りしてきたが、やはり家族にまず礼を伝えるのも人の道。
きょう1日だけは安静にと思うが。
少しだけ、祐子を労ってあげないと。
たくさんのみなさんにお世話になれたことにも感謝。
ありがとうございました。
合掌。
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#674 父の大入浴(笑)

2015/05/31 06:54

おはようさん。
昨日は久しぶりに我が家208(実家108の真上)に父を拉致して(笑)暑くなってきたので夏モードで入浴させようと企みました。
午前中にマンションのお花の手入れでしたが、もう臭いを嗅ぎつけたのか?なぜか父はツレに直接電話をかけてきた。要は週末だからこないか?というリクエスト。
<息子の俺ぢゃねえのかいっ!>と。

昼過ぎに車椅子で迎えに行き、入浴の準備をしつつも、、おいおい、先に玄関外の車椅子に向かうな〜、、というノリノリ気分の父でした。

いざ208でダイニングテーブルに落ち着いたら、もう息子の家の粗探し(笑)。「この善光寺の本はどうしたんだ?」と言いつつ、風呂どころではない状況。
「じいちゃん、先に風呂に入るぞ!」とパンツ一丁で迎えに来るとツレに「やだね〜ぶくぶくした体はよ」と。

108の浴室は通常の倍近い広さだから、介助されても浴槽に埋まってしまう心配がある反面、「お前の家のユニットバスだとさ、足を投げ出しても沈没しないからいいよな」とご満悦。
「じいちゃん、頭からチンチン、足まで今日は俺が洗うぞ」と、いつもは烏の行水の父にとっては<拷問>になったかも。

いつもは一人で脱衣から部屋に連れて行き着衣まで私が一人でこなすのだが、赤ちゃんの入浴と同じように<二人三脚>で対応できると心強いもので。

医師ではないものの、僕はそれとなしに全裸の状態で父の「変化」は観察しているつもりだが、食が細い(実際は細くないんだが)から、若干痩せた感が否めないが、無事に入浴を終えダイニングに戻るときに<疲労感>は否定できないような父だった。

じいちゃん、冷たいもの飲もうとカン酎ハイをグラスに注ぐものの、なぜか<放心状態>に、布団を敷くから少し昼寝するかい?と。

気持ちよさそうに父は<永眠(笑)>した。
(私のところでは、ブラックと思われるような言い回しを敢えて積極的に取り入れて「笑い」を重視しているシステムになっておりまして・・・)

たかが10~15分ほどの入浴時間に、せめて月に2回は徹底的に体を磨こうとしているのですが、94歳で他界した祖母のお世話も経験したものの、83歳の父をみて「世代交代」を強く感じた土曜日でした。

しかし、
我が家のダイニングはビジュアルの機器を用意してあり、左を向くとテレビ等、右を向くとテーブルに大きなディスプレーで写真を見たり情報を見ることができるようにしてあるので、ときにはカラオケを楽しめたりと<男の秘密基地>になっているから、父を交えて<昔話>にも容易に花を咲かせることもできる。

実はなぜ昨日父を入浴させたかというと・・・
今日5/31は町内会の敬老会(千寿クラブと言います)の定期総会があるからで、父は現会長の前任の会長だった。
年齢的にも高齢の年代になっているのだが、我が町会の老害メンバーがこちらでも堂々と仕切っていて、風の便りだと父だけではないのだが、どうしても会場が急階段を上った2階で、トイレこそ市の施設を借用しているのに和式を洋式に変えていただいたとはいえ、最近の父のように<立つことも容易ではなく、トイレに連れて行くことも介助する方には富担になるという事実>もあるのだが、風潮として「手のかかる老人はもう来るな!」と言わんばかりの言動をする輩もいる。

前会長だからと投げなしの年金から捻出した<祝い金>も受け取ることは受け取るものの、ありがとうございますという言葉さえない。(もらって当然、だから何か?というような程度)

父の3年年上のハマさんも奥様から「吉川さん、本人はお父様が出るのだから俺も出席するというのですが、万が一粗相をしたら申し訳ないので、主人には黙ってでも私だけ参加します」と、いつも車で私たちが送迎させていただいているのを断られたわけで。

<なんで、散々世話になった先輩が衰えてきたら若いもんがそれを気持ち良く支えようとしないんだ!💢>

<お前らだってあと5年後は歩けないかもしれんだろ>
新たに入会希望者も、例の私の自宅の前のタバコ屋の女将が何を勘違いしているのか?事務局の身分で入会希望者を振り分けているとも聞きます。(気に入らぬ面々の入会は断っている)

このようなメンバーが今年度の元郷一丁目西の町会の執行部を占めていることで、私が知っている範囲でどれだけの貢献者が身を引いてしまったか?

敬老会もこの調子で運営側が手に負えなくなったら自然と淘汰することになりかねないわけで、生粋の元郷っ子の私としては断じて許せない事態であるので。

ツレと二人で相談して父には
「このような高齢者を厄介者というような所にはね、親父の気持ちも十分心得ている上で敢えて言うけれど、明日の総会はハマさん同様に欠席するかい?」と聞いた。

父は、、、、
<俺は出席する>と。<バンバン出世>だからそんなことはいいから出席する。

「わかった」
「じゃあ、早めに準備して会場に着く前にトイレでしこたま絞っておいて、深入りしない程度で帰ろう」と。
「俺たち、じいちゃんのそばについていてあげたいが、なにせ俺の立場だと目立ってしまうし、敬老会の会場に入り込むことはできないから、入り口まで付き添い、出口周辺で待機しているからね」と。

体は衰えたが、内臓や意識的には微塵も衰えていない。
僕も<正義の味方>感が強い男だが、その製作担当者の父も半端なく現役で。

******

どこの町でも多かれ少なかれこのような「勘違い」をしている輩が振り回していると耳にするが、<社会的立場>や<経験者>という勲章がどこでも通用するという勘違いが多く、問題は「その勲章が一切外された時でも皆さんと分け隔てなく仲良くできること、仲良くしていただけること」を意識化においた生き方をしているかいないかだ。

昨日も心地よい疲れで横になったが、「タケさんは、今度の水曜日に入院と手術を控えているんでしょ?」とお叱りがあるけれど、それすら忘れていたほど。

ツレのゆうさんにも「俺はさ、人生を「徹底したお節介」で生き抜こうと思うんだ」と宣言したばかり。

従姉妹70歳の旦那が咽頭癌?が再発と聞き、6/19に再度緊急手術とも聞く。
俺よりも彼を支えないと・・・・。

もっぱら、弱い立場の人間を見ると我慢できない性分で。





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#673 武州川口七福神30周年大祭記念法要に参列させていただいて

2015/05/24 08:04
昨日は菩提寺で<武州川口七福神30周年大祭記念法要>に父の代理で参列させていただきました。
厳かな雰囲気の中で先輩諸氏も参列されていたので時に緊張感が緩んだりと私は初めて記念法要に参列させていただきました。

七福神の存在は以前から理解していて墓参のたびにお参りもさせて頂いてきたものの、七福神全ていえますか?という質問には正直自信を持って答えることはできないのが私の醜態で(笑)
でも、
先週の信州善光寺のご開帳に際しての参拝で六善光寺の存在を知り、叔母の命日の墓参で改めて「お榊としきび」の違いを再認識したり。
<これで!いいのだ!>とバカボンの親父の名文句のように・・・。

私はこのような法要で手を合わせて経文に耳を傾けたり唱えたりということは勿論ですが、今回のように「ご法話」を賜ることができるチャンスには貪欲になるもので・・・。
今回も正覚寺の中野ご住職様からの「七福神のご縁をいただいて」という演題でのご法話。

左手の指が障害ゆえに、膝の上に資料を乗せてメモというわけにいかなかったので苦肉の策で(笑)iPhoneのメモアプリにご住職のお話しのキーワードやキーセンテンスを羅列するだけでもと、ご法話20分集中してひたすら日本語キーボードで打ち込んでみることにした。

*****
(今日、みなさんと私がこのような出会いがあったのは)勝つご縁と書いて<勝縁(しょうえん)>と言います。
*「縁起」これは釈迦の悟りの最たるものです。(ご縁)
*武州川口七福神の特徴は、寺院内にあること。
*福にあやかりたいという釈迦の教えに他ならない。
*ご縁、つまり釈迦が言われたご縁とは「余生(人生)を豊かにするご縁」福の神様、七福神。
*自分の想い願い煩悩、生きるエネルギー。
(七福神さまとの「勝縁」をつなげることができるか?)
*七福神のいるお寺の起源は中国・インド・日本ほか、世界巡りができる。
*アメリカの神学者、ラインフォルトニーバの祈り。マサシューセッツ州の山の中にて、、
「神よ、変えることができるものについて、それを変えるだけの<勇気>を、変えられないものについては受け入れられるだけの<冷静さ>を。
「見分けられるだけの<英知>を与え給え」と。
*天地自然の道理。因果によっておこっている。
*人生そればかりでない。「想いもよらない」ことも。

祈りの内容・・・。
人間は3本の棘(とげ)をもっている。毒のある棘だ。
「貪瞋痴(とん・じん・ち)」の3本の棘。
1)むさぼること 2)怒ること 3)嫉妬や愚痴のこと。
自分が人に刺しても<毒>だが、最終的には自分に降りかかってくる。

*私たちの存在そのものが<仏>であること。
これが釈迦の教え。「人生そのものを整えてください」と願いながらお参りをする。自分の「鏡」と思いながら。

150名参列。

*****

支離滅裂なメモだが、これだけでも当日の教えについてはイメージが容易にできると思って。

おしまいに般若心経を2回全員でお唱えするのだが、その際に七福神を安置されている寺院のご住職様から「お清めの散華(さんげ)」が撒かれる。恥ずかしいことだがこの「散華」という名称も初めて会得できた。

よく父だけでなく祖父母が自宅の仏様に散華が数枚供えられていたが、子供心に何だろうという疑問だった。

散華・・・法要をする際に仏様を供養するために「花」や「葉」を撒き散らすのだそうだが、<法要に散華を行うのは、華の芳香によって悪い鬼神などを退却させ道場を清めて仏様をお迎えする>ために行うものと。

調べてみると、
昨日の散華として撒かれたのは<蓮をかたどった色紙>だったが、この色紙のことを<華葩(けは)>と呼ばれるのだそうだ。

<華>はもちろん「花」だが、<葩(は)>ももともとは「花」を意味するから、華々しいという意味合いか??(筆者勝手に解釈)

********

法話・法要に落語会で約2時間。
先日の「三遊亭鬼丸師匠の落語会」も菩提寺である<錫杖寺>で開催されて楽しみにして参加させていただいたが、師匠はFM NACK5(FMさいたま)の月木の13~17時の4時間の帯番組である「午後者達」ゴゴモンズという番組をこの春で5年目というラジオヘビーリスナーの私が知っている範囲では噺家さんがラジオ番組のパーソナリティーを務められているかたたくさんいれども、平日午後4時間の「帯」を5年目になっても爆走中というパターンは聞いたことがないだけに、参加させていただいてからというもの、私は中学1年生からTBSラジオのヘビーリスナーを名乗るほどのTBSファンだが(テレビじゃない)鬼丸師匠との出会いから、月曜から木曜の午後は「赤江珠緒たまむすび」から鬼丸師匠の「ゴゴモンズ」に完全にチャンネルを変えてしまうほどインパクトあったわけで。

そして、今回の七福神30周年大祭記念法要も二代目柳家かゑるさんの落語を拝聴できたが、
<裏方でこの大きなイベントを支えておられる役僧のみなさん>の必死さと偉大さからも自分にとっては<大きな修行>になった。

主催側の代表を務められた菩提寺の御前ご夫妻親子も緊張感バリバリで勤めておられたが、それ以上に一番驚かされたのは、法要がおわったあと、本堂に七福神が一堂に供えられて「菩提寺の本堂でいっぺんに七福神が拝める」というチャンスですからと列の最後に並ばせていただき、ゆったりと手を合わせたいと。

最後に並んでいると、
協賛のお寺さんの若住職二人で椅子席の椅子を重ねて片付けを始められていて、「この椅子さ、ご奉納された方のお名前が前に来るように重ねるとあとで見やすいからそのように重ねていこうよ」と声を掛け合って片付けをされていたところに、先ほどのご法話を賜った正覚寺のご住職が作務衣に着替えられた姿で一緒に片付けに参加されておられたこと。

「左手が動かないから」と言っていられず、目の前の椅子から重ねやすいように名前の面を揃えて並べる作業をわたしは始めた。
菩提寺の住職は主催者ですから仕方ないとはいえ、息子は父親のアシストに密着も選択肢だが、時折本堂に顔を見せちょろちょろと動き回っているだけであるのなら、菩提寺の役僧がたはそれなりに言葉も出ないほど仕事の他に「お客様への挨拶やお見送り」にも必死だというのですから、息子は息子なりに同世代の協賛寺院の役僧と一緒に「裏方」と汗を流す配慮は何故できないのか?と、日常茶飯事のことですから怒りも慢性化したものの、菩提樹住職の息子が司会を務められたが、時折適切さを欠く話術に陰で協賛の寺院の役僧であるお兄ちゃんが苦笑していたことからも、伝統ある菩提寺の現職も後継者もわたしが知る限り、評判がよろしくないことは容易に納得できるものです。

おしまいに、本堂をあとにするときに、役僧のお二人はもちろんのこと、平服に着替えられた協賛寺院のご住職や役僧の皆さんに合掌してお礼を申し上げてあとにしたが、

<御前は、これらのイベントの裏方に「慰労会」はやられたのか?>が興味津々だったが、ある風の便りで「慰労会はやったけれど、参列者からの参加費を使っての慰労会」とも聞くので、日頃から菩提寺に立ち寄ってくれるように啓発をされている皆さんが子供達にお寺さんのお手伝いをして貰えばジュース一本、アイスクリームひとつでさえ出さなくていいと豪語するほどの節約家??である御前が「自分のために中にはボランティアで尽力された人にも慰労会に声をかけたとしても、自腹でなく参列者の参加費でまかなったというお姿は<勝縁>に反する行為ではなかろうかと。


わたしは、自分がどんな高い位置にいる存在であってもその存在を盾にするような姑息な手段は誓ってとる人間ではないと自負しているが、きのうは檀家総代長である父の代理で伺わせていただいていたわけで、御前の嫁さんと本堂の廊下ですれ違った際に、日常から頻繁に顔を出させていただいて儀礼もきちんとさせていただいている以上、知らねえとは言わせない嫁さんが無視してすれ違っていった醜態には驚愕だった。

息子ならば、親の背中を見るものとはいえ30代にもなろうものなら自分のするべき僧侶としての生き方はもうイメージできても遅くない。
社務所に伺っても社務所奥の大きなパソコンの画面に隠れるように応対もせず無言。電話がかかっても人がお見えになっても役僧に任せているような有様。

<どうするんだ??>

役僧も何人かお寺を去られたとも聞く。
いま辛酸をあびながらも必死に支えておられている役僧のみなさんやボランティアでお寺さんのお掃除、墓地のお掃除にみえている皆さんが一斉にお寺さんを去ったらどうするんだろう・・・ということを考えるといてもたってもいられない。

「タケさん(吉川さん)、今日は色々とお手伝いまでしていただいたのにもかかわらず、接待もできずに申し訳ありません」と何度も頭を下げられたが、「いや、みなさんにたくさんのことを教えていただき、新しくご縁をいただけたことだけで十分だよ」「改めてみなさんでお茶菓子差し入れるからコーヒー沸かしてご馳走してね〜」とにっこり。

今回の七福神との出会い。
先週の信州長野の善光寺参りでの出会い。
56になってますます宗教家ではないが、このみなさんとのふれあいがご縁になって菩提寺との距離がグーンと縮まったことはあきらかで。

父の健康と長寿、ツレの股関節の完全快癒、息子の健康と仕事の成就、周りの皆さんへのご加護、、、そして従姉妹の亭主、シゲさんの声帯と長寿を七福神様各位に少ないお賽銭でしたがたくさん心を込めてお願いしてきました。

「すくねえよ、タケ!」というご不満のお声が背後霊のように聞こえてきたのは気のせいか??

あ、自分の健康を祈願するのを忘れちまったぜ!!
「俺はそう簡単にくたばらねえ」が口癖だから。

今朝も何もなく恒例のパソコンの前でキーボードを叩きながら、去痰のえへんえへんの声と、去痰液を飲んだり朝のタバコでげろげろするのが1日の元気なスタートの儀式。

おかげさまで悩みも不安も多いが、安静な朝を迎えることができているのも、どこかでどなたかのおかげと感謝しないといけないと心から思えるようになった。

これも菩提寺である「錫杖寺」とのおつきあいの中で得たご加護かもしれない。

合掌
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#672 みんな元気であって欲しいなあ・・と思う。

2015/05/21 06:23
昨日は久しぶりにツレの出勤日。朝早く電車で行くということだったが、朝5時の時点でベッドから起きようともしないので起こした。
「お〜い、早く仕事に行くんだろ?起きなさい。6時半には車出すよ」
「タケ、電車で行くからいいよ、休みなよ」
「何バカ言ってるんだよ、着替えて顔を作って、、となると7時。仮に6時に飛び出しても埼玉高速線の上りはね、6時台から混むんだよ、まして杖2本使ってノタノタ歩くわけだし、ただ直立と違って電車は動くものだからね、転倒したり不可抗力で足を捻ったら今までの努力は無駄になるし、お化粧は車内でやればいいから早く起きて着替えなさいよ」
「うん」

実は、声帯ポリープの切除術が病院側の指示ミスもあって6/03に延期になった。(「バイアスピリン」という血液抗凝固剤のジェネリックをずっと服用していたことを「バイアスピリン」でなく厚労省の指針に従おうとジェネリックに変えてもらっていたことを私が忘れていたのと病院も手術前のカンファレンスで投薬リストをカンファレンスに持参しなかったことで電話ででも執拗に確認しなくて申し訳ありませんとのことだが、正直私なら「プラビックス」が「バイアスピリン」のジェネリックと理解していたら病院が指示しなくても自主的に休薬していたはずで・・・)

手術自体はなんら緊張感も不安感もない自分でも、術前の禁煙から前日の絶食・絶飲など、患者としてやるべきことはやってきただけに、そのストレスが解放されただけで<風邪症状のような脱力感、不定愁訴>で1日寝込んだほどだった。

実はおととい、12時間以上も眠い状態で寝かせてもらったのも、昨日のように朝は川口〜日吉間の1〜2往復の運転は心得ていたからだった。

首都高速中央環状線の品川区間の開通によって、朝のラッシュ時でも通常は1時間40分から2時間要したものが、五反田ICを使ってのルートですと平均1時間10〜20分で行くことができるのはありがたい。
仕事場であるツレの実家に7:50に到着。(この日はすぐに「タケありがとう」の電話が入るものが入らないので俄然燃えて仕事をしたのだろうと)

***

昨日もなんとなく<手術延期の後遺症>で今ひとつシャキッとしない。
でも、手術どころか、従姉妹の旦那であるシゲさんの転移のことで頭がいっぱいになり急な長野行き日帰り旅行などでウッカリしてしまった5/16。
毎年欠かさず墓参している<父の妹であるカツヨの命日>だった。

吉川で最初の甥っ子ということで、やんややんやと叔父や叔母に可愛がってもらった半面であれこれと「しつけをしてもらった」大好きだった叔母だ。
筆で年賀状書いたものなら「雄規の字はここがいけない」と指導が入り、免許を取って叔母を乗せると「雄規の運転は発進や停止の時にゆったりだから酔っ払っちゃうのよ」とか・・・(笑)
9歳年下の弟にはこんなことは一切なかったようで。

僕が成人してからは、甥っ子というよりも何でも相談しあえる親戚として、賀聿代の娘の進学相談や結婚相手の相談をよく受けたものだった。
賀聿代の親友の洋子さんは僕の小4の担任の先生であったことからも、まあ昔から特別な雰囲気さえ覚えていて・・・。

甥っ子姪っ子世代の中ではありがたいほどに「格段の信頼」を受けていただけに、先輩に対しての尊敬感もいま56になってもまずます増強して。


賀聿代の墓は文京区の「伝通院」という由緒あるお寺さん。
気持ちが引き締まる思いで墓参に・・・。しかし、3年前の7回忌の時のお塔婆が古めいて建てられているだけで花差しもカビだらけ。
(子供達にせよ、旦那であれ、賀聿代の命日の墓参もしないのか?)

旦那は現役で開成高校から早稲田大学へというエリートコース。
自動車学校やタクシー会社の社長さんで、業界でも知られた存在のようだが、70前後になっても子供達にでも母親の墓参もする気持ちがないのか?と毎年お邪魔するたびにがっかりとする。

私の愚息も賀聿代に可愛がってもらって、やっと大学を卒業、就職できましたとおばちゃんにお礼にお線香をあげに行こうと二人で新宿区内の自宅にお伺いしようと出向くも不在。雨だったのだが別々に買ってきたお線香の箱に二人で名刺を挟んでメモを残して帰ったが、叔父からは何の連絡もないまま3年も4年も・・・です。

複雑な想いですが、ご真言をお唱えさせていただき合掌。

<そうだ!「お榊」と「しきび」の違いって何だろう>>という素朴な疑問を残して。

***

そのあと、やはりシゲさんのことが気になって・・・
定番の「巣鴨高岩寺(とげぬき地蔵)」にお参りに。
こちらも信仰者やお参りを日課になさっておられるご高齢者が多くて、朝6時の開門前にも人の列ができるほどです。

「ガン封じ」のお守りと「みがわり」のお札を授かってからやはり改めてシゲさんのご加護を願ってあとに。

<巣鴨>といえば「興伸」さんの「大学イモ」でしょ??
甘ダレたっぷりに包まれた大学イモを「シゲさんち」「父」と「自分たち用」に買って川口に。

途中で車を止めて「シゲさんに一筆」
<辛い体調は十分に分かるけれど、悪いところはお医者さんに治してもらおうね。だからさ(この前も二人で話したように)楽しいこと愉快なことを考えていきましょう。みんなみんなシゲさんのこと心配してるからね>と。

ちょうど昼時だからと、従姉妹のカズーに「いる?」と電話。
「子供騙しなんだけどさ、コウシンの大学イモ届けるからね」と。
カズー「雄規くんありがとう。いただくね」とのあと、自宅の2階ベランダから枯れた声で「おーい、ありがとな」とシゲ。

「シゲさんさあ、いきなり怒鳴ったらちびるじゃん(笑)、だいたいイモを土産に買ってくるようじゃ、俺もジジイになった証拠だね〜」「お大事にね〜」と。
愛想がないシゲさんも車が出るまでずっと見送ってくれていたのが印象的だった。

ここの家でも、息子夫婦と2世帯同居。
でも、一人息子が45近くになっても父の一大事に無関心のようで。その分嫁にしわ寄せがいくものだから新居になってからますます嫁のパワーが増強。

そんな状況を十分すぎるほど理解しているからこそ、僕らは吉川の長男だが、母方の家でも長男のように珍重がられているわけで。
でも心底「見返りを求める目的で動いていない」からこそ、逆にとことんまで心配やおせっかいができる。
従姉妹も今年71歳だ。

吉川もそうだが、甥っ子姪っ子世代はたくさんいるものの、誰一人として各々の親のことを心底心配して動いている連中の話は聞いたことがない。
(自分の生活で精一杯なんだろうなあと。)

でも気がかりだった賀聿代の墓参、シゲさんに従兄弟としての心配を伝えることができたので安堵。

***
亡母の妹からも昨日は電話があったりで、「また近いうちに遊びに行くよ」と。松戸市の常盤平団地の片隅の一軒家だ。

父にも大学イモを届けながら昨日の報告をした。
父は昔から妹たちを可愛がってきた優しい男だから、以前から「賀聿代の墓参り行ってくれたのか、ありがとうな。お前は偉いな」とまず褒めてくれない父が褒めてくれた名言2個のうちの一つ。
(もう一つは、一度引き受けたことはどんなことでも懸命に取り組んでなんらかの結論を出す奴だよということだったか?)

今日は祐さんが出勤日だったんだよ。
電車で行くというものの、始発ではないから行きだけは送ってきたのだが、帰りに伝通院と巣鴨でな、、、、と。
最後に父が珍しく、、、
「よそのことはいいけれどよ、お前の検査などはどうしたんだ?」と。

「だからリビングのwhite boardに書いたように6/03に延期になったんだよ手術は」
「ああ、そうだったな」
「大丈夫なんか?」
「朝一番から<声枯れ>がひどくてね、シゲが同じように声枯れでいるけれど、声枯れほどストレスはもちろんのこと、体力を消耗することはないんだ」
「大丈夫って言ってるだろ。俺はそう簡単にくたばらんから」と。

日頃から僕に心配の念をぶつけることはまずない父がひょんなときにぼやくのはインパクトがあるが、父のことももちろんのことだが、寝たきりにならないように<作為的にあれこれと指示をぶつけたり課題を与えたり>で。
その「逃げ道」に祐さんがなってくれている。
(必要な動きはバックグラウンドで僕が引き受ける)という絵図が僕としては「理想」と信じてやらせてもらっているのだが。

まだ、寝たきりでも認知症でもないだけありがたい。

今月5/31に町会の敬老会の「総会」がある。
父の先輩であるハマさんも同じ町会顧問としての友人同士で参加するのが恒例になっているが、

昨日、巣鴨に着いたときにハマさんの奥様からお電話が。
「吉川さん、今度の総会は主人はもう一度欠席ということにさせてください。私は主人にうそをついてでも自転車で行きます」とのことだった。
ハマさんは、いつも「吉川さん(父)も出るのなら僕も行く」と楽しみにされているようだが、前立腺の不具合?と奥様はおっしゃるが、頻尿で粗相もすることがあるのだろう、放置するとGPSつきの名札も忘れて徘徊ということも耳にしているが、奥様同伴なら連れて行って欲しいと思うのだが。
「奥様、失礼承知で申し上げさせていただきたいのですが、この前の町会の総会も欠席。そのときは僕も出席ですからトイレにご案内するのは私がと申し上げたほど僕は男ですから「女性にはわからない男性のプライド」ということからも「せっかく行きたいといっているのに俺はもう外出もさせてもらえないのか」という落胆を覚えさせてしまうと急激に衰えてしまうのが嫌なんです。おねがいですから父と一緒に連れて行ってあげていただけませんか?」と申し上げたのだが、ハマさん宅の事情はわからないので、それ以上はストップ。奥様のご決断を当然だが受け入れたのだが。

奥様は、80ちかくとも現役の茶道のおっしょさん。
品格もある方ですが、節々に「見栄」が先行する世代ですから、、、。

先般の町会の総会でも、来賓挨拶の筆頭にハマさんに代わって父がひとこと自分の思いを述べたときにマイクの調子が悪くて聞こえづらかった。
そこに、器の小さいピカピカ頭の私と一緒に衛生部を営んできたマッキーがどう間違って副町会長になったか?ひとこと「でかい声ではなせばいいんだよ」とボヤいたことに僕はカチーンときたほどですから、今年の町会執行部の平均年齢は70後半ということもあり、だれも若い衆を取り込まないこともあって、「5年後はお前らだってヨボヨボだろう」と。

父のことだから発奮しているのでは誓ってなくて、
<高齢化社会における自治会の実力をどのように担保すべきか?>ということを常に考えているからこそ、たとえハマさんが粗相をされてもいかに周りの皆さんが嫌な顔をせず受け止められるか?ということを考えてのことだ。

デリケートな部分も含有するので、そう簡単には解決する手段はないが、逃げてはいられない由々しき問題でもある。

よく、歩きスマホが問題になるが、
その現象の発因は「自分の時間的なマネージメントができない」から歩いているときでも「メール」「ゲーム」「チャット」など、何も歩きながらまでやるほど切迫しているとは到底思えない輩が他人の迷惑を顧みずスマホ一途なのだ。

「自己中心的思考」が「正当化」されている世情の表れでもある。

昨日は自分の自己満足として「歩きスマホ」と同じ流れと処理されたくないが、いろいろな自分の思いを具現化できたという意味でも疲れ果てたが充実した1日であったことには変わりはない。

つまらぬニュースが知らぬ間に飛び交っているが、政治家の先生方ももう少し一瞬でもいいから形骸化しようとする動きを止めてでも「自分の素直な人間としての思いを巡らせる時間を作っていただければ」と思う。
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#671 ありゃりゃりゃりゃ〜。ここまでくると「劣化」以上だなあ

2015/05/11 10:28
おはようさん。
いつも書き込む時の自分の様子は同じなのですが、みなさんからのご心配をよそに「入院・手術前に過労ボロボロ」状態のまま。

この週末は「町内会定期総会」がメイン?の週だった。
わたし以外の皆さんの口からも「自分が町会に関わってから<最もダメになってしまった>人事であり、事業内容だ」と。

あれだけ「この人(たち)だけは入閣させてはいけない」と顧問相談役レベルの皆さんから各専門部役員まで口を揃えて言ってきたメンバーが兼任兼任で役員人事案のリストに鎮座している。
本当に情けないと驚嘆するほどの内容だが、小学校の学級会のレベルより低い、自治会の将来を見据えたとは到底考えにもない「公私混同・私利私欲」の塊とも言える人事。

町会長はわたしと同世代の国道沿いの金物屋の若社長「マサ」で、わたしの自宅にも立ち寄ってくれていた仲間だが、相談を受ければ快く応じてきたし喧嘩になってでも「マサ」が町会運営しやすいようにとあれこれ話をしてきた。

顧問であるわたしの父のところにも「マサ」は人事の相談に足を運んでくれたところまではよかったのだが、顧問にも「これだけはいかん」と言われた内容をあえて摂り入れるという始末だ。(彼の信用を傷つけないように付け加えると、彼自身、ビジョンもご高齢のご両親(90代)を独身の彼が家業とともに一手に引き受けているから、気持ちにも余裕がないために、周囲の反対を無視してでも採用すべきでない面子を副町会長に据えたから、副町会長ブレーンに振り回されているだけだと)

今回の執行部の平均年齢はおそらく75~80歳のレベルだろう。
(若者が一斉に引いてしまった、婦人部の人事が空白。こんな人事案をよく総会の資料に掲載して審議を仰いだ神経がわからない)

おまけに、
議事進行にあたって「新役員紹介」の議案に「今年度お願いする役員を紹介したいと思います。わたしは全員を紹介することはしませんので、役員の交代された部署だけご紹介させていただきます」と。「はぁ?」だ。

問題視されている女性2名が兼任に次ぐ兼任の人事を通過させるための「総会屋」?の手口のようで。

<役員さんのことを一切知らない一般町会員の皆さんも参列されているのだから、全員を皆さんの前で「お披露目」するのが筋と>思うのだが。

来賓席もバラバラで、懇親会の際にもマサから副町会長や人事担当なら総務部長が来賓席にお酌に来ても不思議はないのだが、誰一人お酌どころか話にも来ない有様だ。
(わたしが総務部長を拝命した時は、全員の席に回ってお酌と挨拶をさせていただいたものだが)

**********
これ以上列記すること自体、情けないと思うのでやめるが、自分たち内輪でワイワイするだけで、自治会の運営や次世代を要請するという気持ちは微塵もないことに逆に「問題視」しているのだ。
**********


マサの前任のH女性町会長も、議員さんたちがお見えになる総会という時だけは自分をアピールすることのみのように思われても仕方ないような派手な出で立ちで来賓席に鎮座。議員の先生方がお帰りになられる時も、自分が率先して「お見送り」。
(ダメなんだよ鏡子さん。あなたが育てたというマサ町会長がいるのだからさ、あなたの考えだけで動いてしまったら、現職の顔に泥を塗ることにもなるんだよ・・・という筋が理解できないからスタンドプレイと解釈される=敵をまた増やしてしまう  ということだ)

毎年のことだが、
総会の翌日は恒例の<公園清掃・町会会館清掃に資源回収>だ。

わたしもツレと3年目に入ろうとしていた在住マンションの資源ゴミを回収に来てくださった人に冷たい麦茶なり冬は挽きたてのコーヒーを飲んでいただこうと準備しているのだが、昨日だけは<臨時休業>した。

一生懸命汗を流していただいている皆さんにならよいが、どうでもいい面子に「当たり前のような顔をされるなら」何も腰を低くする必要はないというツレとの相談の結果だった。(吉川さんもご立腹だという暗黙の意思表示をすべきと)

案の定、
公園は自宅に隣接しているから公園清掃の様子を散歩がてらに見てきたが、公園清掃参加者も会館清掃も資源回収も参加者が半減。
参加者の大半は経験豊富な常連ばかり。

おまけに、
わたしのマンションに回ってくる頃は、参加していたはずの問題児?役員は<トンズラ>で不在。(町内でもわたしはよいこと悪いことをはっきりと言える人間という評価を得ているから、顔がかったるくてこられない)

おまけに
副町会長・総務部長・クリーン推進委員長兼任のかわしん支店長経験者がなぜか衛生部主催の資源回収の時にわざわざわかりきっていることをわたしにわざわざ言いに来る有様だ。
「吉川さん、今年から資源回収は町会会館スタートで会館で終わるルートになったよ」と。
(そんなこたぁ、2ヶ月前の広報誌に書いてあったからわかってる)
(それよりも、なぜアンタが衛生部長差し置いて言い回ってるん?)

自分の思いやりや配慮が他の仲間の顔に泥を塗るんだというこれまた筋がわからない。

***********
多かれ少なかれ、どこの町会でもこれに酷似した事例はあると思うが、「今どきの若いものは・・・」と嘆く前に、その手本となる面子がこの状態なら世の中がこうなっていくというのは容易に想像はできる。

「それでもね、どうにかそんな連中ででもうまくやるのよ」とそれ自体「捨て台詞」で負け犬宣言をしてちょうだいと思わせてしまう言葉を吐く人もいるが、

<やっていただけばいいでしょう。やれるわけだから>

わたしはヤケクソで言っているのではない。
持論でもあるが、「どんなに厄介者であれ、町会行事もぶち壊そうとする人は世の中には一人もいないんだよ。みんな、よくしようとして頑張っている(行事を無難にこなしている)ことには変わりのないこと。ただ、<やり方に問題があるだけ>だ」と。

役員の肩書きが名誉が欲しいのなら「やりたい人にやっていただけばよい」のであって、彼らも「やりたいので、やらせてください」という意思表示を周りの味方や敵をかまわず平等に<説得>するために<コミュニケーション>をとればいいだけのこと。

それができないから叩かれてしまう。

わたしはドーデモイイ会で父も含めた皆さんに「ここのところの歴代町会長、つまりTさん、Hさんにマサも含めてうまく町会運営をすべく努力?をされたのに歓迎どころか賛同者が得られなかった共通点>は何でしょう?というクイズを出した。

だれひとりわからない。

答えは<ブレーンがいない>ということだ。

いくら名誉欲が旺盛であれ、会費をお預かりさせていただいて運営する自治会の運営。私利私欲・公私混同は絶対に避けないといけない。

副町会長に任命する人は、基本的に自分のブレーンを中心に配置するものだが、ブレーンという人が不在なまま兵隊を並べただけだから、身近な2番手にいいようにかき回され尻拭い。最悪の公式。

わたしは執行部は奇数人数をと思っていて、それは偶数だと意見が決まらないからだ。副町会長も理想は3人。しかしここのところは5〜6名もいる。会計監査が5人という町会はどこにある??

ブレーンがいない人間はトップを受ける資格はない。

それを強行するから執行部内で大げんか。一般の班長さんも出席する定例役員会で痴話喧嘩じゃ、だれが気持ちよく協力してくださるか??

***********

ご近所同士のおつきあいも、気軽に言いたいことを言えて、喧嘩になっても翌日リセット。体調がよくないとなればみんなで声がけ。

困っている人がいたら、損得抜きで手を差し伸べるというのがご近所のあたたかいところだ。


75歳以上の面子が幅を利かせるには悪くないとしても(明らかに悪いが)
そのあとを継承してくださる後輩を育てることもできない、しないから、ますます町会離れが加速する傾向。

<率先垂範>ということばをわたしは若い頃から父に教えられた。
町会は大会社ではないから、管理職は人の3倍動いて当たり前。
「これをしておきなさい」という命令はない!
「わたしと一緒に手伝ってくれる?」という姿勢とお手本を自ら示すことで無言の教育になる。
<できないなら受けてはいけない>ということだ。

それがわからないから<お里が知れる>という評価にもなる。

わたしは、ありがたいことにたくさんの会社・お店・神社やお寺さん、病院、薬局、飲食店等、あらゆるところに知人友人がいてくださって楽しい時間を共有させていただいているが、どこにも<悪玉>は必ずいるものだ。でも、裏方で懸命に支えていてくれる人がいるから面目が立つということを知らなすぎる。

ちょっとだけ年齢的に先輩になった自分としては、そんなお手本とも誇れるみなさんの仲間に入れていただき、一緒になって「大丈夫」「大丈夫」と背中をポンっとたたくことが精一杯。

<みんなが頑張っておられるから面目が立つんだよ。必要としているという人はたくさんいることを忘れないでね>

「人生に<正解>は絶対にない!」

でも、それを恐れている、失敗を恐れていては何も変化もない。
自分が正しいと判断したことは、粛々と最低半年なり1年なり継続してやろう!と。
仮に失敗であれ、その失敗をした経験値も自分に素直に取り入れる(反省や分析)できることができた人はそれだけで自動的に人間の成長としての1歩になるからだ。

「自分の評価は自分がすべきでない。他人様がいつのまにか評価をくだしてくださるものだから」と。

「不満が溜まったらタケさんが聞かせてもらうから」
「悔しかったら一緒に泣くから」

でも、
「君のされていることは「貴重なもの」だと思うよ」

人間、子供であれ大人であれ<褒められる経験値がない>
だから、感動も感涙もない。
だから、後輩を教えることもできないのだ。

今からでも遅くない。よいことをされた瞬間に上下男女問わず<感謝>の気持ちを伝えていきたいと思う。

わたしのやり方は、いつどこででも「ニヤっ」とされるような笑いを不可欠にしている。
工場の現場の大先輩の部下である職人さんと始業前に一服している時にいつも同席していて、悪口でなくすけべな話題であれバカバカしい笑いであれ、必ず話題を振りまいてきた。

<朝一番に爆笑なりでも経験するだけで、その日1日が事故もなく怪我もなくミスもない作業空間ができる=会社にもプラスになる>信念を貫いてきた。

鋳物屋の専務でもわたしは大学で学んだ教育学・心理学とは程遠い専門外だったが、専務として営業に出て受注されるためには、わからぬことは職人さんに正直に教えてもらったり自分でも勉強した。

実弟に(社長である)「兄貴はその武勇伝か」と言われているようだが、「関西淡路大震災」の時に、建物のエレベータの部品の仕事をさせていただいてきたので、親会社が成田空港の裏手にあったと言え、震災翌日から約1週間。朝4時にトラックででて7時には得意先の製造本部に。馴染みの上司に接客ブースの片隅を貸していただき、事務作業は得意先にて。
被災地の現状が明らかになってくると同時に、工場にあった災害対策本部の会議室から出てくる雲上人である資材部長からも直々に「吉川さん、今週中にこの部品400個納入できるか?」というような特命が。

その部品は月に100個受注すれば十分というレベルだった。
おまけに、小物部品であるからわたしの会社の下請け先にお願いしていた部品でもある。

当時現役の社長は父でしたから、「雄規、得意先に鎮座しないで会社に戻ってこい、こっちが動けない」と言われたが「オヤジ、たまには現場の仕事をしてくれ!」と。

混沌として受注サイズも膨らんだ部品の発注なり自社手配なりを成田から電話で指示を出し父に伝えてもらう。

毎日16時過ぎに得意先をあとにし、当時の高速事情は良くなかったから一般道の裏道や農道をトラックで飛ばして3時間かけて帰社すると20時。

それからデスクに戻ってパソコンでデータ管理と同時に工場に入って自社手配の作業工程を目で確認しつつ、外注先からピストン輸送された小物をドブ漬けで塗装する作業で3時間。すでに日付も変わる時も。

睡眠時間3時間で翌日4時にはトラックに品物を積んで成田へという7日間だった。

それを見ていてくださった同業他社と競争の得意先でも、資材部の顧問から係長・平社員まで男女問わず「専務、またきたのかよ」と笑いながら温かく迎えてくださって、「股だけくるかよ!」と笑いながらも吉川さんにまず鋳物の入荷については聞いてみようという暗黙のルールができ、中にはまだ規格的に得意先の承認を得ていないものまで資材部長が「専務、作れるか?」というお言葉をいただいたが、すけべ心を丸出しで「この際だから、他社の仕事をもらってしまえ」という気持ちになる寸前で自己制止した。(もちろん、上司である父、つまり社長にも意向打診したことはいうまでもないが)

出した結論。
「申し訳ありません。われわれがまだ御社のお許しをいただいていない規格の品物ですから、御社に協力は惜しみませんが、無責任にお受けして万が一ご迷惑をおかけしてしまったら本意でないことになるので、現在お仕事をいただいている規格のお品物について懸命に力を注がせてくださいませんでしょうか?」と。

余談だが、
リーマンショック以来の不況で、おひげ払いを続けて美味しい思いをされていた月商数千万というわれわれと同じ立場(われわれはあって最大で300万ほどの規模)である下請けの協力工場という大会社が4社も倒産。

決して潤っていないが、われわれの創業99年のキューポラの鋳物工場はありがたいが、商社化とはなったもののまだ生きている。

それからというものの、一段落するまでは睡眠時間3時間の肉体労働・精神労働・感情労働(これは最近市民権を得たカテゴリーだが)で必死に通ったことが資材部経由で社長まで繋がって・・・・・

毎年賀詞交換会を工場でやるときに、品質向上キャンペーンの表彰式も兼ねていたところに<社長の「特別功労賞」>を拝受させていただくことになっていた。

会場の高い席に呼ばれて、雲上の雲上人である親会社の社長から記念品と賞状をいただいた瞬間、会場内のほとんどの社員から下請け先の皆さん、おまけに同業他社の皆さんから拍手喝采をいただいた。(「専務よかったなあ」と言われた瞬間からおそらく今の生き方のturning pointになったと言っても過言でない)

もちろん、
自社に帰ってからすぐに表彰状をコピーして、自腹でお礼の品を購入して自社の下請け先の各社に「みなさんのお力のおかげでこのような栄誉ある賞状をいただくことができました。ありがとうございました」と回らせていただいた。

中には、ベーゴマで有名な会社の社長から「専務らしいねって、従業員は言ってたよ」と。いくらなんでも他社の従業員の顔と名前までは修行が足らず存じていない皆さんだけに、父からも教えられた<自分の評価は自分がすべきでない、他人様がしてくださるものだ>という教えやそれを信条とするわたしにとっての<最高の評価>であったことも言うまでもない。

**************
<人は一人では生きていけない>
<いくら、生まれるときはお母ちゃんの股間から一人で、死ぬときも棺桶に入って焼かれるのはひとり。>
<でも、人生そのものを生き抜くにはひとりでは叶うものではない>

人生で失敗の連続できた56年間。
離婚も経験、ない頭で必死に生き方を考えるももうどう考えても四面楚歌になってしまい自殺企図2回。

左手の指が動かなくなったのも<神様の天罰>と思う。が、神様は利き腕である「右手」でなく「左手」におしおきをしてくださったと感謝しているのだが、そうであるのなら仕切り直しの人生を全て費やしても助けてくれた家族から周囲のたくさんんもみなさんにお役にたてられることはどんなことでも必死に取り組ませてもらおうと決心したここのところの15年。

先人の教えに、
<身体髪膚これ父母に浮く、あえて毀傷せざるは孝のはじめなり>とあるが、ファッションか自己主張か、男女構わず派手に入れ墨をほる人も多くなったが、自分も授かった命を絶ってしまえと暴走未遂。とんでもないことだ。(理由は別でいまでも譲歩する気持ちはないが)

離婚して審判で堂々とひとり息子の親権と養育権を取れたこともあり、成功と失敗を繰り返しながらも「まあまあ」の人生を送れたと思う。

息子も仕事の面で独立。
親(は)バカ!(笑)だが、離婚直後に12歳のひとり息子の前で頭を下げて母の分までわたしがかぶって謝罪した。
「ごめんな、お父さんとお母さんのわがままでお前からお母さんを奪ってしまった。だからね、お父さんはお母さんの分まで二人分おまえのことを守っていくからね。でもお父さんとお母さんは他人になってしまったけれど、きみにとってのお母さんは世界でただひとり。会いたいと思ったらね、隠れてこそこそ会わないでお父さんに「会ってくる」と胸を張っていっておいで。お母さんの家までいけないのならね、お父さんが菓子折りでも買ってお母さんの自宅まで送っていくから」と。

その息子も、本当によく耐えてくれたと思う。
色々と彼なりに考えたのだろう。中央大学杉並高校で知り合った男友達も優秀で、3人とも高校在学中に日商簿記1級を取得だけでなく、3人とも中央大学に進学し在学中に<公認会計士>の国家試験まで通過。

研修と度重なる試験を突破して一昨年10月から自宅を事務所にした<よしかわ監査会計事務所>を立ち上げで可愛がっていただいた先輩上司ほかのみなさんのつながりでたくさんのお仕事をいただいたと。

****************
わたしはかつての教え子からいまの多方面の若者には「40歳までは失敗を恐れずに自分が正しいと確信したことには思い切って果敢に取り組んでご覧」と教えてきた。

自我の確立はするものの、40を超えてくると違った面での<自我>が強くなり、人のアドバイスに耳を傾ける人の実数は格段に減るものだ。
当然、職場なり社会では中程度の責任を課せられてくる。(俗に言う中間管理職と呼ばれるものだ)

男女雇用機会均等法が叫ばれて実現したのはわたしが大学生の頃。
男女問わず、40代以降になってくると確固たる<自我>が膨らんでくるものだ。
「自分の仕事の5年、10年先の自己ビジョンを持てないならその仕事をさせていただく意味はない」とまで豪語し自分も含めて後輩に説諭したものだが、名誉欲・武勇伝作りなども入れ込んだ<自我>が旺盛になってくる時期に、中間管理職としての力量を試される時期に、最終的には自分のためになるものだが、自分や同僚をとりまとめていく力量を他人様からも評価していただけるためには<それなりの問題解決手段の選択肢が少しでも多く持つこと>が唯一無二の必要十分な<武器>になる。

そのためにも、
成功よりも「失敗」の経験値が多い方が熟年期に入った時に、どれだけ後輩たちに納得してもらえる「経験値」が増えていくことになるかしれない。

<成功の経験値と特に「失敗」の経験値を持ったらその経験で学んだことを拾っていけばいいんだ>という持論を持たれているのは野球界で尽力された「星野仙一さん」だ。

彼が中日ドラゴンズのピッチャー時代に、過激なパフォーマンスを展開し、子供心に「三振を奪った打者にザマーミロ!と言わんばかりのあのパフォーマンスは品がない」とまで感じたものだ。

しかし、
侍ジャパンの監督なり、楽天球団を日本一に導いた監督としての彼の生き方は、侍ジャパンでは差配について叩かれたこともあったようだが、あの勝気な星野さんには拷問レベルの辛さだったろう。
でも、わたしはどんな環境であれ評価であれ、気づいてみると彼の生き方も<お手本>にするようになっていた。

いくつになっても「人様の意見に耳を傾け感謝しながら自分もそれに学ぼうとする向上心があれば、棺桶に片足を突っ込むまでは<成長>できるものだと。

以前にも書いたが30~40年前からの教育界の流れは「生涯教育(Learning of Education)」ということがしきりに叫ばれた時代だった。

人生生涯教育だ(勉強だ)と。

今日のニュースで安倍政権は2018年度から「かかりつけ医」のほかに「かかりつけ薬局」の制度を創設するというが、目的はポリファーマシーといって重複したお薬がでていないか?相互作用で副作用は生まないか?という医療事故の防止と、少しでも重複する処方を減らす、ひいては医療費の削減目的の制度という。

薬局の薬剤師に「家庭訪問」させて、お年寄りの服薬状況を把握し指導させるとか?

アホノミクスもじわじわと国民の個人情報を管理し、悪気はないのだろうが一般人からは「個人の生活領域に国家が関与していく」というファシズムの卵を感じざるを得ない。

しかし、
厚労省の立場を考え、医療費の削減を目的にするのなら、やみくもに私生活介入をするのでなく、高齢者のみなさんのQOL(Quarity Of Life生活の質)を向上させるような政策という視点で、以前に流行した生涯教育のおかげで大学の施設を一般に開放した公開講座という動き、学食の一般人の利用など。何も勉強せい!というのでなく、コミュニティーセンターのように高齢者を巻き込んで「週に1度だけでもいいので、高齢者が生き生きと過ごすことができる機会を積極的に作って参加していただく」ようなことで、独居老人のみなさんの生きがいになったり、、、と。

QOLのレベルアップで疾病への進行度も抑制されることもあろうと。

話題が飛びに飛んだが(笑)
元に戻って、本来の地域力、自治会の運営能力を上げていくことで、独居老人の対応、生きがいの発掘、地域づくりを全員参加でという「地域力」を束ねていくのが<地方公共団体>であり、それが47都道府県集約させて国の力へとポジティブに束ねるのが政府与党の本来の仕事。

アホノミクスの暴走をメディアから学識経験者が異口同音に唱えているようですが、首相も考えがあってあのような「政(まつりごと)」を執行されているのでしょう、、、、(常識人なら)。

我が町会と同じように、
<一般人との(国民、町会員)コミュニケーション能力を発揮しないから理解も得られずに反感をも買う>羽目になる。

安倍首相はわたしより3歳年上だが、同世代が日本を代表する立場で活躍されているのだから他人技ととは思えない。

「そうかっ!わが町会の金物屋のマサ町会長と同い年だ!」

国であれ町会であれ、自分の立場としての執政や発言は海より深い奥ゆかしさを持たないといけない。
国民に納得、町会員に納得してもらうことがすべての前提条件なのだが、姑息な手段を強行してでもやりたい放題では、この一年、何も起こらず無難に町会運営ができるかは未知数だ。

おまけに、
わが町会のこの10年来の流行?は、辞任や交代するときは喧嘩別れだから、事務の引き継ぎもない。
新任の役員はいつもゼロスタートを強いられるから誰も手を上げない。

前任の女町会長の鏡子さんもあっぱれ!と思うほどたくさんの役員からの嫌がらせで町会長に船出。
2年目に互いに爆発?したから変わって受けてもらう人を必死に探した。
その一人が<わたし>だった。

わたしは鏡子さんが婦人部長の頃の活躍ぶりと人間性に惚れたほどですから、「吉川さんお願いできますか?」とのお声がけに一言返事で「今年度は鏡子さんがやりやすい人をお願いしておやりになりたいことを実現なさってくださいね」と顧問の父にも涙ながらに頼み込んで組閣した。

でも、
鏡子さんも名誉欲だけであったという豹変ぶりには見事に親子して騙された。(不覚だったがいまではよい糧になっている)
反発の声も少なくなかったから、町会長、このような声も聞くのでこのようになさったらいかがですか?というような<上司を擁護する目的で>時間が取れないので手紙も書いた。

しかし、
就任3カ月でわたしはもちろん、親戚だというかってな曲解で女性部長に推挙した従姉妹のカズーでさえ、街ですれ違うも大人として「こんにちは」と挨拶するも良い年をして<完全無視>だ。

鏡子さんはむかしはああでなかったのにね・・・という声もたくさん聞かれるようになった。

ビジョンもブレーンもない。

おまけに町会長経験者は自動的に「相談役」になるとだれが許したのか?
いつのまにか自分が総会資料の「相談役」になっていた。

彼女が育てたと豪語する現職の町会長があの金物屋の「マサ」だ。

わたしが「ドーデモイイ会」を作ったのは、
わが町会は新たにアイデアを提案したものなら、直接言いたい人が提案者に意見するのならまだしも、自分の手を汚さずに嘘をついて風評をおこしてでも他人からどつかせる。

若いみなさんに積極的にお誘いをすることはせずに「人材がいない」と毎年1年づつ加齢する国道沿いの民生委員も歴任したタバコ屋夫妻の店に集結する輩を兵隊さんに、人事もゲームのように配置を楽しんでいるかのように。

だから、
喧嘩腰になると「じゃあやめるよ」と丸投げ。後進を育てようとする頭もないから、今年の女性部長も副部長も<空欄>だ。

昨日の資源回収に常連だった若いみなさんの姿はない。

今年は元郷氷川神社の例大祭の「当番町会」だ。
盆踊りの準備に不可欠の「婦人部」がひとりも決まっていない。

<自分勝手に顧問相談役にも相談にもいかず、年金生活の顧問相談役に祝い金をもらってもだれもお酌にも挨拶にもいかずに「タダ酒」を楽しんでいる>連中が、今年の町会の事業を難なく遂行できるかも未知数だ。
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#670 人と同じことやってたら面白くないじゃん!

2015/04/30 13:00
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オレンジジャケット袖丈調整からあがってきたとのことで急遽道の駅に行く前にアオキ加須店に参上。昨日はわが「ドーデモイイ会」の一般部会会員(笑)でもある?店長の青木君の代わりに副店長の藤浪君が参戦してくださりこの表情。
青木君もそうだが、私とは6,7年年下の可愛い頼もしい弟分ですが、彼も初対面の頃は仕事一本のパワー溢れた人でしたが、以前の僕もそうでしたが仕事一本だけでは会社にも同僚にも受け入れられるものの、自分の時間に閉じこもった時に僕は一抹の寂寥感を感じた時期があった。
それからというものの、仕事に対する情熱は温存しつつも、人生折り返しの時期でもあったので、どうせ一度の人生だから「オモシロ可笑しく愉快に」をモットーに生きるように心がけてきた。

軌道修正はツレができた45歳の頃から、週末夫婦ですがツレがシッカリとしっかりと叱咤激励をしてくれるから道を外すことなく(笑)過ごせるようになった。

綾小路きみまろさんの言い方を模倣すると、ツレが献身的に叱咤激励をしてくれたことを真摯に受け止めて自分に積極的に取り込む努力を惜しまなかった私自身のおかげかと。(笑)

どうしてもサラリーマンの場合、解雇という印籠の危惧感からも、どうしても上の言いなりになってしまうものだ。
でも、当たり前のようにトップや会社に敷かれたレールを脱線しないように順調な安全運転すれば昇進も昇給も保証されるだろうが、それなら最新鋭のロボットでも代用できる。

鋳物の品物をトラックに積んで納品し、受領印を貰って直ぐ直帰なら宅配便でもできる。

つまらんだろう、、、。

教員時代からそうだった。
午後一の授業は誰だって眠い。だったら教室で国語の授業をしないといけないという学校教育法施行規則にはないから、僕は運動場の端の屋根付きの相撲場で授業をやった。
雲のことを書いたり詩を朗読しするのに屋上にあがって実際に晴れた日の雲を見せながら読ませた。

すると、
隣接のおじいちゃんおばあちゃん先生から吉川先生スタンドプレーはしないでくださいとバッサリだった。

仕事も自営の鋳物工場に入職後にお得意様のエレベータのメーカーさんの部課長クラスの皆さんとまず仲良くさせていただき、分からないことは分かりませんから教えてくださいと休日返上でも成田空港の裏側の芝山工業団地まで車で行き教わったし、仕事外の時間なら仕事のノウハウまで教えていただいた。

そこで学んだのは異業種交流。

鋳物の製造過程でも食品流通業の会社の皆さんが使われているノウハウが活きてくることも知った。

だからこそ、教え子との同窓会ででも50分の授業再現と称して異業種交流の大切さを説いた。

後ろを振り返って嘆くことは生産的ではない。
振り返るのなら良いこと悪いこと問わずに「事実を正確に真摯に受け止める」こと。

改善活動はココが原点だと。
改善提案も、立場も年令性別問わずすべて聞く耳を持つこと。だから批判や批評はタブー。

具体的な改善活動のステップについては別途としても、今回もアオキの例でも、お客様にご来店いただきやすい店舗作りのための魅力を感じるヒントの叩き台として提案したことは、

ご来店されたお客様がまずどこを見るか、、、。
そこに「エンド」と呼ばれている新商品や特売品を陳列するお店の一等地をどこにするか?何を置くか?だと。

そんなこたぁ重々承知と言われるかもしれないが、僕は部外者だ。パートスタッフにも聞いてみようという提案。もはや全員参加型プロジェクトなんだ。

このように、
会社の方針に逆らうものでもないし、店舗自由裁量の範疇で試行錯誤することはやらないほうが給料ドロボーだし、第一におもしろくないだろう、、、と。

そして、
わたしは行くところ行くところで初対面であれ笑いを必ず取ってくる。次にまた会えるという保証がない人であれ、もしかしたら会えるかも知れないし。

だからこそ、そのような時に見つけやすいようなイメージを残すわけで。

お店作りもそうだ。
だから、昨日の藤浪君も今までにないユーモアやウィットに富んだ対応をしてくれたことがこの上なく嬉しくて、、、。

自分も参加できるという充足感は人間として可能性の数値を無限大にひきだすということを意味する。

日頃からよくしていただいているアオキだからこそ、自然体で応援させていただきたくなる。

昨日はお寺さんのこと。今日は紳士服量販店のこと。
勿論、今の本業のマンションマネージメントや介護関係、親戚との調整までも同時進行。

従姉妹のカズーを亡母の妹に会わせたのも道の駅オープンツアーを計画した時から想定内に考えていたことだ。
姉ちゃんでもあるカズーを私やツレと同じように母親という存在がない環境で、私が叔母である美代子ちゃんに母のように叱咤激励していただくように、誰も褒めたり叱ったりしてもらえないことから、カズー姉ちゃんのいま、母親の代理として褒めるところは美代子ちゃんに褒めていただき、軌道修正すべきことは叔母からカズー姉ちゃんにいって欲しいと願ったからだ。

逆に独居の美代子ちゃんにも楽しい時間を過ごして欲しいという願いもあり夕方からでもお邪魔させていただいた。

案の定、昼間はツレの祐さんとカズーでお好み演芸会を展開し、私も運転中に巻き込まれて抱腹絶倒。

夜は夜で美代子ちゃん参戦でパワーアップ(笑)
松戸常盤平でお別れしたのは22時を回ってた。

でも、
吉川は吉川で、関根は関根で誰も音頭取りする官房長官がいない分、私の双肩にかかってきて思わず声帯polypががん化しそうにまで大きくなるものの(笑)
ガキの頃から可愛がってもらった両親や叔父や叔母も、わたしは祖父母と母を見送ったが、父の世代は80超え。町会でもお寺や神社もそうだが、いつまでもこのような関係でいたいのなら、先輩が衰えを感じてきたのなら若い面々が先輩に迷惑でしょう?と言わせないような幸せな気持ちになっていただけるように汗を流さないでどうする!と言いたいのです。

だらだらしていると、我々の背中を見て育っている面々に示しがつかなくなるから、人間ひとりで生きていけないのだから、自己中心的ということは決して許されないことなんだということも分からねえのか!!と声帯polypをでかくしてでも叫びたい。

あっ!と思った時には遅いのであるから。

だからね、わたしは単純な思いつきで面白く楽しく愉快にいきましょうといっているのではないのです。

毎日が楽しくなる。
仕事が楽しくなる。
友達との会話が楽しくなる。、、、するってーと、
見えなかったものが見えてきたり、知らなかったことは黙ってても友達が耳に入れに来てくれるようになるし、仕事だって楽しければミスも怪我もありえなくなるし、思わぬ力が発揮できれば自ずと良い結果がもれなく付いてくるようになるし、楽しい雰囲気を友人と共有できればお互いのことも見えるようになるから、友人が困っているなと思えば、自然と助けてあげたくなるからね、喜んで貰えれば双方が嬉しくなるでしょ?感謝されればもっとしたくなる。プラスのスパイラル。

だから、今の私は唯一熱中した麻雀ゲームも埃をかぶり、テレビも殆んど見ることはなくなった。
専ら朝から就寝時までラジオだけはつけたままだ。

ひとりになれる時間が殆んどない。
だから寂しくないし、人と会うのも疲れることもあるけれど、心地よい疲れだから負担にならないし。

おかげさまで、
この10年。風邪を引くことあれども、半日以上寝込んだことはなくなった。
加齢に伴う持病は仕方ないが、病気と無縁に。

だから今回の声帯polypのことは、少しだけ休憩せよというお達しだろうと。
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#669 裏方さんがいるから成り立つことを忘れてはいけない、、と思う

2015/04/29 09:17
こちらはマンションのお掃除をお手伝いいただいている小澤お母さん。ご自宅で育てておられることから、我が家とマンションのお花の先生として色々と教えていただいています。
この日も初めての夏日でしたから、お仕事のあとでお母さんをご自宅まで送らせていただきました。

よく会社でも職人さんが台風で帰り道自転車では大変だとか、遅くまで鉄の溶解で残業になった時に、トラックに自転車を積んで自宅まで送りましたが、気持ちが優しい父からも、そのことは歓迎されませんでした。父の時代の職人の中では非常識な人もいて、やるのは当たり前と舐められた経験からだと思いますが、背中を見て育ったわたしはまずはわたしの気持ちに正直になり、裏切られてからボコボコに(笑)がわたしのスタンスで。

町会なり菩提寺なり友人なり、、
上下構わずに、人としてあるべき姿でありたいし、自分が間違いなら真摯に謝ることも。
だから、アタマが弱いわたしでも、正直だから、間違いは間違いと言う姿勢から仲良しも増えた10年です。

お寺であれ町会であれ、えらい人?であればあるほど勘違いした価値観の持ち主が多く、その下で支えている人のありがたさもわからないボンボンばかり。
そのうち、ガッツリと弱いものイジメはお仕置きをしないとと。

親子なら、親が悪でも正しいと勘違いするのが子供。
お寺さんは「乗り換え割」ないからなあ。優秀な役僧もクビにしたり、お寺の掃除をなさっている人もクビ。
しかし、乗り換えも出来ないから、そこが好きだからと、ボランティアで毎日のようにお参りしながらお掃除続けておられる人もいます。

ありがとうございます。ご苦労様でさえ言えない。

マンションのお掃除のお母さんも、私には一生懸命やりますからよろしくと懇願されますが、雇用側としてでなく、私からお願いしますと申し上げていますから、お母さんはいつまでもよろしくお願いしますねと78歳のボランティア大好きのお母さんを大切にさせていただいています。

お寺も同じ。
祖父、父と檀家総代長を拝命していますが、杖をつきわたしが車椅子を押して会合に出ても、御前夫妻も息子も出迎えもできない。お塔婆代値上げも本来は御前の側が檀家さんにお願いに参上するものを外からこられている役僧に丸投げ。
祖母と母の法要のお布施はいかほどですか?と息子に尋ねても「10万だったか?5万だったか?」と金の重みも分からない。だいたい社務所にお邪魔しても留守番の息子は電話にも応対もせずに社務所奥のデスクのパソコンに隠れてでてこない有様。

これではわたしの知る限り、まず評判が底に落ちた話は納得です。

写経会や写仏会で教えてくださっている役僧さんも、先日ツレと写仏会デビューで教わる約束でしたが、突然いなくなり、理由を聞いたら御前が帝国ホテルまで乗せていけと。
上司だから仕方ないと形の上で話しましたが、本人はお寺のイベントだからと真剣に準備をされたのだろう。
それを知る他の役僧さんたちも同じ気持ちなのは言うまでもなく。

私の上の世代の総代の皆さんが総代会などでお寺さんにお越しでも、玄関で腰を落としてお出迎えお見送りもしない、できない。

出迎え3歩見送り7歩と言われるが、⚪️⚪️丸儲けの典型でも、責めて何で腰が落とせないのか?
雨の日の総代会に足が衰えた父を車椅子で連れて行き、定刻2分遅刻したとは言え、玄関をあがった父に御前は睨みつけ、嫁は見ても言葉もかけてこない。一部の総代もろくでなしだが、お仲間の皆さんや役僧の皆さんは杖のガイドを務めてくださる温かさ。

いくら日光御成道の途中で将軍様がお立ち寄りくださった由緒あるお寺でも引き継いだ御前夫妻親子が何もできない、情けない。

責めて30代の息子だけでも私たちが腰を低くしてでも振り向かせたいとしていますが、何だか前途多難。

誰でも歳はとる。
ダラダラになったら支えるのが若い世代。邪険にしてどーする💢
まして、お寺の住職。
役僧さんたちだけでなく、お手伝いに来てくださる皆さんへ労う姿も見たことがない。
だからこそ、
わたしは先代のように金があるわけでないから、責めてお参りの時に皆さんと笑いながら和やかにさせていただいたり、一緒にわたしもお手伝いさせていただいたあと、缶ジュース程度は差し入れてみんなで飲む。

役僧さんたちの努力で、こちらのお寺さんにはちいさなお子さんも立ち寄るようになってきた。
お手伝いをしてもらうとご褒美にジュースと役僧さんたちが自腹。
しかし、御前側は息子もだろうが、子供たちを呼び込むことに反対のようで、嫌味の二三発はぶちかましてくるのだろう。
お釈迦さまの誕生日の花まつりも雪混じりの寒い日でしたが、御前は御堂の右側に鎮座する御詠歌メンバーに向けて異常なるお世辞の挨拶はしても、左手の一般の参加者にはとうとう視線も向けず。

これらを見ても檀家総代長の息子と絶対にひけらかさないわたしもかちーんと。父でなくとも高齢者に対して配慮のかけらもないのは絶対に人として許さない💢

町会にせよ神社にせよ、これが現実。
息子もまるで向上心のかけらもないから、これから先どうするんだと。
わたしも40前までは会社も親父がやればいいと無関心で目の前の仕事に夢中だけだった。だから寺の息子もわからないではないが、わからないならそれなりに周りの通勤役僧さんたちの輪に入り仲良くしながら教わればいいわけなのに、それもせずに仕事が分からないからだろう、ミエミエの居留守を使うのは日本男児としても風上におけない。

子供たちは正直だから、御前がお菓子をどうぞと話しても誰一人聞いていないし持ち帰ろうともしない。
反発するやつは「悪」と、以前も何人かクビにされたようで。

子供たちへのご褒美は無駄遣いと煙ったい態度のようだから、ウワサですから正しいとは言えませんが、銀座のクラブ通いでカラオケに夢中だから読経も上手でしょう?まで聞くから驚きだ。

ネパールが大変だと微々たるが募金させていただいたが、ネパールどころか、日本国内の身近なところが大変だと。
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#668 学級崩壊?自治会崩壊?子供のことを叱れない「懲りない面々」

2015/04/25 13:43
おはようさん。昨日はツレが里?帰りで、送ってきてから残った鉢植えの移動と、玄関前にと買ってきた2段のプランターを組み立て(むかしから不器用の帝王だからプラモデルもできなかった男です)セット。レンタルビデオ屋さんに顔をだし、途中、従姉妹の家のダンプのルームランプがついたままだったので、午前1時半だったけれど姉ちゃんに電話。帰宅してマンションの掲示物が整っていなかった部分をやっと直して2時半。夜食をガッツリ食べてからもうすこしやっちまおうと思ったが、有頂天になると土曜日が使えなくなると思って6時就寝。10時ごろ現町会長のマサからの電話で起こされた。

来年度の我が町会。
一部の後期高齢者の仲良しグループ5~6名で駒を回した人事ということも耳にしているが、どこまで<暴走>したら気がすむのか?と思う。
今度の総会も昨年までの女町会長から金物屋のマサ(私とほぼ同世代)までの5年6年で、形だけは<栄華な町会の総会>を気取るものの、今回もまた女性部が全員辞表をという異例の状況。女性部長の責任ではなく、女性部とは名ばかりで、実質「尻拭い雑役部」とでもいうような。

私は、女性町会長の時代に総務部長・広報部長・副衛生部長・班長と父と共に「検認は絶対に避けるべき」と思いつつも、懇願されてこられたので60過ぎるまでは町会の役員は受けたくないといいう信念を覆して協力したつもりだったが、就任3カ月も持たずに懇願された女町会長に「吉川さんはやめてほしいのよね」と。

もしかすると私の性分で、いい加減なことはしたくないし(無責任は❌)でも上司である町会長のためになることは多かれ少なかれ悪者になってでも進言をさせてもらってきた。しかし、我が町会のトップ経験者はレターなりFAXなりを送ると「こんなものを届けてきたのよ」とあちこちに見せて回るというレベルなのだ。
(もちろん、逆手にとって見せられると好都合になるような文面を心がけたが)
個人情報や著作権もあったものではない。

しかし、
町会にはどんな役立たずの執行部の人間がいても、自治会を大切にしたい気持ちを大切にされて皆勤賞のように町会行事の裏方でも引き受けておられる先輩も少なくないし、同世代や後輩も少なからず理不尽に思っても頑張ってこられた。

私も気持ちは同じ。

でも女町会長時代の私の就任した1年間は、周りの先輩からも「吉川さん、もう年度途中でもやめちまおう」と再三誘われたが、「あと数ヶ月ですから頑張りましょう」「途中で投げるより年度任期をまっとうすればそのあと発言権が生きてきますから」と。

そんな肩を組んだ老若男女の気軽になんでも話せて、体調を壊されたと聞くとみんなで見舞ったりという本来の向こう三軒両隣のサークルが僕が作った「ドーデモイイ会」だ。

作って3年目。常連会員は8〜10名だが、私が56歳で最年少。

先日、防災部長から「防災倉庫のinventoryと今後の倉庫備品の希望を聞く」ための
防災部の活動をするので吉川さん手伝ってよというお誘いだったので、役員でもないのですが、手が足りない時は可能な範囲で協力させていただこうと、お天気だったこともあり、会館内に会館管理部の問題夫婦に関わらずに入れるということから、町会顧問の父とツレを一緒に応援に。

「防災部だけは唯一、市内の町内会で胸を張れる」


川口市の公認ボランティアにも参加させていただいてきたが、多かれ少なかれ経験上でわかったことは<ボランティアはことばは綺麗でも中身は混沌としている>こと。

「私はボランティアで汗を流させていただいています」と胸を張るひとの裏で「いいとこ取りをされて憤慨されているひとが必ずいる世界」だと。

人間社会ですからそれもある程度仕方ないとはいえ、ある程度であることもまちがいではない。

<私は自分の器をわきまえているつもり>だ。
決して逆転の自己顕示欲からではなく、小学校の初恋の彼女にも「タケちゃんも私もトップはだめなのよね?色々と周りが見えちゃうからね。トップがあちこち重箱の隅をつつくように動いたら、下の人間はあったものじゃないものね」と。

まさにその通り。

知的に発達が遅れた私(笑)ですから、それに気づいたのは40過ぎた頃だった。
面倒なことはやりたくない。やらないといけないのならすぐにはやらない。だから期限が迫っていい加減にやるからろくなものができない。

したがって、<信用は落ち込んでいく>という図式だ。


生業の鋳物業も時代の流れもあり、今年創業99年だが、確か創業95年で製造を止めざるを得なかった。工場も取り壊し敷地を貸すという形で高層マンションが建った。(商社化したもののまだ元気に営業中だが)

閉鎖という臭いを感じ始めた10~15年前から、遅まきながら社長も弟夫婦に頭を下げて任せて、私はその頃も子連れのバツイチでしたから、会社の社長がピンであるのと夫婦揃っているのでは信頼も変わるということもあるのと、当時在職の作業者(私の鋳物の大先輩でも実際の部下)4名と同じように汗を流し、血を流しという<弟よりも唯一誇れる経験年数(笑)>で「現場主義」を名刺に語っているように、会社の製造現場の終わりまで私がガキの頃から力を注いで下さった職人さんのそばに添いたかったからだ。

余談だが、
最後の溶解日の終わりに弟である社長から従業員に挨拶があった。
(そのキューポラ操業のビデオ撮影は私の愚息に任せたが)
その息子が「お父さんからは挨拶しないの?」と。息子は当時大学2年生。

95年の工場の稼働の最後に、息子でも「専務のお父さんも挨拶は?」という気持ちだったのだろう。
「な、おじちゃん(社長)から専務からも一言どうぞ」とあったらお父さんなりにみなさんに労いの挨拶は考えているけれど、そこは社長が配慮あればだよ」と。

<当然のこと、45歳?の弟社長からは専務の挨拶の指示はなかった(笑)>

余談になったが、社長である以上、事務所にデンと構えていて良いものだが、従業員4名含めても7名の零細企業。いくら発注元からの受注が電子化されても、経理担当の義妹と弟は朝から終業まで事務所で無言でパソコンに向かっており、みるとネットサーフィン。

ただでさえ受注激減なら、受けた注文は迅速に良品をお届けすることが首をつなぐ有効な手段であるのに、月に3回ほどになった鉄の溶解日に午後から現場に出てくる社長。終わってから従業員と一服してから事務所に帰れば良いものの、「おつかれさま」とすぐに事務所にという現状。

私は左上肢3級機能障害者で左手の指が使えないので、革手袋も使えず左手は素手でクズ鉄などを溶解炉に投入し、溶解工程を始める準備も片付けも私一人でこなした。

だから、
従業員がどんなに簡単なフォークリフトで移動してもらう作業も、私が2トン車で納品して帰ってくるまで弟社長が事務所にいても我慢して私が帰社するまで待っているという現状だ。

*******


このように、
私は不器用でもどんなに面倒なことでも「時間をかければできる」と信じて辛い作業であれ、工場に来客があれば工場のトイレ掃除や職員食堂の掃除まで楽しくこなしてきた。(義妹もうんこはするのだろうからトイレは使うと思うのに)

ただでさえ猛暑の現場で職人が倒れてほしくないと思えば、朝早く起きて麦茶を10リットルやかんで沸かして冷やして食堂に。
(これも、我が社専属のご近所の木型屋さんの親父さんが毎朝7時には食堂で職人さんにお茶を沸かして待っていて下さった背中を見ているからだ)

アタマはアタマにふさわしい人がやればいい。
私はアタマがアタマにふさわしい指令系統と将来性を(ビジョンを)持った指示が出せる人なら、裏方でアタマを、みなさんを、喜んでいただけるような縁の下の作業ほど楽しいことはないと思っている。

それを見ていただければ、新しいみなさんも「仲間に入れて〜!」ということは自然の流れになると。

<< それがわが伝統ある町会にみじんもなくなってしまった >>

老害となっている面々も自分たちに対するよからぬ噂は耳にしていると思うのに、新年度の役員の情報を耳にすると、さらに上塗りするような人選で。

やりたいのなら堂々と皆さんとコミュニケーションを図ってでも胸を張って手をあげるのなら応援もできないことはないが、居酒屋でワイワイと決めたことをそのまま強引に通そうとする傾向は女町会長が作った風潮だ。

「吉川さんがやってよ」という声は聞かないわけでもないが聞きたくもない(笑)

せめて、ドーデモイイ会の関連する仲間作りでゼロスタートからの「町おこし」のつもりで小石を積み上げるようにコツコツと実績を積んでいくしかないのだと。

せっかく新しい仲間が出てきてくださっても、重箱の隅をつつくような「粗探し」で目を積むような面々には私が幼少から育てて下さった町会に申し訳がたたないという気持ちだけなのだが。

みんなで町内の会社のトラックをお借りして町内を巡った資源回収もいつのまにか業者のトラックを出してもらって積み込みの手伝いをするだけに。
(参加者は常連の経験者のみに。こどもの姿はあるはずもなく)
年に1度の敬老祝賀会も会館に収容できないという理由で昨年から記念品を班長さんに配ってもらうだけで祝賀会も歴史あったが中止。
(女性は特にこの日のためにおめかしして集まってこられた姿もなくなった)
新年会も、議員さんや来賓の皆さんがまだおいでなのに、開会1時間もしないうちにお客様がおられるのに半数がもらうものをもらってかえってしまう情けない状況。

だいたい、
議員さんがおいでなのに、執行部の人間が大広間で雑談をぶちかましていて誘導のしないので、議員さんは一般の人の列でお待ちいただいた情けない姿。
(私が父を送り届けた時だったので、「⚪️⚪️さん、お客様がおいでだよ、ご案内して!!」といったほど。)
*スーツをお召しでバッジをつけていたらお手伝いでもわかっても良いはずだが。
(これがわが町会の現在のレベルなのです)

ただでさえ、町会の会館は市の公園課の事務所を毎年借用審査を受けて許可をつないでここまできたわけで。
以前町会所有?かの会館が地主の方の要請で引っ越しして30年あまり。
町会会館設立積立は毎年100万。30年なら3000万。借地でも建物はたってもおかしくないのにどこに使ってしまったのか?

老害の拠点管理である会館管理部の部長と副部長を夫婦で任せるのはよくないと私も含めて顧問相談役からも常連の裏方さんまでも口を揃えて制止したものの、現職の金物屋のマサ町会長が本意なのか?言わされたか?昨年度の役員に名を連ね。
芝川公園には野良猫に餌を与える人がいて近隣に迷惑をかけているので公園課で注意喚起の看板を立てているのに、公園課事務所エリア(会館として使わせていただいている部分)の管理部長夫妻がいまもなお、隣接の役員も何もしていない豪邸の老婆と結託して会館エリアの鍵を共有し、防災倉庫の底の部分他に猫の餌を毎朝与えに来ている現状で、反対側の私のマンションと別の新築マンションの敷地内で猫がなきわめき、発情期には繁殖で増え続け、ひどい時は駐車場の車の下や、昨年は2階の私の家のベランダで死んでいた猫が。

会館使用許可を町会長に正式な手順で許可印をもらい会館管理部のタバコ屋店主夫妻に鍵の開け閉めを依頼に行っても、そこでまた<審査?>されて散々嫌味を言われたから開けてもらう傾向が強くなり、業を煮やした部長が鍵は町会長と防災部長が持っていることもあり、わざわざ会館管理部長の顔色を伺ってまで借りたくないという習慣になっているのだが、風の確かな便りでは一番の老害であるタバコ屋の嫁が来年度の副総務部長に候補としてあがっているとか??

私が総務部長の時に提案したのは、、、、
会館は市の施設ですし、お借りしているものを公私混同で私物化していて多くの町会民が不愉快に思うのなら、町会会館をお返しするべきと。

町会会館がないのなら、公民館をその都度借用すれば良いことだと。
会館管理部の年間の計上予算は確か30万円。その分を積立に上乗せし130万で積み立てていけば良いことだと。

私は「このやろう!」と思う人にでも基本的には<全否定>は絶対にしない。
それは、町会にたとえても、「みんなに嫌がらせをしてやる」という意思のみで動くことは稀有なこと、頂上に登頂するににいろいろな登山路があるように、悪者と思われても全否定する必要はないと思うからだ。

でも、
尽力され役に立っていると言われても、この町会は昔から<後輩を育てようとする気持ちもビジョンもない>のが最大の汚点だ。

私は、ドーデモイイ会の皆さんをはじめとして、町会を盛り上げようと懸命に動いてくださっている人を多く目にしているわけで、自分が未経験の広報部長であれ総務部長であれ就任の内定が知らされた時から自分ではなく自分が辞めた後の人材を探しながら努めてきたつもりだ。

ここまで劣化した状況になることは数年前からわかっていたので、班長は賃貸マンションである以上、交代は難しいと思い常任班長として役員を全て辞任した後、1年間考えてから動き始めたことが、<自分の班を活性化しよう!>ということだった。

いままで、
月に一度の町会の資源回収も、自分が業者さんの4トン車の運転からツレにウグイス嬢を頼んで当日の日曜朝だけでなく、土曜の晩も自分の車にマイクとアンプとスピーカーを積んで町内をアナウンスに回ったことまで副衛生部長としてうごいていたので自分のマンションのゴミステーションは放置だった。

そこで、
事前にマンションの大家さんニュースとして「自分たちが出した資源ごみを町会有志の皆さんが回収しやすいように分別してゴミステーションの外に出すお手伝いをしていただけませんでしょうか?」と掲示したら、4〜5ファミリーがお子さん連れで常連で参加してくださるまでになった。

私たちも、(経験上、休憩時間にペットボトルのお茶なりをいただいたが)
夏はキンキンに冷えた煮出した麦茶を、冬は挽いたホットコーヒーを用意しておき、回収時の皆さんに飲んでいただこうと。
マンションファミリーの大人もだが、ちいさなお友達にはジュースを用意した。

それが嬉しいことに、、、
大雪の朝、雪かきスコップと塩化カルシウム(融雪剤)は私が用意したのですが、寝坊していけない!!と思って駐車場に出てみると、ファミリーが大半の駐車場の雪を掻き終えていたという事実。(感涙ものでした)

隣の新築マンションのように最新鋭の設備ではないが、私の在住の25年のマンションはハートが「あったかいんだから〜」をと、マンションエントランスに季節の行事ごとに飾り付けをみなさんでするようになった。

七夕の「笹飾り」も短冊を用意したら、子供よりも大人が「馬券が当たりますように」「妻の病気が治りますように」とか、、、。

町会の防災訓練にも出てくださるようになったし、防災部の部員に協力していただけるお話もいただいたし。

共稼や単身のご家庭のパパやママやお子さんも、困った時に「私の自宅や携帯に頼ってきてくださる」ようになって、保育園にあさに送りや迎えの時に仕事の前後に自転車では辛いような時は、私が保育園の送迎の園バス?に協力したり、私や特にツレが大手術となると子供達が折り紙を届けてくださったりと、、、

<< 同じ屋根の下で一緒だから助け合いでね〜 >>

着実にちいさな地域の連携ができてきています。

今年もハイムのお花いっぱいをと、朝顔の種をみんなで蒔いて何色のお花が咲くか<馬券は売らないよ(笑)>と盛り上がっています。

今年は夏前にハイムのみんなで駐車場でBBQを計画していたりです。
ドーデモイイ会も日帰り遠足とみなさんの希望で宿泊遠足も計画中です。

<< みんなで気持ち良く支え合って、災害時にも一人の命を落とすようなことのないように >>

ミニ町会作りの様子はタバコ屋もマサ町会長も見えていると思うのですがね。

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#666 面白く生きるためには。(掲載順を間違えました)

2015/04/24 08:00

おはようさん。
昨日は自分の<済生会川口総合病院>の通院日でした。
わたしのことをよくわかってくださっている皆さんは「タケさんほど病院を怖がらない人はいない>と。
幸か不幸か、今まで病気・事故・ケガでの通院や入院、手術等の経験が豊富なことと、親戚から友人知人の医療相談や介助などのお手伝い等をさせていただいた経験からも、病院事情、医療従事者事情等も少しはわかっているだけに、自分のこととなっても冷静だからだ。
しかし、
今回の耳鼻咽喉科の声帯polyp切除術目的の入院も、経鼻内視鏡の画像からの目視所見で「良性」との診断に「ちょっと待った!」という思いから「切除」を願い出て実現したもので、術前精査から切除部分の病理検査も自動的にやっていただけるという特典付き(笑)により、その根拠を持って「良性」ならいいと。
しかし、
良性ですよという診断は3月下旬。そのあとですぐに動けば良かったが、父やツレのことがあったのでひと付きも温存(放置)したことで、いくら切除は不要という判断とはいえ、投薬もなかったけれどもこのひと月でまちがいなく息切れまでひどくなったようで、声枯れもこのところ顕著になったし。喫煙もやめることはないが、かなりセーブしているし、入院前から「流行りの電子タバコ」に転換しようといくつか注文はしたが。
昨日こそ予約をキャンセルしようかと・・・。
もう過労で体が悲鳴をあげている。
「タケ、病院付き合うよ」とツレは言ってくれるが、昨日は手術当日にお付き添い1名と来てくださいとのことですから付き合ってもらう必要はあったが、ひとりよりふたりがいいのもわかっているけれど、連れて行くと病院到着から病院から帰るまで、車椅子を押すことだけでもかなりの負担になるものだからだ。
でもどうにか病院までたどり着き予約順にセクションに出向いた。
DS(日帰り手術センター)のナース(みちこさん)も患者と付き添いを間違えたほどで。
(吉川さんお元気そうだから間違えちゃったわ、ごめんね〜)
電カルにも問診票にも「男」ってあったじゃん。(笑)
昨日は、
1)麻酔科医師と打ち合わせ
2)耳鼻科医師と術前検査の結果の説明
3)DSで手術当日の打ち合わせ
のスケジュールだった。
麻酔科医師は副院長で麻酔科部長の千晴先生(女医さん)で、服装や言葉遣い、仕草を拝見しても「さすが優れた女医さんだから副院長というお立場を任されているんだなあ」と。
落ち着きをみせるブラウスにロングスカート、時に開いた胸元から熟女らしきインナーのレースも見られるような服装に白衣。
説明や仕草も患者本位で患者の話を聞いてくださる、電カルに打ち込むキータッチは瞬時にセンテンスを打ち込んでしまう腕も。
実は根岸先生も我々と同期の昭和33年生。
済生会の院外広報誌に先生の紹介ページがあったが、先輩であれ医療現場では妥協を許さない典型的なタイプと呼ばれているとご本人が書かれているほどのスーパーDr.のようだった。
耳鼻科の主治医とも専属のナースと書面の説明を聞き、最終的にDSに。
そこで前出のみちこナースの説明。
「吉川さんの今回の処置についてはPC(ピーシーと彼女は連呼)に入れられて管理をさせていただいておりますので、ピーシーで見てみましょうね」と。(あらかじめ予約時刻に行っているんだから事前にプレゼンを用意しろよ(笑))
まるで台本を棒読みで見るようだったから失礼ながら笑いを堪えるのが必死で。
「何か質問は?」
「いえ、よくわかりました」
「そーよねー、吉川さんは専門用語もご存知のようでしっかりされているから大丈夫よね」
「ありがとうございました、当日はどうぞよろしくお願いします」
「当日お待ちしておりますね、おだいじに」
・・・・
「ところで、みちこさんもわたしもツレも昭和33年生ですよ、昭和33年生は面白おかしく愉快なキャラクターが多いんだよね」
「そうだったの〜、さっきの麻酔科の根岸先生も昭和33年の7月生まれよ、あ、内緒だけどね〜」
「だってみちこさんもわたしと同じく11月生まれでしょ?誕生日確認もわたしは11/19を2回も11/11と言われたから同じだと」
「おツレさんは?」
「ツレは1/14だよ」
「じゃあ、学年が違うよね」・・・・
こうなったら<昭和33年会>の同期会(笑)。
みちこさんも「デキル」看護師。
しかし、DSの専属の看護師と事務職員が萎縮している様子もみえみえだったので、みちこさんはDSのご意見番なんだと苦笑。
また脱線しまくりだが、
<もう、世の中を動かす中枢は我々の世代なんだ>とここでも痛感。
ちょいワルおやじ(2)の世代だから、仕事きっちり!でも、どうせやるのなら面白おかしく愉快にがモットーで。
しかし、
病院ほど、それぞれの職員のカラーが如実に見えてきていることがよーくわかった。
これだけでも「新書」が1冊かけると。
帰宅する途中での運転で欠伸が頻発したのもいうまでもないし、帰宅して食事の後からベッド爆睡。
痰が切れない。
目覚めにくい。
だるい。
疲れが取れない。
声枯れが早い。
これが今朝の(S)主訴。



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#667 自慢の親友、、、健在。

2015/04/24 07:55

きのう親友のアオキ加須店店長のヒデさんのお店に春物の買い物をツレと訪問。いつもですが創業家と無縁な青木店長を10年来追いかけておつきあいをさせていただいておりますが、彼の凄さ、見習うべきノウハウは「お客様目線は当然のこと、顧客が何を望んでおられるかをしっかりと分析しておられていること」で、
タケさんたちが来てくれるというのでこんなモノをとさりげなく店舗のレジ付近に用意してくださっていたり、来店時に馴染みのお客様ともコミュニケーションを大事にされていて、何気ない会話から最近のお客様が紳士服に対してどのような視線を向けておられるか?などを熱心に傾注していることです。
ですから、アオキは近所に鳩ヶ谷店、東川口、西川口、川口駅東口店とありますが、私たちは青木君のいる加須店と青木君の愛弟子のせんげん台店の家守副店長まで追いかけて買い物をさせていただきます。

昨日も春物の買い物といつものように「異業種間交流ミーティング」を30分ほど。
青木店長と僕とアパレル業経験者のツレと3人にその日に出勤されているスタッフさんとも、いかにしてお客様が来店したくなる店舗作りをするべきか?という課題でディスカッション。
前回は青木君が地元のフリーペーパー誌とタッグを組んで地域の情報とともに地元の皆さんに溶け込んだ店舗の紹介等に取り組むのにタケさんならどうしますか?という問題提起だったが、今回は僕から「最近女性だけでなく男性版の月額7000円でお気に入りの女性コーディネーターに月に一度、ジャケット、シャツ、パンツ、タイなど申込者に似合うパターンの服を貸与してくれるサービスをどううけとめるか?という問題だった。

このように、知的好奇心をくすぐる問題を、全スタッフも巻き込んで取り組もうよと僕から提起しているのですが、とてもためになる時間を作っていただけるので、自宅から高速利用で60分ですが通っています。

昨日はサプライズで、顧客を巻き込んだ初期避難訓練を仕組んだ店長。
地元消防署と連携をとって避難誘導と初期消火訓練実施。そして職員と顧客に挨拶をされて無事終了でした。

彼との連携プレーで、もう7ー8年前になるが、東川口店店長時代にAOKI全社での報償制度で「顧客満足度社長特別賞」を当時の店舗スタッフ全員と我々も含めたメンバー全員の力をまとめた功績が会社で認められた実績を持つ青木君。

頼もしい弟分です。

最初の写真でレジカウンター前の壁に並んでいる「コーディネーターライセンス認定証」ですが、加須店は青木店長になってから2年でスタッフ全員がライセンス保持者に。

どのAOKIに行っても、全スタッフがライセンス保持者はそうあるものではありません。

これも私が尊敬して止まない青木店長の公認の証明です。

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#665 夫婦って・・・・

2015/04/14 08:43




おはようさん。
昨日の雨も今朝の雨?もこの季節にしては堪える雨ですね。
ここのところ、ツレと歩調がずれてしまい、つまらんことで言い合いに。
自分にも気持ちの上で余裕がないのでと少し言いすぎかなあ?と思うこともありますが、本人にもあまりのわがまま?被害妄想?とも思えることが著しいと思ったときは、どストライクで私らしくない?(らしい?)暴言を吐くことも。

一昨日も昨日も深夜零時前後に2人でラジオをつけながらお茶を飲んでいるときに勃発。(笑)
無言になったり、知り合って12年ともなると<顔に書いてある>ようなもので、私に対する不満はすぐにわかるから「不満あるのならいいなさいよ」と。

詳細はカットしても、達観してコメントすると、
「両股関節置換術」を受け、「手術中とリハ中に両足の受け側の骨の亀裂骨折で再手術」という本人には前代未聞な体験をしたものの、退院して1ヶ月半で、一昨日は杖を使わぬとも立っていることができるようになり、喜んだものの、やはり<将来への不安>と<自分の意思で何でもできない「苛立ち」>が彼女に重くのしかかっているということ」

他人から見ると「惚気」と思われるほど、ツレのことは一生懸命に支えてきた。83歳の父に対してもだ。

自分も蓄積疲労が限界になってきたと感じるほど、体のあちこちに不具合を感じてきているとツレにも伝えているのだが。

まあ、自律神経の乱れを起こした人は、経験からも「反論する内容は正当論でも自分のことしか見えないし、ネタも不足しているものですから、同じ反論を繰り返す」傾向は否めない。
おまけに、男脳と女脳は双方がきちんと手をつないでこそ大きな生産性が高い行動につながるのに、お互いに自己主張をぶつけた(まま)で議論すれば当然のことパラレル状態のまま解決には至らないものだ。

女性は「今でしょ!」的な見方が得意。
男性は「先々のことを考えて」的な見方が得意な生き物で(これはセクハラではなく、生物学的に証明された性差役割分業ということで)お互いの主張を「尊重」して初めて一つの前進になるのだが。

<やはり、ツレには今回の大手術は痛手だったのだなあ>

身を粉にして支えてきたのだが、もしかすると私なりに考えた精神的なリハビリのプログラムはツレの核心にまで届かなかったんだと、カチーンときても、冷静に冷静にと自分の気持ちをコントロールしてきたものの、的外れなら逆にツレに辛い思いだけさせてきてしまったのかも・・・と。

ひとつだけ言わせてもらうとB型同士。前妻もB型。
共通項が昨夜も見え隠れして・・・。

お互いに<夫婦の生活>には恵まれなかった、失敗した経験は同じ。
夫婦=協調性の重視  
だからこそ、大切にしようと私も叔母から「タケは随分成長したわね」と55年目に母にも言われなかったことを褒められたことでもわかるように、
同じトラウマは受けたくないのでと冷静にと努めているが、

昨日は丸一日ベッドで爆睡だった。

その分、ツレは朝9時から夜までひとりで部屋の模様替えのやりのこした家事を済ませてくれていた。

「あ、随分がんばってくれたね〜、おつかれさま〜」という言葉も自然にだしているのに・・・。


真剣にこうなるとツレの旦那というよりツレの父親になった気分で。
(よくGFである人妻(笑)たちからSOS信号を出されて応援や手伝いに参戦することもあるが、BFには変わりないものの、「タケさん、父親のように支えてくれてありがとう」というコメントだらけで(笑))



この歳になると、
「まあまあ落ち着いて」となだめることがほとんどだ。
父も83にもなると半分以上子供に帰るから、みんなわたしを父のようにみていることがわかる。

でもなあ・・・
俺だって人間だぜ。人が助かる、喜んでいただけることに動かせていただくことが生きがいだ。

自分の自律神経が乱れた時や、疲弊した時こそ、人のことを心配して手を差し出そうとすると元気になるし、気持ちも冷静になれるという傾向。

今週木曜日に<ツレの医科歯科大病院の通院日>金曜日に<わたしの済生会川口での手術前精密検査>だ。

受診前の<自己カルテと命名した主治医への情報提供レポート>を書くが、それも冷静に簡潔に書くためには冷静沈着な時間が必要で。
(電カル:電子カルテ)にそのまま摂り混んでいただいているもので。


受診する立場の人間は診察していただく先生に少しでも確定診断や治療方針を立てていただくために、回り道を極力されないように協力させていただくことが「診ていただく」側の心得だからです。

今日こそ、ツレに決算経理事務を進められるように集中する時間を確保。
最終的にはわたしも確認作業に参加して一緒にこなすのがこの2年のおきまりのコースメニューで。

将来的には、
ツレの経理事務をわたしでも代行できるようになりたいし、ならないと。

まだツレは爆睡中。
でも、昨日ひとりで洗濯物からゴミまとめ、壁のホコリ取りと雑巾がけまで棒の先に雑巾をつけてまで頑張ってくれただけに(もしかすると意地でやったかな?)全身の筋肉痛もあるのだろうなと。

コーヒー沸いてるよ。
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#664 花まつり

2015/04/08 20:54
ピエスモンテ(じいヤンのよもやま話)
#664 花まつり
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今日はお釈迦さまの誕生日。花まつりと言いますが、お祝いの読経を皆さんと般若心経のあと唱えてから、お釈迦さまに甘茶をおかけする行事がここ川口で将軍様が日光東照宮に参詣されるときにお立ち寄りいただいたと言われている錫杖寺の地蔵堂で行われました。
普段は檀家総代長の父と参列するのですが、昨日までの陽気から一転して朝方に雪混じりの陽気でしたから83歳の父に風邪を引かせたくない為に、祐さんも足元が悪いことを考え、一人で吉川を代表してお仲間に入れていただきました。
「あれ?タケさん、今日は一人なの?」と役僧の皆さんが口を揃えて言うので、「俺ぢゃなくてさ、いつもいつも祐さんがお邪魔するのを楽しみにしてるんだ。ほーそーかそーか(笑)」と。
若い役僧のコマちゃんを筆頭に、子供から大人まで気軽に立ち寄っていただけるお寺さんを目指して地道に努力されている姿に感銘を受け、わたしも微力ながらお寺さんとのお付き合いを楽しく愉快に厳かにできたらいいな、、と皆さんの輪に入れていただいています。
帰り際に、若い役僧のコマちゃんや大先輩の役僧のマスヤマさんからも、「タケさん。甘茶のティーバッグとお菓子をお持ち帰りくださいね」とありがたくいただき、その直後に「もう一つづつどうぞ、祐さんにね」ですと、、、。お気に入りはわたしでなく間違いなくツレの祐さんだ。(笑)

先日の錫杖寺落語会で、FM79.5NACK5、FMさいたまの月木の13:00〜1655のGOGOMONZ(ゴゴモンズ)のMCを務めておられる三遊亭鬼丸師匠の高座を聞き、月曜からTBS954の赤江珠緒たまむすびからゴゴモンズに切り替えてしまった。
井の中の蛙だったが、まだまだFMは肌に合わないものの、鬼丸師匠の語り口に惚れ込んで、平日昼はゴゴモンズに。

そのきっかけはわが錫杖寺。
菩提寺がステキになってきたぞ。
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<#663 錫杖寺落語会とラジオの将来>

2015/04/06 09:00
ピエスモンテ(じいヤンのよもやま話)
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<#663 錫杖寺落語会とラジオの将来>

昨日は川口七福神を祀った寺社である<錫杖寺>で落語会。FM NACK5で月木の13~17時のOAのパーソナリティを務められて5年目の三遊亭鬼丸師匠の高座でした。
「お寺はたくさんの皆さんに気軽にお立ち寄りいただきたい」という御前夫妻以外の若い息子副住職を筆頭に役僧のみなさんから親しくさせていただいている全ての皆さんの手作りの会に私と祐さんも檀家総代長の父が参加できないこともあって、足元が悪い日でありましたが、お開きの時間を15分も延長した楽しいひと時をすごさせていただきました。

私も前座を、、と噺だけは用意したのですが「お呼びでない?お呼びでない?」
「これまた失礼いたしました〜」と。(笑)

108名の参加者の募集をしたようですが、本堂に入りきれないほどの盛会。
「写経会」「写仏会」で知り合ったご夫妻にも再会。5/09の写経で会いましょうと。

後継者の世代がみなさんと力を合わせて盛り上げようと頑張っている姿はとても気持ちよくて、なんの力にもなれませんが、雰囲気作り、笑いを呼ぶなどのムードメーカーにはなれますから、鬼丸師匠も気分が良かったのか?次回もぜひというお話を社交辞令でなく話されていました。

何かみなさんとたのしく過ごすために、新しいことにトライしてみること。

これはとっても大切なことだと思います。

ところで鬼丸師匠の「nack5 GOGOMONZ(ゴゴモンズ)」という番組。
平日の帯で4時間。それもこの4月で5年目という。
噺家さんやアーティストが30分番組を週に1コマ持つということはあっても、4時間帯のワイド番組を継続されているというのはすごいことです。

残念ながら私は中学時代からTBSラジオのヘビーリスナーですから、FM局が埼玉にもでき、UHFのテレビ埼玉もほぼ20時間レベルでステレオ放送という時代になりましたから、テレビは仕事を止めてしまうのでみませんが、ラジオはライフワークで早朝から深夜までTBSラジオをつけたままですが、正直FMは高校生以来聴いたことがないので、昨日の鬼丸師匠の語り口が上手で耳障りが心地よかったので、お寺さんからの帰り道に車でNACK 5を聴いてみました。

ところが、
音質がとても良いのと、どうしても音楽中心ですから眠気を誘ってしまうわけで。
噺家の鬼丸師匠ですから、早速今日からのゴゴモンズをSDに録音して夜に拝聴しようと思いましたが。

今年の冬を目処に、首都圏民放4局が<補完放送>ということで、AMの番組をFM波でも同時同様の放送を始めます。ワイドFMと命名したようですが、毒蝮三太夫さんの「じじい、ばばあ」という語り口を疑似ステレオでなく本格的なステレオ音源でFM90.5MHZで聞くとどう聞こえるか?興味津々ですけれど、

現場の緊張感に満ちた音場の様子をリスニングルームにいるような環境で伝わるかなあという懸念もぬぐえません。

しかし、
いま<ラジオ局>は死活問題で必死という背景があります。
<RADIKO(ラジコ)>というインターネットを使って全国どこでも綺麗な音声を聞くことができるシステムも普及して、税別350円月額で全国どこででも聞きたい放送局の番組がオンタイムで聞けるようになりましたが、キー局でない地方のラジオ局は<若者のラジオ離れ>が深刻に経営を圧迫している現状があります。

福山雅治さんのオールナイト・・・もこの春の番組改編で終了したり、この春はテレビもラジオも未曾有の改編率と聞いています。

なにがあったのだろう・・・・

「ラジオはどうやってきくのですか?」
実際に、こんな素朴な疑問もたくさん寄せられるとも聞きます。

「温故知新」といいますが、ラジオの良さを再認識して、昔ならリクエストやお便りをハガキに書いて投函し、読まれるかなあとわくわくして聞いていた時代から、瞬時にメールやFAXでリクエストや投稿、ツイッターやフェイスブックで投稿でき、瞬時に読まれる時代。

双方の利便性を尊重しながら成長してほしいなあ、発展してほしいなあと考える。

「あ、この曲なんていうタイトルだっけ?」
iPhoneのSiri.に聞かせると曲目は答えてくれて、それをiTunesなどで購入すると、電波状態がよければ2〜3分で自分の携帯にその曲が入る時代。

新しい時代に、全ての皆さんがなんらかの方法で参加できる、参加したいという気持ちになっていただけるように頑張って欲しいと思います。

次回の落語会も楽しみにしています。
(落伍者にならぬように注意しなきゃ・・・ハハ)

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#662 新年度に入りました。

2015/04/03 07:58
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ピエスモンテ(じいヤンのよもやま話)
<#662新年度に入りました>

おはようさん。いよいよ今日夕方に15年ほど使ったダイニングテーブルを新しいものに交換。
言わば前妻が選んだものから15年前に息子とわたしで選び直し、それがまだ使おうと思えば使えるのだが、来客があることとツレがリビングダイニングをツレの使いたいようにしてあげたいという思いも。

わたしの自宅はマニアックな空間で、ただダイニングテーブルまわりに皆さんと座っただけで、会議室にもカラオケボックスにも居酒屋にも変身するガラクタハウスで、以前にも書きましたが、これからお世話になっている父親を筆頭にした地元の先輩諸氏も70歳を超えてきていることから、何か生き甲斐を持たれていつまでもお元気でいて欲しいと思うことから、苦手の代名詞であるパソコン、スマホ、ガラケー、デジカメ、、などを身近なものにしていただきたいと思い、毎月のドーデモイイ会の定例懇親会にはダイニングテーブルに大きいiMacを置き、デジカメで撮影してきた写真を見せたり、桜の花は食べられるの?なんて話題になったらすぐにキーボードパチパチで調べて皆さんで共有することも。
ツレの祐さんが入院中には病棟の個室とfacetimeでテレビ電話で繋いだり。

操作方法まではいきなり分からなくていいので、平仮名でゆっくりとキーボードをパチパチ打てるなら、何でもできますよ、、ということもだいぶ伝わってきまして、、、。

クルマも日産セレナですが、同じように車内でMacbookもタブレットもインターネット。車内でDAMの採点カラオケも。当然ですが、電話もかけ放題プランですからおすきなだけ、FAXもペーパーレスで送受信できますから、iPhoneとiPadを持つだけでドラえもんに案内された世界が現実になります。

先日のドーデモイイ会でも、大先輩のマサオさんがお知り合いの庭にあった桜の枝を分けていただいたよーとお土産に持って来てくださって、早速一輪挿しに挿してプチお花見。枝一本でも良いものですねーって。

わたしは、中学生になって祖母から叔母、つまり父の妹が嫁いだ後の叔母の自室をわたしに譲ってくれたことが家庭内独立のバージンヤブリでしたが、高校時代から友人が泊まりに来たりと人が集まる場所で、大人になったらご近所の友人知人も集まってくださるような家にしたいなあとかねがね考えていて、現在父のマンションの108が実家で208がわたし、以前は508に弟ファミリーがいたが、わたしの208と弟の508は公民館状態で、誰かしらが遊びに来ていて、父の108は昔から敷居が高くて誰も来てもらえない状況でした。

わたしは町内会に関わらせていただいて30年?特にこの15年は役員としてもお手伝いさせていただいてきましたから、こんなならず者のわたしでもみなさんに好意的にお付き合いいただき、この3年前に前述の78歳のわたしの写真と広報誌編纂の師匠でもあるマサオ親父殿と作ったのが「ドーデモイイ会」というわけで。

昨年は83歳の父から「みんな集まるのか?お前の狭い208でやるならここで(108)やればいいだろう」と。これは吉川家にとっては大きな変化で。

それで昨年の新年会、忘年会と月例飲み会を108特設宴会場でも開催することに。

姉貴分の2人からも、会長、つまりわたしの父のこと、会長は寂しいんだよねー、定期的にみんなでワイワイやろうよと言ってくれて。

歳を重ねて来れば、人間誰でも性格に歪みがでてくるものです。自慢するものがない人ほど、肩書きを欲しがるもので、それもなければ過去の埃にまみれた武勇伝の連呼。

でも、そんな人こそ、身動きできなくなると当然だが孤立化してしまうものです。

よく、「あいつは昔から生意気で突っ張ってやがって」とかいう昔のイメージそのもので30年経っても思い続けておられるが、50歳と80歳の価値観は明らかにちがうわけで。
「要するにそんなこたぁ<どーでもイイ>わけで」

超高齢化時代に突入し、この4/01から生活関連の負担がまた大きくなったが、2017/04?から消費税10%閣議決定と生きることも難しくなってきたが、相変わらず大人の事情で血税の無駄遣いはなくならないものの、少子高齢化社会をはじめとして、財源がないことも事実。わたしも会社を維持するために給料も父の年金と変わらない程度しか収入はないけれど、毎日イキイキと楽しく生活できているのは、ご近所から友人知人との友情の取り交わしがあるからと思っています。

先ほどのマサオさんが風邪を引いたと聞くと、祐さんとマサオさんがお好きな果物をちょっとだけお見舞いに持って行こうかとか、2人で遠足に行くと、ドーデモイイの皆さんに、草餅2個づつお土産だあとか。昔、お醤油が切れたらお隣さんに貸していただいた時代に育ちましたから、ちょっとした差し入れにラブレターを添えて貰っていただいたり。

わたしが元気ないとわかると、マサオさんは自転車で薬屋さんに飛び、吉川さん、ガソリン買ってきたよ!とリポビタンのようなドリンクを一箱わざわざ届けてくださる。差し上げることはあってもわざわざ頂ける経験は少なかったので、涙がこみ上げるほど嬉しくなって、、、、。

年齢性別は関係ないのですね。

70歳になった従姉妹のカズっぺが町会のことで酷く落ち込んでいると察すると、皆んなでカズっぺを支えようと動いたり。

<ステキでしょ?>

現在の私の住む町会は、町会長任期満了で交代というタイミングで、もう80近い役員歴任者であるものの、私利私欲、公私混同の典型で、わたしも意外でしたが、近隣町会からも明らかに評判が悪い皆さんに交代していただき、若い皆さんも積極的に、気軽に町会に顔を出していただけるようなコミュニティを一から作らないととドーデモイイのメンバー全員できっかけ作りをしたものの、これもここまでバカだったかと驚嘆するくらいメンバーの建具屋のフサちゃん(68)が歩調を狂わせることで停滞。

既存のメンバーもそんなことも知らずにまた何で?と思われる嫌われ者のメンバーで順調に?組閣。

明らかに敗北というか、出鼻を挫かれたわけで。

しかし、わたしとしては、冷静にこうなることもフサちゃん擁立をわたしに投げてきた時点で想定内のことでしたから、負け犬であれども、短期間でドーデモイイのメンバーが仲間のために一致団結できたことの方が意味があると捉えているわけで。

かねてからわたしは<地域の自治力の復権>というテーマを昨年秋に実施された6町会合同防災訓練のポスターを防災部長のユキオさんから依頼されたことをきっかけに防災部の皆さんの輪に入れていただき皆さんとの力で通常50人弱しか集まらぬ町会で、何と108名のご参加をいただけるイベントにできた実績も。

成功体験を皆さんで共有すること、認知することが次の創造的な動きの大きなヒントやパワーになるものですから、敢えて大袈裟に楽しかったですね、ー、良かったですねーとお話をしてきた。

今回また組閣のメンバーは、そんな行事には顔も出さない。

話を戻すと、
超高齢化時代に、向こう三軒両隣の精神を復活させないと、防災上も3.11のような未曾有の災害の時に大切な命を落としかねないわけで。
わたしの在住の町はご長寿の町会でもあり、訃報の掲示を拝見しても、行年90歳以上がほとんど。

高齢者のモラルの低下も否めないが、それこそ加齢現象ですから多少は目を瞑るとして、要は気軽に声をかけあえる町の皆さんとのコミュニティ作りは急務。

そのキッカケにとはおこがましいが、居心地がいい空間作りは着々と厚みを増しているこの春です。

ところで、今朝のラジオの交通情報で、赤羽台の桜並木通りが桜の木の倒木で通行止めと。
東京北医療センター、昔の社会保険病院前だそう。
これから通行の皆さんは迂回路を含めて安全運転を。
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#661 激怒を超えた驚嘆

2015/03/23 09:18
<ピエスモンテ じいヤンのよもやま話>
#661 激怒を超えた驚嘆
結論から書いたほうがいいのかなあ・・・?
<町会長に立候補すると言っていた「ふさちゃん(67)」が、応援している仲間たちとの最善策と考えて一緒に動こうとしていることを日に日にコロコロと優柔不断に裏切るだけでなく、相談もなしに<公言>してしまう癖?から<総スカン>を喰らう羽目になった>
彼岸の期間という一般的に忙しい中で、現在のもうどうしようもない面々が来年度もさらにパワーアップ?した救いようがない面子を揃えて組閣しようとしていることを止めたういという正義感がきっかけで私を含む面々が日に日に対策を練ってふさちゃんにアドバイスしてきたわけだが・・・
最低限のブレーンというみなさんに集まっていただいて、ふさちゃんの正式な立候補の意志と「わたしはこのような町会にしたい」というような<想い>を話してもらい、ブレーンのみなさんに協力をお願いすることから始めましょうとわたしは場を設けたわけだったが・・・
いざ、
その場になって、本人は1時間も遅刻するわ、ふさちゃん本人が主人公(主催者)であるという認識はないわ、話をしてくださいと言ってもほとんど考え込んで語らないわで、、、
聞いてみると、
立候補するにはそれなりの組閣人事に協力してくれないといけないということで、今年度の役員一覧表に基づいて<組閣>ができないと俺はできないという気持ちはわからんでもない。
しかし、
従来の自治会運営を根本から変えるという難題に取り組むために立候補するというのだから、それなりに今年の枠も作り直しということですからそれは意味がないこともあるのに・・・
よりによって、現職のグループはダメだよと再三言っていた一人に、部長をお願いできないかと「勝手に打診」したと白状したことで、全員からブーイング。
それなら、
今回はふさちゃんの意思で提出した<辞表>のように、一旦自治会運営側からすべて退いて、次の機会までに力をつけようというブレーンとの決定に・・・
その翌日、
町会長に電話して、交通関係の部長は自分がやらんとというような<理解しがたい理由>で、いわば「町会長はやらないが、交通関係の部署は現職の町会長から頼まれて引き受けた」という形だった。
<もう、仲間全体も激怒を超えた驚嘆だったことはいうまでもない>
町内会に関わって30年以上。
男だからトップはやりたい。
でも、その夢が手がとどくところまできたのでね・・・とふさちゃんはいう。
「誰もが参加できる開かれた町会にしたい」とまわりで薄い線で書いた原稿用紙になぞったような彼の町会ビジョン。
私も周りから「タケさん、助けてあげてよ」と言われてこの半月間、時間がないということで考えて動きてきた。
わたし的にも「かれは申し訳ないが<アウト>だ」と何度も思ったが、ふさちゃんの凄いところは「ブレーンではなく「お友達」がおおいこと」だから、持って行き方を工夫することで、全員野球でどうにでもなるという持論からも私のブレーンのみなさんにもアドバイスをいただいて寝ずのシナリオを作ってきた。
<町会の船頭さんは、どなたでもできる>という認識を広めたかったからだ。
自分も地域力をいかに培ったら良いかというテーマでこの数年間、様々な方面の皆さんに教えを請ってきたし、昨年度の地域合同の防災訓練も防災部長からの依頼もあって、みなさんで作った防災訓練に100名超の参加をいただき大成功。
飲めないわたしも防災部の打ち上げに最後まで残らせていただいたほどだった。
当然のように、ふさちゃんも影の功労者であり、宴会部長冥利に尽きるターニングポイントになろうイベントでした。
> 成功体験を共有することで、その充実感と自信を多くの人で共有できれば、物事の流れは大きく変えられる力になる >
わたしがふさちゃんが動いてくださるという決心?を大切にしたかったし、町内の現執行部の実態を知っているおそらく大半にみなさんが「ふさちゃんが断ち切ってくれるなら」という想いも肌で体験していたこともあって、本人は「タケさんさ、俺は人前で話ができないんだよ、どうしたらいい?」という再三の相談にも、「ふさちゃんはカラオケで歌詞を丸暗記している曲数は数知れぬほどでしょ?人間だから、誰にも得手不得手あるから、せっかく応援してくれる最低限の最強のブレーンが7名、まわりのみなさんに町会長のお鉢が回ってきたのでよろしくと電話してもね、10人中全員からOKをもらえたのだから<全員野球>で苦手なら文章を考えて書いたものを読めばいいことだし」とも再三言ってきた。
極論、今回のふさちゃんの「英断」を敢行できるために必要不可欠なことは、現職でふさちゃんと考えが共感できない人はすべて交代していただくことだ。
(これだけでも私も含むたいていの人は戸惑うことでしょう)
しかし、
改革には英断が不可欠で、温情や仕返しを怖がって一人でも入閣させる、こちらの手の内を見せることは「致命傷になる」とあれほどみなさんで説明しても、彼は思い込むとブレーキが効かず、今回もよりによって敵陣の中将レベルに専門部の部長を受けてくれるかと<誰にも相談なしに>打診したというのだ。
今度は、私のトサカが真っ赤に・・・(笑)。
当然、ブレーンメンバーとの世間話も内々でやっていたので、そのことを聞いたブレーンが激怒するのも無理はなく、、、
<今度はわたしがブレーンメンバーの沈静化に走った>わけで。
「ふさちゃん、今回は力不足、準備期間がなかったことを理由に入閣要請したみなさんに一刻も早く謝ろう」
「今回は町会長立候補をやめて、一旦ふさちゃんが出した辞表に従ってすべての役職をおりよう」
火消しをいち早くこなせば、次期2年後に立候補のチャンスが来るかもしれないと。それもそのことを彼に付き合うからすぐにやろうと電話しても、「前回も休んだ交通安全関係の会議に出ているんだ」というので、「バカ!早く帰っておいで」と電話口で吠えたら、やっと事の重大さに気づいて私の家に。
そこから順を追って火消しのアドバイスをツレにも手伝ってもらい、謝罪の文言まで紙に書いたものを読ませたレベル。
そして、
最終的にブレーン7名と「今回の反省会とともに、わたしたちの親睦会である<ドーデモイイ会>は名称のように、成功しても失敗してもみんなで共有して、反省なり総括のあとは「だれでも失敗あるからね、おこってしまったことをいつまでも引き延ばすのでなく、話がついたらまた楽しくやりましょう」といえるので、「今回のふさちゃんのことも修正も効かないのでみんなで受け入れてまた楽しく愉快にやりましょう」と3/20の夜もいつものように地元を離れたお店で懇親会やりましょうとツレと2人で愛車に乗せてお店に。
しかし、
キーパーソンの一人の従姉妹のカズっぺ(70)が直前になって「雄規くん、ごめんなさい、体調悪くて出られません」とメール。
彼女は彼女でふさちゃんの他にも現職町会長からの背信行為も加わって大きく傷ついていたことも私はわかっていたのだが。
<人間、大きく傷心の時は一人にして欲しいもの>と、誘ったもののそっとしておくことに。
それでいざお店の席に座るも、主人公のふさちゃんが距離を置いて正座のまま、乾杯するもただ黙っている。
ん??
再三、こっちにおいでよ、食べようよといっても遠慮の連発。
「意味わからない遠慮でさ、ふさちゃんはたくさんに人から反感を買うでしょ?」
結局、ふさちゃんの元気でない理由がわかった。
昨日の晩にみなさんで「一旦全部引こう」
悪習のメンバーがやるのならやらせればいいし、役に残れば町会長を筆頭にふさちゃんもカズっぺもいいように使われた上に、大事な相談には仲間はずれ状態なら、婦人部が全員辞表、交通部長のふさちゃんが引くことで、誰か代わりはいないものの、仕方のにことでと。
そこで明らかになった事実は・・・
「今日の朝に町会長に電話したら、町会長から交通部長がいなくなったら困るんだよ!!と叱られたので「引き受けた」」というのだった。
「交通部の事務引き継ぎも大変なことだし」と詭弁。
さすがにドーデモイイ会の長老、78歳のマサさんも顔で笑って睨みつけた。
「まだ間に合うから、町会長にやめますと言いなさい」
「でも、どうしてもやりたいなら、我々は止めないからふさちゃんからやりたいとハッキリ言いなさいよ」と。
また彼自身が嫌がっていることでもあり、いじめをひたすら怖がっているのに、頼りにしていたカズっぺが引退となれば集中砲火をあびることもわかっているだろうが、<交通部長のバッジを外すと彼の趣味とも言える地区の交通部にも顔を出せない>という理由からだ。
ここまでアホも徹底されると、少なからずみなさんは「もうふさちゃんに振り回されたくない」「協力もできんし、もう<友達>でもない」と言われても仕方のないレベルだ。
その晩、
ツレと就寝前に「なんだったんだろうね」と驚嘆。
今朝もそのことから2日が経った朝だが、わたしも後遺症は自覚するも、どうしようもない大馬鹿と思うものの、地元の友人であり先輩でもある彼を完全に排斥する勇気は正直いって、ない。
でも眠りが浅く疲れが取れないという後遺症は実感。
地域コミュニティー力。
「助け合い」「防災意識」の側面からも、どこの地域でも多かれすくなかれ存在する古株の勘違いによる弊害だが、町会費をお預かりして運営している公共団体であるなら、誰かが流れを変えないと防災面での動きの時に尊い命をも無駄に犠牲にする恐れもあるわけで。
昨年の合同防災訓練も通常40名参加されれば合格と妥協していたが、昨年は100名を超える参加者。
私は裏方の一人だったが、正直嬉しかった。
ふさちゃんはじめ、ドーデモイイメンバー全員が参加したこともあり、この機運を盛り上げたかったが、正直、彼は小学生レベルの意識も危ないレベルだったことに
残念でならなかった。
決してわたしが正しいとは誓って思っていませんが、この町会はイベントが終わればやりっぱなし。反省会も賞賛会もしないから、毎年同じことでもめて、同じ行事を完遂することが美徳と勘違いしている。
若い人やサラリーマンのファミリーの参加がない。
違う!!
誘わなければ、参加したくとも来られないというレベルなんだ。
さ、
もうすぐ新年度突入。
みんなの気持ちが沈静化されたタイミングで、ふさちゃんでなく、みなさんで仕切り直しして行事を盛り上げられるようにしないと。
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#659 プロジェクトX

2015/03/18 09:03
ピエスモンテ(じいヤンのよもやま話)
<#659 プロジェクトX >

ホワイトデーの日。「その時、ヤツが動いた!」プロジェクトXではないけれど、わが町会にさざ波が発生(笑)これが津波クラスになってこの20年弱続いていた自治会運営の流れを変えることができるか?という動きがあった。
公私混同・私利私欲の塊だったトップ周辺が真っ二つに。私も5年前に流れを変えるために手を貸して欲しいと懇願されてお受けした「総務部長」「広報部長」「副衛生部長」「班長」の兼任を極端に嫌がっていた私も動いたのだったが、顧問の父と私もろとも半年も持たずに女性町会長にまんまと騙された格好で振り回された1年でしたが、幸いにして辛酸を浴びせられた半面でたくさんの新しい仲間が参加してくださったり、私の激務を皆さんで支えていただいたからこそ、年度途中で放棄する気持ちも我慢できたわけだが、あれから5年。私の耳に入ってくる噂では10人中皆無というレベルほどの悪評の面々が集結して町内会の運営を。新年度の執行部もその面々で固めつつあったようだが、正統派で副町会長として常識はずれの「いわばいじめ」を受けていた2人だったがこのうちの一人建具屋のふさちゃん(67)が名乗りをあげた。「俺、町会長になる」と。

しかし、
言葉こそかっちょええが、まわりで必死に応援するから頑張りなさい!と完全に劣化というか腐敗寸前の伝統ある町会を救おうという顧問であるわたしの父もご指名のふさちゃんだったが、本人は町会経験40年以上のベテラン。でも町内きっての女ったらしで有名な男。正義感は人一倍だが職人だからさと正義感はあっても人前で話はできないというものの、実はレールを敷くお手伝いをすればできる男なのに<自信><勇気><逆風に強い>ことに極端にひ弱な男なんだ。

私はいずれ町会を盛り上げていくために必要なメンバーがなんの不安もこだわりもなく気軽に集まって自由に話ができるようにと作ったミニサークルである<ドーデモE会>を主宰したのだったが、まさに自治会を変えていく風を吹かせる中枢のメンバーになって欲しいと企んで2年目。
昨年の6町会合同の防災訓練もいつも無関心で参加者数ビリだったわが町会が108名参加で2位に持ち上げたお手伝いもドーデモイイ会のメンバー全員が絡んでいて・・・。

「雄規君の力が必要なんだよ」
「ふさおちゃんがしっかりとした決意表明をすれば、我々もみんなで助けるからさ」という声がツレの祐子の退院祝いと遅まきながらの新年会を父の家(サティアン108と命名)で顧問の父も交えてやった際の話だったが。

<はっきりせず、一人で悶々と悩むタイプのふさちゃん>

一週間が過ぎた3/14。
たまたま歯痛で歯科医院通院のため、ふさちゃんの駐車場を貸してくださいとふさちゃんの作業場でふさちゃんと会った時の目でわかった。
(やばい!本気モード入りましたあ)
車椅子の父も「おい、気持ちは決まったか?」とけしかてちゃうものだから、本人、挨拶そこそこに黄昏の表情で固まって・・・。

帰宅後に駐車場からふさちゃんに「少しの時間ならあるから、不安で悩んでいるのならいらしてくださいね」と電話の後、5分後にもう現れて。

このままではもう歓迎できない信金の元支店長のエイボーがまたトップ就任でかき回すという時点でしたから、ツレとともに「ふさちゃんがその気なら今この場でブレーンになってくださる人と取り急ぎの人事案をホワイトボードに書いて、その人にここからすぐに協力を取り付けよう」と手取り足取りで。

ふさちゃんのすごいところは「ヘラヘラしている女ったらしでも、人徳は人一倍であること」

10人、それも私と同時期に女町会長にいいように振り回されて引退された町会の生き字引も一人いるが、
<全員からOKを取り付けることができた>  すごい!

本人はいわば震えが止まらない状況で。
昨日も今日月曜日の夜にサティアン208でドーデモイイメンバー(笑)に集まっていただき、一番の支援者に正式にお話ししようねという段取りだが、本人から相談の電話をもらうものの、あれだけ反逆派の面子を一人入れても火種になるからダメだよというものの、それすら理解できない男で。

吉川さんの助けがないとダメなんだと言われるものの、あまり度がすぎると「吉川さんがふさちゃんを振り回しているんだ」「実際は吉川さんがトップになりたいんだ」と言われることも必至で。

そう思われると本意でないことから、今夜の会合で「総務部長ではなく、町内でも吉川さん=広報部長のイメージであることから、広報部長に収まろうといおうかな?」と思い始めた。

身を粉にしてでも助けたい人を助ける・・・これが私のモットーですから何を言われようが最終的に昔お世話になったホッとする町会に戻るのならなんの躊躇もない。

しかし、
5年前と違い、83歳の父の介助、ツレの祐さんのアシスト、本業、自分のやりかけのこと、自分の手術2件、体調管理を前提にして町会長のアシスト。

これは現時点でも睡眠時間3時間足らずの56歳には自殺行為。

助けるよと男同士の約束は遂行するも、公共の団体にいい加減さはタブー。

総務部長を受けるなら、この一月にふさちゃんと持って行く町会像をみんなを巻き込んで描けるか?(まず無理だろう)

鼻息だけではできないよというものの、本人を変えないと・・・

厳しいなあと。
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#660 春の嵐?終焉

2015/03/18 09:00
<ピエスモンテ(じいヤンのよもやま話)>
#660 春の嵐?終焉。

散々振り回されたが、やはり町会長立候補のふさちゃんを応援するのはやめた。
一回り年上だが、周りのブレーンと共に一昨日の晩に我が208の自宅でキチンと仲間の前で自分の意気込みなどを話して協力を求めましょうとあれだけ4日前に泣き混んできた彼をツレと二人で混乱を解きベース作りが出来たと言うのに、1時間も遅れてくるわ、あれだけ助言も注意もわからないから助けてねと懇願されるから我々も2日間必死に考えたつもりでも。
現職で足を引っ張る皆さんを全て刷新してとの方針も、彼なりにWさんは絶対に外したいです!としながらも、まず自分がやります‼️との意思表示が必要なのに、交通部に何さんを入れないとと、よりによってWさんの参謀を入閣させてもいいか?とか、何さんに入閣してくれないかと基本的に声をかけてはいけない人に勝手に声をかけてしまったり。

仲間のマサオさんからも、貴方がやるかやらないかをハッキリ言いなさい‼️と再三促されても、私はWさんたちを退任させたら仕返しが怖いなど、同じ悩みを繰り返すだけで。

年功序列、ヒトとしての筋などの理屈は間違っていないのに、もう悪習は一掃しないといけないと言う正義感で立候補を決意していたと思っていたが、、。

一昨日はとうとう決意表明はなかった。

昨日も一変して、正午までに表明してねとの答えは、、、。
タケさん。私はやはり町会長立候補することにしましたぁ。と上機嫌。
❓❓
ふさちゃんさ、今回のキーパーソンのカズっぺは説得できたの?
いや、カズっぺは今月で引退は固いと。

ふさちゃん、僕もカズっぺなき組閣ならごめんね、応援できないから他をあたって。

分かりました。カズっぺの旦那さんをもう一度説得しますと。

その日。
私の仲間たちからタケさん、ふさちゃんはどうした?との問いに、参謀不在で何であれだけニコニコして立候補すると言えるのかわからないですと。

総務と広報を私がまた5年ぶりに担わせていただいても、婦人部、衛生部ほかが空白で何でニコニコできるか?

今日の晩に現職の幹部会で次期町会長立候補の決定をするらしいが、まだふさちゃんは立候補辞退を現職町会長に告げていない。

できなくなりましたといち早く報告すべきだと思うが、、。

それに、
現職婦人部長のカズっぺも、そもそも3/14に遅いドーデモイイ会新年会でふさちゃんに火をつけた上に、雄規君の力が必要と豪語した理由もわからない。てっきり引退宣言したカズっぺもふさちゃんが立候補するなら撤回してくれると誰もが解釈した体で。

確かに私は発言力はあるから、お役に立てることはあるだろうが、火種役が火付けて逃げるのは放火犯だ。

あまりの熱意を感じたからこそ、わたしも身体を壊すかもしれないが、昔の良き町会に戻すキックオフならとかなりの覚悟をしたのだが。
ふさちゃんの性格や日頃の言動を考えると、正直現職を振り切るだけの資質もないからだ。

だから、
一昨日に続いて昨日も本人には手を引かせてもらう宣言をした。

今夜の幹部会。
四人の副町会長が真っ二つ。
どちらに軍配か?より、ふさちゃんとカズっぺに対抗できる材料が皆無だけに、今回のいわば失態に対する報復?は避けられないだろう。

みんなさあ、
だから言ったでしょ?
沢山のみなさんに歓迎されていない面々が立候補するならやらせなさいよと。
まともに出来ても出来ずとも、若い血気盛んな面々からバッシングもあるだろうし、協力もないだろうから、この2年間でそのあとを引き継げるように力をつけていこうと。

気持ち悪いほど、このところの自分の予言なり分析の精度があがったことを実感しているところです。
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#658 介助は心が強くないと続かない。

2015/03/13 08:39
#658 介助は心が強くないと続かない。
※私のBlogですが、今年からmixiからfacebookにシフトしようと思います。
おはようさん。昨日はツレの入院時の書類の追加依頼のためにTMDUに。なぜか玄関フロアの窓口の方から整形外科外来から病棟関係の看護師さんたちまで再会すると「あらこんにちは」と笑顔で迎えてくださるが、笑顔の矛先はツレであることは勿論だが、明らかに私にも注がれていることも感じて(笑)。ちょっとした笑いをとるような言動で病棟内を努めて明るくしてきたつもりですが、それが自然に受け止められたのはこれ以上に嬉しいことはないですね。笑顔であることの大切さは、地元川口市議会議員のS君(30代?)のいつ会っても満面の笑顔から学ばせていただいた。
要するに、成人になった以上、年齢や性別で云々ということではなく、みんな基本的に同じ<大人>ということで、自分の価値判断で「尊敬する」と感じた人には年下であれ異性であれ自然と言葉遣いも丁寧になるものですから。勿論年上でも価値がないと思う人にはそれなりの接し方になるものですから。
私の周囲の全世代の皆さんはほとんどが「尊敬すべき」と思われる皆さんですから幸せ者ですね。
人格形成と価値観云々というお話は別途書かせていただくとして・・・。
さて、
ツレの回復状況ですが、「入浴中にバスタブに座ることができるようになりました」・・これは何ともないと思われることに聞こえますが、普通は女性座り(足を斜めに流すような座り方)はNGで、正座とか胡座はOKとのことからも、バスタブで40cmほどの高さの椅子に腰掛けていたものが、「自分の意思で」正座をしたらできたというわけで。
既述したように、ツレの性格・手術後の経過・思考や言動のくせ等を考えてみて、主治医からリハビリを委託された立場として考えた結果で、具体的に足のOTやPTを云々というよりも、僕は波のあるツレの心理状態を安定させる、テンションをアップさせる方向がいいと思い、時間を工面してでも気持ちを外に向けるように動いてきた。
昨日は書類の依頼を窓口に提出だけのために御茶ノ水に。
お天気だったのでツレに「どこに行きたい?」と聞くと「浅草」と。
浅草寺にお礼参りとなると、爆笑似顔絵のカリカチュアジャパンの浅草本店に関西エリアから戻ってきてくださった世界大会優勝経験者の「さつ」ちゃんに退院の報告とファンキーな似顔絵を描いていただきに。
雷門を核にした浅草界隈を車椅子に乗せて闊歩(笑)
昼食は大堂の大黒屋さん2回目。お店の玄関前の喫煙コーナーで一服かねて順番待ちと思いきや、若いその道のようなお兄ちゃん2人から「中で順番札を取ってくるんだよ〜」と。「2階を案内されたら僕がお姉さんをかついであげようと思う」というから、「お兄ちゃん、ほんまにええの?知らんよ、後悔するよ」と爆笑の直後、「お待たせしました!お二階にご案内です」との案内にいい男2人が一瞬見つめあって笑った。
(浅草はこのようなやり取りができる雰囲気が僕は大好きで)
神谷バー、水上バス乗り場とあちこち回遊して・・・
でも、ご縁というのは果てしなく偶然性を生むもので・・・。
浅草に向かう途中、秋葉原から御徒町方向の昭和通りで「岡崎ナンバーの大きな桜のステッカーを貼った観光バス発見!」してバスの前に車を止めてドライバーさんに会いに行ったら、結果的に違う人でしたが、去年の大雪の際の豊川稲荷参拝の時に現地でお世話になった「西三交通バス」のドライバー君と仲良しになり、時間あればLINE等でやり取りさせていただいてから、前回も皇居前で目撃し、今回も御茶ノ水で。
早速ドライバーのヒロくんにLINE。
「タケちゃん、今日は休みなんだよ」とのこと。
春になったら岡崎までツレと会いに行くねと。
<これも市議のSくんから学んだ「笑顔」で繋がった野郎友達で>
奇しくも昨日は花粉症がひどくなるような天気。
ツレが言っていたように、「ぼーっとしちゃうよ」と。
実は、花粉症が原因ではない。
生まれて初めてと言ってもいいような大手術と長期?入院で、あきらかにツレの心理状態も見事に崩壊し、手前味噌だが私のツレは表面的には気丈な女で仕事人ですから、悟られないように必死に繕うものの、13年目にもなるつきあいなら当然の事分かるものですから、「俺には素顔を見せなさい」「喜怒哀楽を自然のままに見せなさい」「中途半端に甘えるのはいい迷惑だからさ、甘えるのなら120%甘えなさい!」と。
でも、
56年間気丈に振る舞い、仕事で自営の会社の大黒柱・2人の子育て・家事・ご両親の看病等、自分のことは二の次にしてでもこのほかに自分の股関節の痛みにも耐えてきた。
それが
素直な女に戻れない大きな原因で。
昔の自分なら手を挙げていただろう。
昔の自分なら自宅に強制送還させただろう。
(自分の生活、仕事のほかに83歳の父の介助もあるのだから)
でも、
亡母の妹から「雄規は成長したね」と55歳の秋に言われたように(55歳で成長を認められるのは「知恵遅れ」ということだろうよ)確かにおごりでなく、自分も成長したと思う。
今朝もツレは昨晩に話して頼んだことを忘れている。
「お前なあ、いい加減にせいよ!俺はお前が大変だと思って我慢して笑顔で家事も介助も全てやってるだろ?できることしか頼んでないのだからやれよ!」と何度となく自分の心の中でキレまくった。
しかし、
今はツレは尋常な状況ではないんだから・・・
何百回ともなく自分を諌めてきたか。
同じような気持ちを父に弟に毎日のように向けているものの、全てすべて自分の心の中に収めるように努めてきた。
亡き祖母が私のことを一番理解してくれていて、「雄規はな、誰からも話しやすい人間という「神様から与えられた運命なんだ」。辛い時や泣きたい時はばあちゃんが聞いてあげるから、そんな時こそ<人の上を生きなさい>」というある意味<ばあちゃんの遺言>で。
正直、
両親に勿論感謝しているものの、吉川家では亡き祖母がスーパーばあちゃんであることに変わりはなく、辛い時こそ菩提寺の川口市本町の錫杖寺にお参り。
父から勧められた「写経」。
毎年、錫杖寺で写経会と写仏会が各1回開催されるが、写経はほぼ毎回、写仏は昨年デビューさせていただいた。
<すべての心の邪念を祓うための修行>と思うように、思えるようになったんだなと。
「タケには元気になったら恩返しするからね〜」とツレ。
「(笑)ふふ、まだ祐さんは病気が治らねえなあ、<できないことはいわないことだ>な」と。
できなくてもいい。
いつまでもいつまでも
元気で明るく素直な人生を送ってくれれば、それ自体が最大の「恩返し」になるからと。
蕨市の小学校の教師を卒業するときに子供達に書いた言葉を思い出した。
<明るくあれ、元気であれ、素直であれ>って。
今日も家事や介助で明け暮れるなあ・・・・。

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天才さつちゃんの15分瞬間drawing
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人と同じことをしていたら生き残れない。ビジネスチャンスの基本、、じゃあねえな。
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ヒロくんではありませんでしたあ。しかし、愛知県方面に旅をお考えの節は西三交通バスをご贔屓にー。
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川口に直帰したくなかったので、何故か両さんに会いたくなって会ってきたー。
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※657 新年が本格的にスタート??

2015/01/11 07:14
金曜日の夕方に美容師のケンタロー君に予約を入れていただき年始一発目のカットとカラーに行ってきた。
今回は前髪のカラーをワインレッドにという想定で、、、。

ツレのゆうさんが入院直前ということで、入院前の最終的な美容院という意味が先行だったが。

一方で、わたしの風邪の方は治癒傾向にあるかなと実感してくると崩れていく傾向にあるようで。

土曜日もこんな時に限って父の定期通院日。
前日も結局深夜の帰宅で帰着すると自分の習性でずっと運転なりエスコートしてきて疲れているのにもかかわらず、昔からだがツレを入浴させて脚の筋肉を弛緩させようとまずは風呂を沸かす。父の家から引き上げてきた<センタクロース>よろしく汚れ物の洗濯と乾燥を始めて一服。

ヘタをすると、ツレが荷物を整理している間にコーヒーを沸かしたり、平日は隣のツレのベッドに書類や本を積み上げてあるので、寝る前のベッドメイキングまでやっている自分がいて、、、。

<不思議と苦にならないから困ったもの>で。

金曜日の自分の通院日に総合病院の内科17番診察の先生のコミュ障対応に疲れ果てて、実は土曜日の父のかかりつけ病院の循環器の若い先生にもあきれ果てていた。
(個人的には嫌いな先生ではないのだが)

父の主治医として毎週土曜日に慶応大学から出向されてきている勤務医で、前任者から代わって2年。狭心症からの薬が変わってないのだ。

単発で近所の内科開業医の先生に父のことを診ていただくも、「タケさん、お父さんの処方薬を見ていると互いに相反する薬が出ているように思うんだ」狭心症の薬に利尿剤は、、、??というように。

現在の主治医であるミヤ先生も、容体が安定しているからと言えども、定期的に検査をお願いしてあるので、その都度の処方薬のオーダー変更は日々薬も進化しているので考えてくださってもよさそうだが。

そんな中、土曜日の待合時間中にお婆ちゃまが待合で呼吸困難?顔色が悪いと遠目でもわかる状態になって、看護師が血圧測定など処置をしようとしていた時に、ミヤ先生が診察室から出てきたところに看護師が「先生お願いします」と頼んでいるのに、診察服のポケットに手を入れたまま様子をチラ見した後でトイレ経由で診察室に戻られた様子を見て???と感じた。

おいおい、大学病院に籍を置くドクターらしくないなあと。

自分の患者ではないにせよ、素通りはないだろうと。
まして、看護師に先生お願いしますと声がかかっているのだから。

この件についてもコミュ障の一例だろうなあと。

そして、
父の院外処方箋をいただき薬局へ。

(もうこの時点で意識が完全に風邪で寝込みたい状況であるのに)

空腹限界で昼食は父を誘ってもいいよというので行きつけの定食屋さんに。

そうしたら、、、、
昨日に引き続き町内のハシゴ高お父さんからまた電話。(笑)

さすがにツレに出てもらうも、お孫さんの入学祝いに<筆箱>を探したいようで、いつも案内する鳩ヶ谷の文具屋さんにご案内かたがた他の文具屋さんにもお連れして、、、。

今は小学一年生から筆箱一つにせよ<妖怪ウォッチ>のようなキャラクター商品を持ち込むと授業にもならないのだそうで、無地の箱型の筆箱がいいと。

ちょっと珍しいものを持ち込むと盗まれたりするらしい。
(親は何やってるんだと言いたいね)
結局、おじいちゃまとしては決められずに帰宅。

その後で食材調達にいき帰宅。もう16時を回ってた。
一旦昼寝よろしく、横になるも30分ほどで父から電話。

「おーい、何時頃下に108に降りてくるんだい」と。夕食や晩酌しようともう日頃は自室でごろ寝がもうリビングの席についているんだと。

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こんな感じで、、、。

もう、父としてはツレと飲むことが楽しみのようです。

父の不安は小食すぎて栄養失調気味になることがあること。
<ただひたすら食え!>を口すっぱく言い続けているが、要するに一人で食べるよりもみんなで食べたほうがいいだろうと、、。

そんなこんなで土曜日も暮れて、、、。
さすがに自分は空腹感と疲労で208に戻るなりご飯炊いてくれる?と頼むも、少し横にならせてと言ったまま午前4時まで夢心地だった。


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※656 風邪が完全に抜けない、、だから、、、ね?

2015/01/10 07:23
昨日、定期の薬をもらいに行く目的と、今回の風邪がなかなか抜けないので、近くにある私と同い年の総合病院の内科に受診した。もちろん、予約が入っている。

わたしは、以前から受診する前に<自己カルテ>と称した自分の受診時の状況報告書を自分で書き留めたメモを先生に受診する前に見ていただき、診察室に入った時に伝えたいことを全て話せるはずもないので血圧手帳のような添付資料も添えて窓口のお姉さまにお願いするのだが。

<今年もよろしくお願いします>と新年の挨拶の後に、
<今日はね、いつもと違って「辛い体調なので先生にお汲み取りいただけたら嬉しいのですが」と伝えてください>とほとんどのお姉さんや看護師さんとも顔見知りなのでお願いして、、、

「内科の外れのERの前で座ってますね」と。

窓口のさつきちゃん(仮名)が一番キレがいい女性で、受付票をわざわざERの前まで持ってきてくださった。

その間1時間以上、、、、完全防備でラジオを聴きながら。

番号は254番。

ところが17診察の電光掲示板は、057/088/125/128程度。そこで急に288が表示されたので、??う〜ん??なんで飛ぶの、、、と。

検査の順番等で入れ替わりもあることはわかっていて、先生の都合で順番を無視する時もあることもわかっているが、、、。自分の番号以降の番号が飛び越えて表示されるのは珍しく。

288番の患者さんも急変された患者さんなのだろうなあと<最初は事情を知っている病院ですからため息程度>で済ませたのだが、、、、。

しかし、
10時予約に9時50分に受付、いま11時15分。待合等の混み具合からも、予約でも1時間弱の待合はやむを得ないが、この状況で80分はどうみても変だったので、

さつきちゃんに、今日は辛い状況できているからね、先生に順番を聞いてきてと。
「タケさん、そうですよね。いま先生に確かめてきますね」と。

しばしのあと、さつきちゃんが、
「タケさん、ごめんなさいね。先生がこれでも順番のようにお呼びしていると言われてね。」
「さつきちゃんの様子だと、あと5〜6人はおられるよね?」と。

「普通の時なら待っているけれどね、今日は風邪で辛いといっているのにね、じゃあ「今日は薬だけということで先生に「処方箋だけ出して!」と伝えてくれる?前任のタカシ先生の病院に転院してみていただいた方がいいかもね?」と皮肉を。

どこの部署の知人と話してもこの先生の評判はよくない。
タケさんの主治医は何先生?と聞かれると17先生というと、「やっぱりね」の答えだらけで。

私も正直第一印象は<アウト!>の先生だったが、馴染んでくればきっとうまくいくと思っていたが。

私の持論ですが、
今の世の中、コミュニティー障害と呼ばれる、人との会話から交流の方法がわからない、できない人が溢れている時代に育ったスペシャリストたちだ。

医師、教師、警察官、、、、公的な仕事のスペシャリストがどうしても多い気がしますが、専門的なことには優秀であろうのに、人との接触の場では会話も空気も配慮もできず、先生!とか巡査!とか、公的な立場で守られているから庶民からは一目置かれているものの、

昨日のように、散々またされてから呼ばれても「大変お待たせしました」というような言葉は出ないし、出たとしても補聴器をつけないと聞こえない程度の会話。

検査データを見て「問題ないですよ、お薬は同じようにお出ししておきますね」と3分診療。

患者との「問診」さえしない。

客観的なデータのみが診断材料という程度ならば、他院に引っ越した方が賢いかもしれない。
(駐輪場の警備員の若者でさえ、この病院に不信感を感じているようだ)

病院が新病院に建て替えられて1年。確かに近代的な設備に変わったが、何かあったのだろう。
院長も後進に譲られて、病院の運営の概要はたしかに随分と進歩したと思っているのだが、一方で内科の医師が昨年後半に4名も退職(他院に)されているのはある意味異常事態で。

ごった返しているときの待合の中では、辛い状況の患者さんもたくさんおられると思うし、逆に痛みもない患者さんが血圧の薬をもらいに来られている場合もあるでしょう。

発熱や悪寒に耐えながら長時間待合の椅子で待つことの辛さは、ご高齢者にさせてはいけないと思う。
以前の旧病院では点滴室というベッドが並んだ部屋があって、順番が来るまでここでお休みくださいという配慮もあった。

(もしかすると、新病院になると衛生管理的な問題で病床ベッドが使うたびにシーツ交換等の規約があるのかもしれませんが)

80近いおじいちゃまを車椅子に乗せて、押す人も80近いおばあちゃまの夫婦を見つけたが、自分が投薬目的だけの通院だったら押してあげたい気持ちだった。

今回、薬だけ出してくれ!!と先生に伝えてもらっても、さつきちゃんにも先生はなんらかのコメントも出さなかったのだろう。

(さつきちゃん、僕が17番の先生なら「薬だけでいい、前任の先生の病院にいくから」と言われたら、医師のプライドからもなんらかのアクションを出すけどなあ」と)

無駄な120分を細菌が飛散しているだろう病院でなんで過ごさないといけなかったのだろう。

これからますます高齢化社会です。
患者さんといかにコミュニケートできる才能をもった医師が望まれると思うのだが。

各方面のスーパードクターの著書に目を通すも、患者さんを救うキーワードは<問診>というのが共通の見解のようで、

<問診>が上手にできる医師が少なくなったような気がしてならない。

そんなこんなで疲労と諦めの気持ちのまま、この調子ではいかんと思い、かかりつけの開業医の先生に所見を求めていまの風邪の治癒状況を診断していただきに個人病院に立ち寄ったら「タケさん、胸の音は元に戻ったので、咳止めの薬だけ出しておきますから飲んでみてくださいね」と。

個人病院ですから、私でも理解できる処方薬しか出ませんし、要検査なら紹介状という流れになるものの、ちょっと変だなと思われるときに伺う病院の一つとしては十分に助けていただいているが。


*************

昨日は、そのあとで美容院の予約があったので、自宅で一寸の休憩をしてから車で新宿に。

カリスマ美容師のお兄ちゃんに風邪をうつしてはいけないと、完全防備で出かけたので、スイッチオンになると不思議と風邪の症状はでないもので。

ツレと一緒に落ち合って、、、来週のツレの大手術のこともあったので、美容師のケンちゃんとはメールで事前に入院直前は安静にとアドバイスしてもらったり、彼の優しさですが、ツレには入院中にヘアケアが行き届くような髪型やトリートメントも普段とは違った処置をしてくださったようだ。

そして、
帰りに、さいたま市緑区つまり東浦和の札幌ラーメン屋さんで遅い夕食と思い、新宿市ヶ谷から首都高で浦和南ICへ。

私の第2のふるさとである旧浦和市。
湘南新宿ライン停車の為に、駅の高架化工事が終わって東西の玄関口も綺麗になった浦和駅西口と東口に立ち寄って、、、

どさんこ浦和大牧店のマスターとママさんに新年の挨拶を兼ねて。

25年前からの古いおつきあい。
別れた女房とも通ったお店だけに、マスターやママも熟知してくださっていて。

お正月だから、お二人の仕事ぶりとお二人で写真を撮りましょうよと提案したら、殊の外マスターが嬉しかったようでニコニコ顔で、ママの肩を抱いた格好で、、、。

もうやめようとか言われているので、定休日を1日増やしたり、営業時間を短縮されてでも細く長く頑張ってくださいというお願いを込めて、、、。

さ、
今日は父82歳の通院日。
休ませて欲しいのになあ。

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マスター78?ママ68?ラブラブです。
でも、昔からのママは色っぽくて可愛いので憧れでしたねー。
マスターも、私の動きをわかっていてくださって、これを飲みなさいって疲れていると思った時にはご自分にユンケル皇帝液を氷入れたコップに入れて出してくださる優しいお父さまです。
お客様がお帰りの時は、気をつけて帰ってねと、社交辞令でなく心から言ってくださるので、それが嬉しくてまたお邪魔させていただくのは私たちだけではあるまい。

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浦和はレッズのまち。浦和駅西口にて。

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ご存知かな?
浦和は鰻蒲焼の発祥地。やなせたかし先生が浦和のウナコちゃんを作られた。浦和駅西口にて。
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※655 やはりパソコンは奥深い、、、。

2015/01/06 06:22
昨日は以前に予約しておいたAppleのサポートセンターのオペレーターさんとマンツーマンでMacの相談に応じてくれるサービス。

iMacだけでなくMacBook Airのストレージといって本体に内蔵されているメモリーが満杯なので、メモリーに空きを作る方法を教わろうと思っていたわけで。

メモリーのストレージの中身を見ると、音楽や写真、書類の他に<その他>というものが占めているのがメモリー全体の半分を占めているようで、iPhoneやiPadでも同じような現象が出るので、仮にパソコンを動かすために必要なプログラムがあっても、メモリー全体の半分を占めるようなことは基本的にありえないので。

1030に予約して昨日は珍しく1038と8分遅れで電話あり。

男性であれ女性であれじつに紳士的な対応をしてくださって、、。

<その他>の分析をして考えられることは、パソコンに取り込んだ写真や音楽データの一部が<その他>というカテゴリーのファイルにも流れ込んだ設定になっている可能性が強いと。
(そんな詳細設定は自分ではできないので自動的に、、、としか考えにくいのだが)

もっとも、私は初めてパソコンをいじったのはms-dosのパソコンの時代ですからwindowsの前の時代。
それも汎用のソフトを使って仕事に使用しただけですから、windowsに移行してから本格的に友人知人に教えていただき、素人の範疇を超えられない素人の一人として、購入直後のパソコンの設定や軽微なトラブルに対してのシューティング、修理もどきは一人でできるようになったものの、

以前からiPhoneやiPadを自分のメインのマシンとして使い始めてからは、windowsよりもmacのパソコンに興味を持ち始めていて、昨年ツレと相談してMacのパソコンを購入しようということで実現した。

Macのパソコンは基本的にノートであれデスクトップであれ価格の大きな違いはないので、(ノートだからといって安価ということはない)ツレと私がノートであるMacBook AirとデスクトップであるiMacと別々に購入したのだった。

操作方法からしてwindowsとは若干違うところがあったり、設定方法も大まかな捉え方の相違はないものの、詳細な設定については全くのゼロSTARTということに。

手取り足取りで丁寧に教えてくださるだけでなく、さすがApple、担当者とソフトを使って私のパソコンの画面を担当者も同時に見ることができる上に、担当者がここをクリックしてくださいという指示も矢印マークで指示が出せるようになっているので、時代は変わったと実感。

結局、デスクトップであるiMacのデータは2TBのサイズがあるものの、音楽データだけで550GB、写真データだけで220GBもあることが判明。
その他というカテゴリーも450GBというとんでもない占有率を示しているので、取り急ぎ十分なデータの空き容量を増やすには、写真のファイルをパソコンの外に別にメモリーをつなげてそちらにコピーした上で本体の写真データを削除することから始めた。

しかし、
写真といっても220GBとなるとうん万枚という量ですから、コピーが完了するまで4時間強かかった。(汗)
その間、ずっと担当者を占有することはお互いにできないので、4時間後にAppleからお電話をいただくようにしていただき、夕方やっとことなきを得た。
朝10時半から始めて終わったのが17時半。

勿論、私もコピー中に外出もしたとはいえ、パソコンのメンテナンスには<相当の気持ちのゆとりと忍耐力>がないとできないものだなあと。

夜就寝前に今度は音楽データのコピーを自分でやってみた。
外部メモリーの拡張設定から教わったことを自分だけでできるようにしないといけないということからだ。

音楽も無事にコピーが終わった。

次回は<その他>の分析方法と対処方法についてアドバイスいただけるようにお願いしてあるので、また丸一日担当者と過ごすことになりそうですが、今後のためにがんばろうと。


Appleの製品には本体価格とは別に、Appleケアプランという保証期間の延長とともに昨日のようなApple担当者とのアドバイスも3年間何度でも受けられる特権が3年間で25000円前後と高価ですが推奨されています。

故意でない故障についてはものにより無償交換とか有償であっても格安な価格で交換ができるようになっている。

iPhoneのような端末でも、故障発生の場合、無償交換か有償交換という選択肢しかなく、物を大切にする日本人にとっては馴染みにくいシステムでもある。

もともとアメリカが誕生地であることもあって、使い勝手は実に合理的な製品になっていて、 windowsもwindows8というOSに変わってからMacと同じように拡大縮小も画面に指でタッチして容易にできるようにはなりましたが、従来から使っていたWINDOWSのパソコンと比べると、ユーザーの声から「一旦Macを使い始めたらwindowsパソコンには戻れない」というのも十分に納得できます。

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そんなこんなですが、
わが<ドーデモイイ会>の先輩諸氏もガラケーを使うものの、メールまでは難しいからやらなくていいとみなさん仰るものの、昨年iPadを使って離れたところにいたツレにFaceTimeという無料のテレビ電話から実際にご自身でメールの本文を打ち込んで送信するという体験をしていただきましたが、

まったくパソコンや携帯に興味がない親父さんたちも目が輝いておられて。
<2015年は「素人が教えるやさしいパソコン教室」を立ち上げて、みなさんでやりましょう!>と。
毎月の支払っている携帯電話代金分は使いこなしましょうと。

82歳になった父も機械が好きですから一緒にと。

ご高齢のみなさんがいつまでもイキイキしていただくことには、知識の刺激が不可欠とわたしは思っています

また、
パソコンなり携帯・スマホは機種にもよりますが、疑問があるときは国語辞典にも百科事典にもなりますから、何冊もの大きな辞典を買ってくる必要がない時代ですから、そんなおもちゃがそばにあるだけでも気持ち的に豊かになるのではないかと。

わからないよ。面倒だよという<怠け病>は自殺行為ですからと。

一日中、自宅内でテレビやラジオを聴き、暇さえあればつまみ食いしたりお昼寝三昧は絶対に健康上良いわけがないですし。

先日の忘年会クルーズのように、
近場であれば<浅草寺や柴又帝釈天>のような知っているけれども絶対に一人ではいかないところに私の車でお連れするというプランもすでにいくつもイメージはできているので、みなさんがいつまでもお元気でいてくださるように今年も<タケさんトラベル>も一生懸命に営業していこうと。


昨日の方が体調は良かったですが、
今朝トイレに起きた3時過ぎに熱はないものの、不定愁訴感が半端なく強いので、昨日の主治医の指示のように今少し安静にしていようかと。
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※654 仕事始め(わたしの本当の年末年始休暇)

2015/01/05 07:59
一昨日から「やっちまったなあ」と感じるほど、今年のお正月は体調不良にやられた。
4日はツレが来るということだったが、正直朝の時点で「風邪ひいたから今日はお互い自宅で休養しよう」と連絡しようかと迷ったが、、、

洗濯等終えたら行くね、、と電話。

合流してお昼を食べに行こうということになり、何故か知り合った時から「一人で喫茶店にも入れない」と連呼していたツレですから、彼女が好む<お寿司>を<銚子丸>に。

我々がお邪魔させていただくところはみんな好意的に迎えていただけるのが嬉しくて。

その後で一ヶ所付き合ってと。
さすがわがツレは私がどこに行こうとしているか分かっていてくれて、、、

お祖父さまの命日だよね?と。

その通り。1/04に逝去した祖父の名前は「松之助」、何も名前に因んで「松の内」に死なんでも良かったのにと孫のトップは思いましたが。

菩提寺は川口でも由緒ある「錫杖寺」で。

副住職から役僧の皆さんが笑顔で迎えてくださって、、タケさんはいつも奥さんとご一緒でニコニコしておられるから羨ましいね、、と。

お正月ということで御前が社務所で応待されていたので、新年の挨拶をさせていただきましたが、わたしは代々の檀家総代長である父の御名代でお邪魔させていただいているのだったが、社務所内におられた副住職の息子はデスクワークをされていたところを起立して迎えてくださって役僧の皆さんも笑顔で受けてくださっているのに(評判の悪い)御前は斜に構えて座ったままで表情も上から目線そのものだった。

役僧は自分の小間使い、評判を聞くと京都智積院の手伝いを任されたりというそれなりの評価はあるとわたしは思っていたが、周囲の評判は「御前は寄付金で頻繁に銀座のクラブに通ってカラオケ三昧で遊んでいるからお経を読むときの発声はいいでしょ?」と。

えっ?とびっくりしたものだが、事実、御前以外のスタッフの動きや言動を見ていると納得で。
(これはこのお寺さんも自分が少し深く関わらせていただいて皆さんに声援を送らないとと)

そして、お願いしておいた護摩札を頂戴して帰宅。

(すでにわたしの不調は限界点に達しようとしていた)

ツレに「ごめん、少し寝かせて」と言い布団直行。ツレに護摩札を父の108に持って行ってあげてと頼み。
それから、、、

「タケ、お父さんから済まないけれど湯たんぽを温めてくれないかなと頼まれたから行ってくるね」とあったので、脚が痛いだろうが階下の実家に行ってもらった。

自分はうたた寝状態だったが待てど暮らせどツレが戻ってこないことに気づき、メールを見ると「お父さんと酒盛りしているから寝ててね」と。

父とツレの2人で2時間以上も話に花を咲かせていたようで。

お父さんね、涙目になったりお茶目になったり、急に仏様の前に行ってとっておきのお線香に火をつけてわたしに後ろに座って一緒に手を合わせて欲しいと僕は思っているんだとか、昔からの父の<想い>を得得とツレに語ったそうだ。

「お父さん、タケはお父さんのことは大好きだから何でも気軽にタケに頼んでみてください。町会のことも菩提寺の総代長のことも、95年続いている豊川稲荷の参拝の<講元>の件も、タケなりに考えてくれていますよ」とツレ。

「なんでもそうなんだが、自分から手を挙げるのでなく、自然と周りからお願いしてきていただけるようになってから考えないといけないと僕は思っているから、タケにはまず底辺のことに徹底的に参加して皆さんと一緒に動いて欲しいと思っているんだよ」と父。

以前にも書いたように<自分の評価は自分でするのでなく他人様がしてくださるものだ>という父の信条にはわたしも同感しているからこそ、雑役・縁の下の力持ち的な作業には積極的に関わってきた。

<父は本音の部分ではわたしに継いで欲しいと思っているのだろうか?>

この辺が曖昧なので正直困っていることも少なくないのだけれど。

他人には自分の想いなど語らない父が、ここのところツレの存在が嬉しいようで、「あなたは話を合わせるのが上手だねえ、芸者さんになれるよ(笑)」と父に言われたという。

そんな2人で楽しいお酒を飲んでいるところでも、「タケはまだ来ないのか?」とお父さんが言われたから、「タケは年賀状の返事を書いていると思いますが、ちょっと体調がよくないようでわたしが少し寝ていたら?と言ってきたので寝ていると思います」と、

「あいつはいつもどっかしらの調子が悪い悪いと言うんだよな」と。

==病気がちだったのはもう10年以上も前の話ぢゃん‼️===
(ま、わたしが悪者になるかわりにツレと仲良くしてくれていればそれで良いのだが)


実際問題として、
祖父も父も町会長歴任者であり、豊川稲荷の参拝の会(講)も父で3代目。世襲制が基本で、菩提寺の檀家総代長も祖父からの流れで引き受けたときいている。

わたしの息子から「お父さん、ウチはとんでもなく凄いウチなの?」と聞かれたことがあったが、「選んで生まれたわけではないからね、無事に生まれて育ててもらった以上、お父さんも運命と思ってできる範囲で頑張るしかないんだよ」と。

でも、
わたしのように力不足でも周囲はそうには見てくださらないのが現実。
菩提寺も同じ。

先代は人間性も全て素晴らしい人だったのに、息子はしょうがないねとため息をつかれてしまうことは絶対に避けないといけない。

若い頃からわたしは大人の中の子供として育ったからか、亡くなった祖母から可愛がってもらいながらも「お前はね、誰からも話しやすく見られているから、辛いことも多いと思うけれど、そんな時は<人の上を生きなさい!>、泣きたい時や辛い時はおばあちゃんがいくらでも聞いてあげるからという<遺言>めいた話を受けて<達観視>ということを教えてもらったので尚更、父の姿から冷めた見方をしていた自分があった。

もちろん、私だってとんがっていた時期もあったが、自分の親がもういつまでも頼れない、むしろ子供として親のことを支えていかないといけないと思った40代初めから考えが大きく変わった。

もちろん、
父がやってきたことを自分ができる自信はどこにもない。いや絶対にないと思った。

<金が何でも解決できる>ことも事実は事実だが、いまの自分には金のゆとりはない。

そうでなくて、
友人知人との繋がりを大切にすることが大事になってきた時代でもあると自分は思っていたので、よく新入社員は先輩より早く出勤してお茶汲みからという話題になるが、自分は何でも下支えの部分に積極的に参加して友達を作ってノウハウを教えてもらうことから手がけた。

町会にせよお寺さんや豊川さんにせよ。
<用意周到>的なことを両親から学んだつもりですから、ただ言われたことだけやればいいでは誰でも同じone of themで終わってしまうので、折角やらせていただくのなら自分のカラーを出したいと思って取り組んできた。

それと大切なことは<継続すること>
三日坊主なら初めからやらないほうが信頼は担保できるから、やるのだったらずっと自分の体が動かなくなるまでひたすら続ける。

よく後輩の世代に「無理はいけないよ、背伸びして仕事するとね、体調がよくない時にトーンダウンすれば周りに<あの時は無理してたのです>と証明するようなものだからね」とアドバイスする。
それこそ男のわたしは共有したくてもできないのだが、女の子だったら生理という身体の仕組みがあるから、それこそそこで無理をしたら取り返しのつかないことになるからねと。だから全力で背伸びするときにとっておいて、腹八分目くらいがちょうどいいんだよと。

それと、
わたしも含めてこの年まで育ててくれた親とかご近所の皆さんはもう高齢になっており、誰に聞いても「これからは若い者に<迷惑>をかけないようにしないとね」と聞かされますが、「何で?」と言いたい。

「迷惑かけていいじゃないか、それもお世話自身が何で迷惑なの?」と聞きたい。

若いもんは育ててくれた全ての人に<恩返し>する立場だからね。
自分の子供なのに多くの人が気を遣ってる。

わたしはその人の立場になって考えたら、切なくなると思うのです。
ですからまずは親戚の叔父や叔母が寝込んだと聞けば、まず「お見舞いに行くようにして」います。

欲しいものあったら買ってきてあげるよ。
夕飯は食べるものあるの?
息子や娘が忙しいなら、電話してくれればぼくが来るからねと。


寝込んだと聞くのでなく、定期的に<叔母ちゃん元気にしてますか?>という電話を入れるのも日課で。

だから幸せなことにわたしは知る限り、今でも叔父や叔母から可愛がっていただいて。

お礼目的では誓ってないから気持ちは単純で。

世の中、
トップがいい加減だから下支えされている皆さんは不満を抱えながらも必死に動いておられることも十分に知っているから、わたしはそんな自慢の皆さんと本音を語り合えるような関係を持とうとしている。

それはね、
そのようなキトクな皆さんから教えられることは教科書に書かれていない<試験に出やすいヤマ(笑)>でもあるから。

人から教えていただくためには自分から現場に赴いて一緒に動く(働く)こと。

これが今の自分の基本的な信条で、おまけに分からぬことがあれば人に聞く前に自分でできるところまで調べてみる、これこそ<勉強>の意味であると思いますが、読書が大嫌いだったわたしがいま読書欲求が高い位置に来ているのはそんなわけで。

自分のことは後回しにしてでも優先的に皆さんから頼まれたことを先に先に。
自分のことは極論、睡眠時間を削ればいくらでもできるもの。

ですから、
戸籍上は夫婦でない私とツレですが、一度惚れた女性と結婚しても離婚というライフイベントを経験してしまったので、ツレとはそうなりたくない。ですから入籍の気持ちはあれども保留している。

最初は実家にツレを連れて行くことも嫌っていた父が、ここのところわたしよりツレが来てくれることをこの上なく楽しみにしているようだから、亭主冥利に尽きるのかなあ。

この年末年始も例年ほど以上に気ぜわしかったなと思う。

恒例の正月ダウンも今回は3日目。昨日は38度レベルで一瞬インフルエンザかと思ったが、今朝は36度台に戻った。
でも油断大敵ですからもう1日充電させてもらおうと思う。

さ、
今朝は隣の駅頭で新年の挨拶をされると聞いている同世代の県議の先生との話なので、ちょっとだけ本人にご挨拶させていただきに行ってきます。


今月は2人の手術を控えていますから体調管理を強化しないとね。
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※653 例年通り(笑)

2015/01/03 14:45
お正月三が日は、父にも息子にも「弟夫婦が来てくれるのでね、僕は208にいるけれどね、三が日はチョイとお休みをくださいな。三が日しか妹は来ないからね、甘えてあれこれお願いしてね」と。

父も息子も気持ちよくイイよと。

しかし、
昨日は、父の亡くなった姉のダンナが「タケさん、1/02にお世話になっているお兄さんとタケさんに新年のご挨拶に伺いたいんだけどね」と私に連絡があったので、父と息子に話はしておいたが、2日は想定外にツレもお昼前にタケの家に行くから神社に初詣に行こうと。

実は、
大晦日辺りから想定内の風邪っぴきの状態になり、やはり周囲が休みモードになると自分は不休で動く立場であっても気持ちが緩むと体調を崩すことは例年通りのことなのですが。

ホッとしたのがよくなかったねー。
寒いので熱めの風呂に入り完全防備で大晦日の深夜に父の名代で菩提寺に新年のご挨拶に向かって、帰宅して寒かったなあと思った矢先に布団にはいってから身体の異変を感じたわけで。

発熱37.4度(私の平熱は35.4度ですから普通の人の38.4度に相当する熱に、血圧180/130と明らかに異状値で、唾を飲んでも喉が痛く、寒気まで。


やっちまったなあ、、、とクールポコ。

元旦は午前中は家族大集合の新年会で。お昼からひとりですと車で加須市のアオキに親友の店長と新年の挨拶に高速で45分で向かって、、、

2日は脚が痛いだろうと待っているなら迎えに行こうと準備したら薄めて飲んだ濃厚ブロチン液が珍しく吐き気を催して撃沈。
電車で来たツレに新年の挨拶をしたら叔父からこれから行くよ電話。

父と同様に若くして妻を見送った叔父も我が家で父、息子、私と私のツレと話に花が咲くと居心地がいいのは当然で、昔の話題と仕事の話題で2時間盛り上がり。


潔癖症でテンション下がる息子も随分と成長したなあと。
大人と仕事の話題で盛り上がる術も心得たようで。

その後はツレと食材の買い物と女性御用達?の福袋を買いに連れてってと今年のスターバックスは遅かったようで、寿司の銚子丸に行くんだと。

嬉しいことに、店長から料理長や女性の皆さんとも知っている関係ですから大歓迎してくださって。

(でも、この時点で体調的には朦朧と)

やはり、
帰宅した時点でベッドに撃沈して2時間。
2日は泊まらずに帰宅することを聞いていたので、そろそろ送って行くよと。
「タケは辛そうだから電車で帰るよ」というものの、両股関節の手術直前で風邪を引かせたくないので<気合>入れてハンドルを握って送ってきた。

そして3日。

夜中にトイレに起きた時にはもう、喉が半端なく痛み、節々が痛くなり、食欲はあるものの食べる元気もない。ただ、常用を許されている抗生物質の<クラリス錠>を2錠昨日に続いて飲んでいたので、鼻水は黄色くなってまとまってきているので回復傾向にあることも実感していたので、玄関外の掲示板に3日だけお休みします表示にしてひたすら寝た。

マンションの集合ポストに郵便物を取りに行く元気もないけれど、ツレからの電話で目覚めてから、ベッドで好きなTBSラジオの永六輔さんのワイド番組を聴かせていただきながらブログの更新。


週明けからやっと自宅208の大掃除に励もうと。

2月は恒例の<川口豊徳講>という95年続いている愛知県の豊川稲荷さまへの年参会の2泊の旅が控えていて、父が3代目の講元。

4代目はよろしくと皆さんが持ち上げてくださるけれど、我が家での世襲制だから逃げはしないものの、この性格ですから生半可な気持ちで受け継ぎたくないし。

父の車椅子からの全ての女房役と、講元の倅という立場で参加させていただく以上、バス1台のご一行の皆さんのお世話役としても忙しく動かないといけない立場ですから、どうにか自分の体調管理もしないと。

叔父である副講元から<95年の講の歴史を本にまとめて欲しい>というリクエストも受けているので、豊川稲荷の知り合っている和尚さんからも教えていただきたい気持ちも含めて2014年は2月のお詣りの他に2回ほど個人的にツレとお伺いしてきたのは、2015年から本格的に日本の3大稲荷でもある豊川稲荷の変遷から全て教えを請えるような人間関係をと、和尚さま以外の皆様に私のことを覚えていただくことから始めたわけで。

神社仏閣に心を寄せる気持ちになったのは45歳の頃からでしょうか?

<人への感謝の気持ちを怠らなかったのもこの頃からで>
町内の皆さんもタケさんちは<金持ち>という大きな誤解を持たれているようですが、経済成長期の鋳物やだけではないでしょうが、当時の社長の金ぶりは計り知れぬものがあったのも事実のようですが、この15年の経済状況にはリーマンショックからの影響も円高の影響からも会社を維持していけただけでも幸いなのであり、専務である私も従業員や会社を優先して守るには年金レベルの給料で凌いできたわけで。

だから、
袖の下で人間関係をつなげていけた時代でさえ、子供心に嫌気を覚えた以上、わたしの取り柄は<即対応の現場主義>に徹しているので。


でも、
人からものごとを教えていただくのなら、余程の遠方でない限り現地に参上させていただくことは至極当たり前のことですから。

<年末年始であれ、私たちの日常生活がいつものように動けるのは、年末年始であってもいつものように仕事に汗を流しておられる人がいるから生活に不便がなくできる>わけですよね?

ですから、
私は上から目線に聞こえたらごめんなさいと、また人様のFAXを使わせていただくことをお許しいただいた上で、元旦の0時過ぎにお会社やお店に限って、
<年賀状FAXと称して「元旦から動いてくださってありがとうございます」という内容のFAXを送らせていただいています。

心からありがとう、、、という気持ちを持っているひとは沢山おられると思いたいですが、改めて文字に起こしてお伝えさせていただく人はまずいないと。

お金に代えられないことだからと。

<感謝させていただくこと>

悪いことしてしまったら「ごめんなさい」と、嬉しかったら「嬉しかったよ」と、綺麗なら「綺麗だね」と伝えることができる人は少なくなったと思うのです。

ですから、
わたしと何らかしらの繋がりを持ってくださっている人は、政治家から歌手、芸能関係、テレビラジオ関係と雲上人の人ともなんらかしらで繋がっています。
それを自慢する目的では誓ってなく、関わってくださった皆さんとはそれなりの真摯なやりとりをさせていただいています。

よく父に、
「自分の意固地を曲げてでも<可愛いじいちゃん>になった方が楽しく幸せな気持ちになれるよ」と再三柔らかく時には厳しく伝えているのも3年目。

独居老人でないにせよ、
毎日、息子2人と孫1人は接しているし、他人様でも時間があるときには遊びに来てくださるし。

2014/12/27の「ドーデモイイ会の納会・忘年会」にも8名もの町内の皆さんが父の108にお越しいただき歓談できたし。

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これがドーデモイイ会の忘年会の一部ですが、終わりまでご一緒できずに就寝であっても、みなさんと楽しい時間を2014年に続いてできたのは感謝であり幸せなことですよね?

この日は19時からと言っていたのに、17時半から自分で着替えて「特設宴会場(笑)としたリビングの座席に座ってテレビを見ながら待っていた父ですから、言葉に出さずとも嬉しくて楽しみにしていたのでしょうね。


でも、
自分が先に休ませていただく前に皆さんの前で、
「今日は皆さんが来てくださってありがとうございます。町会も皆さんに頑張って盛り上げていただきたいと思っているので、これからもよろしくお願いします。僕は町会長の頃も皆さんのように気持ち良い人が関わってくださるように今日みたいに誘ったり楽しんだりしてきました。これからは皆さんの時代ですからよろしくね〜。ごめんなさい、私はそろそろ失礼して、、、。ゆっくりしていってね」と。

寝室に同行したのはツレ。
「お父さん、寒いので暖かい寝巻きに着替えちゃいましょうか」と着替えなさいという言い方でなく「やっちゃいましょうか?」という声かけができるのは、ツレの上手な会話方法で。

あとでツレから聞いたのですが、
「こうして、着替えまで手伝ってくれるのは<ありがたいね>とポツリとお父さんがおっしゃっってたよ」と。

わたしが父の入浴に介助に入った時も、
湯船に浸かった脇にしゃがんで昔話をしたり、身体から頭まで洗ってあげて(オヤジ、チンチンくらい自分で洗えよなと言いながらも、「うん、これならチンチンはまだ現役で使えるぞ!」と笑わせながら?)、脱衣所に電気ストーブをつけておいたのは当たり前で、隣が父の部屋ですから布団の上にパンツ、シャツ、ズボン下、、、と順番に並べておいたのをみて、ついウッカリの様子でしたが思わず父が「お前、親切だなあ」と言ってきたのには笑って、、、。

<その気遣いを叩き込んだのは誰だっけ?>と。

よく、叔父や叔母だけでなく誰からも<タケは神経が細いんだなあ>と神経質ということを言われたものだけれどね。


息子とサシで話したのですが、
高齢者や心の風邪を引いた人にとって、年末年始は要注意しないといけない時期なんだよと。
平穏に過ごしていた人が、慌ただしくなる年末年始の時期になるとついていけなくなってね、時間的なことからはじまって<錯覚>を起こしやすくなり、それが気持ちのバランスを崩したものなら転倒もするところでないとか、いつもと同じように過ごせばいいのに慌てるから奇怪な言動に走ったり。

ですから、
昨年のお正月に8名の近い人が急逝されたが、原因は何もお正月でなくてもいいのに、年末年始をめがけたように急逝だったでしょと。

わたしの祖父も1/04が命日であるように。

だから、
お父さんの年始三が日が明けるまではね、救命救急センターの当直医みたいな存在で眠っても眠りが浅いんだよと。

それから、
どうして高齢になった人の言葉で「若い者にご迷惑にならないように元気に、、、」というのだろう。

実の子供にまでそういう。

バンバン出世で自分で自由がきかなくなったら若いもんに胸を張って頼めばいいのに。
まるで、生きていることが若いもんへの迷惑になると思わせている我々が意識改革すべきと思うのに。

<迷惑かけたっていいじゃないか、だいたいどこが迷惑なんだよ>と言いたいのだが。


今年は1月からツレの両股関節の手術、亡母の妹つまり叔母の両眼の白内障の手術とお手伝いさせていただくイベントが大きく2つ。
2月になれば豊川稲荷関係の旅の準備。

しかし、
心ない人は手術当日に無事に手術を終えたらすぐに仕事の現場に戻ってくるという感覚というか、手術を受ければすぐに元気になるものだと思うようで、若い人ならまだしも、50を超えた人が大きな手術を受けるわけですから、いくら整形外科系の病棟でオペの直後から慣らすようにと院内リハはやらされても、両方の股関節の置換術でも人によるけれど3〜4週間で退院させられる傾向はあるとはいえ、退院して自宅に戻っても平日は私もつれも別々ですから娘と同居しているものでももう仕事人ですから日中ずっと介助はできないし、ある程度の自己歩行ができる自信がついてからの退院でないとその後の緊急事態(人工股関節も外れることは否定できないから)の対処や緊急事態を生まないための訓練も時間がいることですから、まして電車通勤含めて片道90分以上の仕事場に直ぐに戻れという方が無理があるし。


いくらツレの職場は自営の会社であれ、50にもなる同僚の義妹が口では綺麗事言っても、年末の土曜出勤でも仕事は上の空で、ある意味で申し訳ない言い方になるが、できが悪い姪っ子と義妹が仕事納めの日に遊びに行く計画を立てていたようで、、、。

お前に万が一のことがあったら会社の経理はどうするんだ?とよく言ったものです。

わたしがその職場にボランティアでもいいから月末月初限定で応援に入れればいいが、立場的には流行りの夫婦別姓のようなカタチですからそういうわけにもいかず。

他の友人の職場でも、シフトインの予定であっても急に何かあるからと職場出勤時刻の30分前に欠勤の電話を入れればいいと勘違いする30歳の女の子もいるんだとよく聞かされたものですが、私が見ている限り仕事キッチリの女の子でも、欠勤の電話さえ入れればそれでいいと思う人もいて、いつもシフトリーダーの39歳と50歳のママさんが相談して穴埋めのやりくりで自分がシフトインするようだが。

ツレのリハに必要と予想しているのは3月上旬あたりまでと。
叔母の両眼の白内障の手術後の歩行訓練などに必要としているのも78歳という独居生活を考えると最低でもひと月は必要だと思う。

それぞれ子供が2人いて叔母の場合は孫も2軒で6人いるが、実質的に積極的に叔母のところに来てお世話してくれるのは次男の嫁。
(自宅から90分以上運転して週末を中心に叔母のお世話に来てくださっている)

わたしは甥っ子の筆頭的な存在ですが、母代わりの叔母となればお手伝い要員に入れていただいて。

それだけ考えても読者の皆さんは私の忙しさはご理解いただけると思うのですが。

一家に一台、、一人。
こんな人がいないと困るでしょ?

ですから、
やるべきことが沢山ありますが、お正月三が日の3日だけ毎年お休みをいただいています。

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これは昨年暮れにツレと叔母や父にと柴又帝釈天まで草団子を買いに行った時のものですが、いま少し元気になったので、神社仏閣にお参りに行こうかなあと思うのは歳をとった証拠かも知れませんね。


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これは、先日叔母を見舞った帰りに新京成電鉄の車両がコーポレートカラーのピンクに変わるというニュースを鉄道専門誌で知ったので、線路際で待ち構えていて撮影したものです。


また、
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都内環状七号線の足立区内を運転中に亀有駅から出てきた東武バスの行き先表示であまりお目にかからない<六ツ木都住行き>という表示が新鮮だったのでパチリ。
(四つ木という地名は知っていますが六ツ木というのもあるのなら、一ツ木から2、3、4、5、6とあるのかなあと調べたくなるね)

よく、さいたま市内で国際興業バス路線で<大谷県営住宅行き>とか、川口駅東口や赤羽駅東口から、足立区にある<都営舎人団地行き>という公営住宅を終点にしたバス路線は存在しますが、国際興業バス以外でも東武バスでもJR上尾駅から<上尾第一団地行き>という老舗路線もあるけれど「都営」なり「県営」という表示までするバスは少なくなったようですね。

都営舎人団地もいまは<舎人団地行き>に変わったし。
変わったものには<鳩ヶ谷公団住宅行き>なんていう老舗路線も健在です。

都住という表示が自分には新鮮に感じて思わずカメラを向けてしまいました。

脱線ついでに、
東京都北区にある「桐ヶ丘団地」「赤羽西住宅」やマンモス団地で有名な「高島平」「埼玉県の松原団地」「武里団地」千葉の「常盤平団地」と経済成長期に次々に建設された大型団地でも建物の老化の問題から過疎化の問題、独居老人の問題と、東日本大震災や原子力発電事故の後遺症でまだ不備な生活を強いられておられるみなさんが沢山おいでなのに、素人の身勝手な意見かもしれませんが<東京オリンピック2020>の誘致や原発再稼働推進と事実というか救済すべきみなさんがまだ溢れておられるのに、汚染の問題はクリアーできていて安心ですという世界に向けての大ウソをついた安倍首相の本心は何なの?という気持ちも拭えませんし、

大人の事情であれ、経済復興すれば被災地の復興や独居の高齢者の皆さんへいくらでも手を差し伸べることもできますよと言いたいのでしょうが、<圧倒的に国民への説明が足らなすぎる>と思います。

今年は、
自分として事実を冷静に受け止めて自分でできることから結果を恐れずに実行してみたいと思う年頭です。

また、
寸暇を見つけて読書から鉄道やバスについても趣味の撮影にでかけられたらいいなと思っています。

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おしまいに、
これはJR御茶ノ水駅開業110年記念で御茶ノ水口の改札前に設置された<お茶と水だけの自販機>

お近くの人は110で1月10日まで販売しておりますので見てみてくださいね。
お茶と水駅(笑)

2014年末で撤去の予定が好評で1/10まで延長したんだって。
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


※652 2015年あけましておめでとうございます。

2015/01/02 04:30
年末年始。
ただただ慌ただしく周囲は動いていますが、今年は特に年末というテンションに入りにくかったこともありとうとう自宅に大掃除は保留、年賀状も父の分を入れて250枚のデザインから印刷、宛名書き、本文書き、投函までを大晦日の朝から10時間集中で済ませて年内投函は死守できたところで。

今年が慌ただしかったのは、
町会の仲良しグループの「どーでもイイ会」の忘年会を208の自宅でなく108の父の家でやろうという父の希望もあり、そうなると股関節のオペを控えているツレに掃除まで手伝わせるわけにかないので、倅と二人で分担して実家の大掃除がやっと。

12月24日から4夜連続の町会の夜警の最終日にセットするも自分の当番もあるから、押し迫った夜に1時間町内を巡回。スタートとゴール地点である建具屋さんの作業場で夜警終了後に懇親会で盛り上がるのににも2夜連続で飲酒できぬ自分も0時過ぎまでお付き合い?

もう、自宅に戻るとダレダレモードでベッド直行だからしわ寄せが押し寄せて、、。

しかし、
父も町会の皆さんと交流できる環境づくりを日常茶飯事的に作れるようになったし、皆さんにとっても208と違って敷居が高かった108の実家が身近に感じていただいたりできる環境に2年越しで実った2014年でした。

ただでさえ小食の父ですから、食事を用意しても半分も食べてくれないので栄養失調で腰がぬけたり介護認定で<要支援1>の評価の父がやはり年末年始のように日常と違った周囲の動きに動揺して、奇怪?な言動をしたりしましたが、無事に年を越せたことが安堵になった元旦でした。


良い時代に育ったし仕事に夢中になれた父ですから、亡母に丸投げのわがままな性分は改善の余地どころではありませんから、単なる<怠け病患者>で私の逆鱗に触れることも少なくなのですが、わたしも成長したねと亡母の妹からお褒めのお言葉をいただきましたが(笑)、正直56になるとカチーンとくれば来るほど「怒っちゃけない、冷静にならないと」という思いが強くなり、それを家族や親戚からご近所の皆さんまでわかってくださって見ていてくださるので、わたしの<株>は必然的に上昇させてもらえるワケで。


わたしの母は65歳で卵巣癌で他界。
晩年は恐らく苦労が絶えなかったのでしょう。急に三叉神経痛に襲われて顔面半分が歪んでしまって入院とか。よく新年を迎えると総本家ですから父の兄弟ファミリーが新年会で15名以上が集結。

祖母もできた人でしたから嫁である母の苦労は半減したとはいえ、2日の新年会が終わるのは0時近くに。
食器から座布団、テーブルを片すのを当時小6のわたしが疲れ切った母をみて「いいよ、お母さんは休んでて、ぼくが片付けるから」と最後まで掃除まで変わったものです。

いくら実家でも娘が大勢で押し寄せて来るのなら、もう長男の家であっても嫁がいれば実家であって実家でないという意識は常識的には持つものであると思うのに娘である父の妹たちはお開きになると片付けを手伝うこともなく帰途につくというわがままさに中学生の自分も空気が違うことは十分に分かっていたほどで。

わたしが<マメ>な性格になったのは母をいたわる気持ちと、そのように家でお手伝いをしていると必ず褒めてくれた祖母がいたからだと思う


新年を迎える時は必ずそんな祖母や母を思い出すものです。

そんなこんなの2015年のお正月。

1月中旬にツレが両方の股関節の人工関節への置換の大手術と亡母の妹も両眼の白内障の手術を控えていて、二人とも病院とはお産のとき以外お世話になった人ではないので、手術となって不安と恐怖がモロに顔に出てきているから手に取るように分かるとなると、自分の出動要請モードになって。


10月あたりからツレとはもっと前からですが、叔母も仲間入りで松戸市の叔母の家までよく元気を振りまいてきたものです。
12月は29、30、31日と叔母の家で年越ししようと次男のできた嫁さんと2人の孫娘も泊まりにきてくれるというので、わたしが持っているDVDを貸してあげようとか、ツレも叔母に防寒用の下着を差し上げたいと2日連続で松戸まで伺ったものの、31日の朝にタケさん、DVDが見られないのという連絡を受けて再出動。

お付き合い長いといえども年末の押し迫った時期に3連チャンで松戸まで通ったのは56年間でバージン喪失(笑)状態。

でも、
1月16日と22日の2人のオペに向けての応援体制はとっていこうと。

おしまいは、
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実家での新年会に参加したご存知ひぃちゃん。
飼い主はわたしの実弟が実弟宅で飼っているので、いつもと違いお父さんもお母さんもそばにいるからねー、ダラダラするわけにいかないようで、それでもわたしには<本音>丸出しになるものの、じいちゃんのまえでは両親の監視下を意識して(笑)座り方も緊張感丸出し(笑)。
大好物のチーズ入りのチキンスティックも食べたいのに食べない。

そこで、じいちゃん考えた。
<ジイちゃん用のマジックハンド>使用で餌やりしたら食べた絵です。

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一方、こちらは鳩ヶ谷のムサシ君。
こちらの君は餌が最優先
ひぃたんと違って警戒心ないから最近はチンチンの付け根を指でさすっても怒らなくなりました。
男の子はパワー?スポットだものねー。


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これは<新京成線>のコーポレートカラーを纏った数編成しかないピンク電車です。
松戸新田駅〜稔台駅間で撮影。

本年もどうぞ宜しくおねがいいたします。
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※651 カリカチュアジャパン

2014/12/20 07:27
あやマンジャパンじゃないとよ。ニンニン(笑)

絵を描く仕事で生計が立てられるようになりたいという社長kageさんの強い情熱が今年は関西地区本格的に店舗拡大で結実している爆笑似顔絵カリカチュアの日本唯一の専門店である浅草に本社本店を置くカリカチュアジャパン。

TBSテレビやラジオで知ってから思い切って足を運んだことがきっかけで社長のkageさんにもライブスケッチしていただいたり、何人ものアーティストさん達に家族から友人、ペットのわんちゃんまで描いていただき。

浅草本店で知り合った世界コンテストトップレベルの山口県が生んだ1000人に一人といわれている さつちゃん。

彼女が関西地区に栄転が決まってから初めて期間限定で浅草に戻ってきてライブスケッチをされると聞き、生憎の天候でしたが姫を連れて浅草本店にお邪魔してきました。

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さつちゃん、今回は思い切ってぶっ飛んで描いてねーと。
ぶっ飛びました(笑)

絵の実力は勿論ですが、作画中の15〜20分の話術、気遣い、明朗快活さは群を抜いていて、、、。
彼女は後進を指導されるキーパーソンでもあります。
とても20代には思えないスーパーレディです。

また京都二寧坂店?に戻られますが、21日まで浅草本店でライブスケッチされますからお時間ある方は是非いかがでしょう?





好きなことだけやればいい
あさ出版
KAGE

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※650 もうすぐクリスマスかあ、、、。

2014/12/20 07:06
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これは地元の川のほとりに毎年この時期になると灯籠を並べて灯すイベントの模様。
今年は対岸だけでなく両岸に。

各地でライトアップイベントが展開中ですが、何度見ても良いものですね。
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ご存知銀座のど真ん中。
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三越前駅付近。

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文京区本駒込の日本医師会本部前。今年はブルーからレッドに。

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これはレインボーブリッジ。

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この日は特別ライトアップでした。


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18日までの20:30〜23:00まで限定の東京スカイツリー三原色ライティング
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わたしが主宰して集っていただいている地元町内の仲良しグループのサークルである「ドーデモイイ会」の皆さんとワンボックスカーで18日に第一回(笑)忘年会とナイトクルーズ遠足を実施して。

昼の部では東京スカイツリーの展望チケットを購入して天空散歩と計画も、強風でエレベーター運休。
その分、夜焼肉宴会のあと90分のナイトクルーズで足立鹿浜から葛西、台場、東京ゲートブリッジ、大井、羽田空港、鶴見つばさ橋、大黒ふ頭(ベイブリッジ)、川崎大師、川崎工場街プラントライトアップ、臨海新都心、東京レインボーブリッジ、東京タワーと回り東京スカイツリーに。

消灯時刻23時までの15分間。十間橋から見た逆さスカイツリーと消灯の瞬間を目に焼き付けていただき川口に戻ってきました。

明日は町会もちつき大会。24日からは夜回りとまだまだですが、みんなで和気藹々に頑張った後は気軽に我が家でご苦労さん会。大したことも出来ないのに人の行為や厚意にケチを付けないと気が済まない輩と違い、昔の良き隣人の絆を復元できるようなパワースポットになれればいいなと。

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一方、こちらは東京臨海道路と言われる一般道で、高速湾岸線の迂回路として中央防波堤方面を経由する2012/02に開通した若洲〜大井を結ぶ東京港に架かる東京ゲートブリッジ。

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※649 師走の連休(週末)

2014/12/08 17:14
止まってくれーといっても「どうにも止まらない」と山本リンダさんって、、、。

今年も3週間あまりを残す時期に。慌ただしいというかますます自分のことができない。

金曜の夜に姫を迎えに行き合流。夕飯にはいつもの浦和の備長焼鳥扇屋さんへ。
金曜の晩でも珍しく客が閑散としていて、われわれが退店するときは貸切状態だったから、いつもの学生スタッフ4人と労をねぎらいながらまた来るねと約束し、

土曜は昼間は買い出しの他は私が過労で昼間から撃沈だったものの、夕方から<町会の定例役員会>の<納会>で、わたしは思うことがあって4年前に部長職兼任して盛り上げたものの、あまりに私利私欲に動く執行部の老害と折角同世代が町会長になってくれたものの、何度ともなく我々の好意的なメンバーに傾注することをせず、顧問相談役からも老害となっているメンバーと繋がるなとアドバイスするも、ことごとく背を向けたせいで、老害からも使われ指図され、、、とうとう孤軍奮闘で不眠症と神経性胃腸炎のような疾患でわたしと同じ総合病院で内科同士から彼は消化器科に転科通院している始末。

その前から、班長は万年班長でも、残った総務部長、広報部長、副衛生部長の役職と行事のたびに長年提供させていただいてきたトラックの提供もやめてきた。

勿論、
協力をもやめたわけではない。一町会員としてできる範囲での協力もさせていただこうとするスタンスだ。

砂上の楼閣にならないように、単なる町会員としての立場にいることで<底辺の部分の皆さんの視界を把握できる>からです。
詳しくは改めてということにして、

<定例役員会>の日は<ドーデモイイ会>の定例会でもありますから、父の夕食に付き合ってから父の108の自宅から5秒の208のわたしの自宅に会場を移してと思っていた矢先、普通は21時の定刻でも終わらない納会が19時45分にハシゴ高さんから電話。

「タケさん、今どこにいる?これからみんな誘って行ってもいい?」の電話だった。

「勿論ですよ〜、ん?何でこの時間なのですか?終わっちゃったの?」と

(またbiglobeのシステムエラーだよ💢書いたのが消えて画像貼り付けが出来ない)

通常は21時の閉館時刻になっても終わらないのが、土曜日は18時から役員会議事進行も含めて2時間もたなかったようで。

みなさん、普段なら婦人部にもお願いしてみんなで手作りのお惣菜を作ったり調達することもお楽しみだけど、今回は一部の老害中心の執行部の指示で、婦人部にも青年部にも声をかけずに、総務部の二三人の未経験者に指示しても周りからはため息と反感を買うだけで。

お話を聞くと、父と私とツレに、会場の広間にテーブルを並べて?一人一袋のお惣菜弁当を袋に入れたものを入口で配って、ビールが少々出ただけとのこと。

そして、
寄贈されたカラオケでその老害の総務部長が仕切って一部の人間でカラオケだったと。

そうでなくとも、ご高齢のお嬢様方はもらうものを貰えばつまらないときは輪を増して帰ってしまうし。


50代の町会長もあれだけ私も含めて町会運営の人事からノウハウまで先輩や我々のアドバイスを強行に無視して組閣した面々が老害たちだから、案の定、就任半年も持たずに町会長そっちのけで暴走の結果でもあって、、、。

だから、
ドーデモイイ会というのは、専門部の垣根や立場上の垣根を越えてみな同じ立場の友人として協力するときは全員で協力もするし、言いたいことは自由に聞き合う仲間の輪として作ったサークルで。

町会長経験者であり現町会顧問の父もドーデモイイメンバー。
新年からは、もう一人の町会顧問ご夫妻も仲間に入っていただこうと。

前回書いた合同防災訓練も、父を車椅子に乗せてでも参加させたこと自体が広告塔になって災害時はご高齢者が最優先ということを他の町会でも認識していただけたと思う。

そんなこんなで父は22時までで寝室に撃沈でしたが、皆さんは零時過ぎまで盛り上がって。


そして翌日日曜日。
予定では11時から町会の老人会の忘年会だった。

同じ85歳の町会顧問ご夫妻も参加されたいとおっしゃるので、いつものように父を乗せた愛車でツレとご自宅まで送迎させていただき、2時間半。

85歳の顧問である先輩も満面の笑みで喜んでくださり、またご一緒させてくださいねと約束し。

その会でも、いつもは派手に?飲み食いできるものがこじんまりとしていたようで、日曜は父も82歳の誕生日ということもあり、2時間ほどケーキを食べたりのみの続きと呑み直し。

;;;;;;;;;;
そんなこんなの多忙でしたが楽しい週末でした。


そして月曜日はわたしの唯一の公休日。

朝からSNS繋がりの友人女性が男性を表現する一人称の呼び方で人気?不人気?はという記事のコメントをつぶやいていたのは興味あったが、

<俺>なんて言う人は本人に言わせれば不快だったのだろう。
文章の抜粋は控えるが、そんな言い方をされる男は、、、、といった朝一番からやけに攻撃的で。

知的できちんとした考えの淑女として自分とも繋がらせていただいている同世代なのですが、お互いに個人的な相談を交わしている友人ですから「あれ?朝から何かあったんか?>と心配してしまうほどの気持ちと不快感を持ったので、直接メッセージで<好き嫌いは書いてもいいと思うけれど、嫌いな表現をされる男を育ちが悪いように解釈されてしまうような表現はやめようよ>と。

<いろいろな価値観を持つ人がいるからさ、個人の好き嫌いは良いとしても潰すような言い方はいけないよ><僕のように友達だからといっても心配とか不利益になるようなことは直接言う人も少ないだろうけれど>と。

<私には手厳しい意見をぶつけてくる人はいます。その意見に落ち込むようなこともあるけれど>
<個人情報だから詳しくは言えないけれど、いろいろな人の相談にも乗っていて、、、>

そんなことはどうでもいいわけで。
礼節をわきまえられている彼女らしくもなく、そのまま「そうだねー」とか流したフリでもすれば良いものの、時々、家柄や博学さを前面に出してきて、、の傾向に走ってくるから困ったチャンなのです。


50過ぎた人たちで苦労されている人だから意見も手厳しいのと言ってくるものの、彼女が最も癇に障っているのは<若者の言葉遣いの乱れ>なので。

しかし、
若者の中には、綺麗な言葉を工夫して使ってくれる人も僕の周りでは沢山いますから、あながち批判の嵐ということを前面に書いても炎上の原因を作るだけで。


私と似たところがあって介護なり毎日悪戦苦闘されて生き抜いている女性ですから、頑張っているなあとお互いに励ましあっている友人ですが、

そんな私には<安全パイのタケちゃん>と何度も言われたら、言われた方は随分失礼な表現をする人だなあとも感じたものですが。


人間ですから、心中穏やかでないときも当然あります。

でも、
それに対して個々に潰さないと気が済まないのならそうすればいいですが、SNSは相手があるものですから、やはり最低限の配慮と心のブレーキを持たないと。

これでもか、これでもかと反論してくるので、もうそろそろ冷静にねって書きましたが。

専業主婦と違って働いている男女も多いし、わたしは10年ほど前からダメ出しは控えるように決心して、それでも言いたいことは限定公開?のブログには残すものの、フォローもするように心がけてはいるつもりですが。


土曜日のドーデモイイメンバーにも若輩者の僕から話したこと。

<役員の全員とお手伝いしてくださる人全員も「町会行事を成功させよう」という気持ちはみんな同じで、ただ「やり方や配慮など」を誤っているだけ>だと思うんだと。

要するに<コミュニケーションがうまくできていない>だけなんだと。

★★★★★★★★★

綺麗事を並べて入りつもりはない。

よく、前述の彼女ではないが、人の悪口や批判はダメと言っているが<事実を告知する、認識させることは良い>というのが信条で、<どんなことであれ事実を正確に受け止めなければ解決の糸口は見つからない>と思うからだ。


父の世代の町会のメンバーから現在の執行部まで、平穏?に町会の歴史を作ってきた人は偉業とも言えるものの、レベルの低い権力闘争や今で言うイジメもあったろう。

それに対して
厳格にリーダーシップを取ってこられなかった全ての人に共通の罪悪は人間である以上絶対につきまとうものだ。

でも、

そのことを批判するのでなく、冷静に事実関係を認識して共有しあってからこそ、これからの地域社会の運営に発展への礎ができると思うからこそ、正解も効率的な解決方法も神のみぞ知ることだが、何もしないで時間の無駄遣いは論外で。

幸運なことに、市のイベントから町会の運営まで少しとはいえ辛酸もなめたし達成感も経験したので、責めて昔から町会に携わってこられた人と自由にコミュニケーションを図れてみんなで盛り上げていく絆づくりのキッカケがドーデモイイ会というわけで。


まず、自由になるクラブの部室的に私の家は公開しているので、何か相談があれば立ち寄っていただけるようにまでなった。

毎月の古紙回収も、以前のように私もトラックを運転して業者さんまで持ち込んで買っていただくまではしないとしても、マンションの皆さんにお声がけをさせていただいて、子供さんも含めて自分たちのマンションの搬出物を回収しに来てくださる有志の皆さんのお手伝いになるように第2日曜日の朝10時から30分。みんなで分別してゴミステーションからマンション入口まで出そうよと。

そして、
私とツレで、町会の有志の皆さんからマンションのファミリーまで、来てくださった皆さんに夏は冷たい麦茶、冬は挽いたホットコーヒーを4リットルほど用意させていただいてお飲みいただいたり、お子さんには缶のジュースを分けてと。

もうこの給水所というか喫茶タケちゃんというか、開設して3年目に入ろうとしている。

そんなことだけでも、有志の皆さんから好評なんだよとお声をいただき、自分がやりたいと思ったのは、役員でない(班長も役員だが)自分が庶民目線でハイムまで来てくださった皆さんとだけでも良いから、毎月1回でも挨拶だけでいいから交わしたいなあと思っただけで2年間続けてきました。


タケさん、もう出席すべきタイミングだよ。


姉さん友人が教えてくださり、自分も意固地になっていないでそろそろ本格的にお手伝いをと思っていた矢先に先日の6町会合同防災訓練のポスター作りとトラックの要請だった。


みんなで力を合わせたら<大盛況で大成功>!!

夢だったんだあ。

学園祭のノリで、3.11の経験を風化させまいと防災訓練の必要性の認識を机上の空論にさせたくないと。

今回の納会で、仕出し弁当を調達するのなら幹部会の承認をもらって、炊き出しの混ぜご飯を試食してもらおうと。(美味しかったようで)

防災部長の承認をもらっていざ幹部会に図ったら、老害の執行部に見事に却下だったのだそうだ。

そんな輩に限って同じ日に行事が重なり殆んど参加者がいなかった腹いせと思われるように。
彼らは行事の後で防災訓練会場に顔を出さなかったことは言うまでもなく、たまたまハイムの前が彼らの拠り所ですから、この目で同時刻に忘れ物を取りに来た自分の目の前で<やけ酒?>に集合した姿をみているだけに、残念で。


11/16は、9日に2年に一度の川口宿、鳩ヶ谷宿の日光御成道祭りで全市をあげたお祭りでしたから、通常の行事が後に押したので、当日は9時から全市一斉でクリーンタウン作戦という清掃活動に、9時半から合同防災訓練、おまけに地区のスポーツ大会が見事に重なってしまったので、通常は30人強集まる清掃活動に8名、あとは防災訓練に流れた機雷があるために、反省会で来年のクリーンタウンにはみんなで盛り上げようと僕は話をしたのだが、「防災訓練にもっていきやがって」という感じだろう。

それも、
防災部と衛生部とコミュニケーションができていればよかったと思うが、それを見越した町会長も「タケさんさ、俺もあちこちの行事に挨拶回りに行かないといけないので、遅れていくようになっちゃうんだ」と言ってくれたからみなさんにもそのようにフォローもできたが、町会長には衛生部の面々にも配慮してくれrたかなあと心配の種になっているわけで。


せっかく盛り上がって<炊き出しのメシが美味しかった>ことを役員さんだけでも試食してもらおうというモチベーションを衛生部長がバッサリと言ってきたことを耳にして、

<これだから我が市内でも伝統ある町会だったのに、また振り出しだ>と。

お恥ずかしい現実ですが、伝統ある、市内でも一目置かれているような町会が、紙一重でつまずくとこの有様です。

毎年の行事進行運営は<例年通り、成り行き任せ>とハッキリと人前で言葉に出してしまった前女町会長。

<男なんかになめられちゃダメよ>と余程トラウマになるような事件があったのでしょう。
わたしが僕になってでも挽回しましょうと懸命になった町会長です。


一般論ですが、
人は名誉職につきたいという欲は誰にでも多かれ少なかれ潜在意識でもあるものです。

しかし、
いざその職に就任できると大抵の?一部の?人は<大きな勘違い>に侵されてしまう。

トップであれば当然のこと、自分のブレーンを人事に配置していくのですが、<大きな勘違い>が町会費という公金を預かって運営していく公共団体であるのにもかかわらず、私利私欲に走る人、自分に刃向かう人は除外というよりいい大人が「排斥」までしでかす始末。

当然のことですが、
言葉遣いから金遣いまで歪んでいくことに。

そして、
それだけの立場であるのに、論議という感覚に慣れていないというか、逆に自分が持っていきたい方針への理解と協力を求めていくように踏み込むなりもできずに、指示を出せば一言言われることを嫌うゆえに、面倒なことであっても1人がやってしまえば簡単と一人歩きまでするものですから、心ある部下たちにしてみれば、我々に頼めないの?信用できないの?と一人歩きするようになる。

自分のカラーを顕在化した人選をしたいのだが事実上できない。

何故でしょう??

<ここのところの歴代町会長歴任者共通の「盲点」があった>

現町会長含めてこの10年以上前から町会の劣化が顕著になってしまった4人の町会長。

<致命的な盲点とは「ブレーンがいない」ということ>

仮に、わたしがトップを狙うのなら<最低2人、最大6人のブレーンができてから>。

ブレーンがいないから頼めない。頼めないなら「お願いします」と頭を下げてお願いすればいいことで、名誉欲に侵されている人は、頭を下げること=敗北とこれまた<大きな勘違い>をしているから始末に負えない。

地域社会の役割の顕著なものは、東日本大震災のように未曾有の被災状況の時に、いかに1名の命を落とさないように助け合うかどうかだ。

よく学校でのいじめの問題を考察してみると、
昔のように、個々の家庭の様子まで同級生同士は多かれ少なかれ理解できていたし、かりにイジメの要因になろう同じ持ち物が持てない子供には、あの子の家ではご両親が病気がちな上、子供達に目が行き届かないとか経済的に苦しいお家だからと、身体検査の時に男子の同級生が妹のショーツを履いてきたということも珍しくなかったし、毎日風呂屋に行けないと汚れていたり臭いがあった友人がいたが、今で言うキモいとか死ねという醜いイジメは皆無だった。

学級会でなになに君は臭いと話題になっても、そのイジメを救ってくれる友人もいたから、「僕が彼と一緒に風呂屋に連れて行ってあげる」という同級生もいた。

、、、ところが、今は個人情報もあるからと世相が個人の殻を強固にする方しか目を向けずですから、問題解決には現状の事実を確認して受け止めることでさえできない。

ですから、
暇さえあればスマホや携帯依存。決して悪いとはいっていない。

隣の人は誰ですか??というレベルなら、責めてお隣さんとはご挨拶をすればいいのに。

自分の殻でしか生きていないから、小学校の授業で先生に指されても「ダメよ、ダメダメ」とウケることしか覚えようとしないし、中学生が公共機関のHPに忍び込むプログラムを作ったと得意顔。


学校の教育現場の先生は、本来の教育という仕事さえ遂行できない事態に。

世も末だ。

しかし、
<きちんとできる人だって少なくない>のであるから、劣化させている集団に矛先は向いていくでしょう。

来週の衆院選の投票日。
投票率が低ければ、消費税増税からアベノミクス一連事業から原発の問題も組織票で自民党圧勝は容易に想像できる。組織票が容認するのならもしかしたらアベノミクスは大正解です。これからも強力に進めてくださいと後押しする証明になるわけだが、

もしかしたら、
安倍晋三もそれなりの政治手法や政治に自信があるから強行に見えるものでも解散を強要した?のかも知れない。

<ならば、メリットデメリットまで正直にわかりやすく国民に示してくれれば支持票にも重みが出てくると>思うのだが。

★ここも<コミュニケーション不足>という障害だ。

人間である以上、
3年先5年先に自分はどうあるべきかくらいのビジョンを持つべきと自分を奮起させているつもりだが、日本丸を背負っている責任ある皆さんから無責任という肩書きは当分外れそうにないと危惧している。













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※648 狂いの説法(無着成恭、ひろさちや共著)

2014/12/04 10:05
読みたかった本である<狂いの説法>を読みかけた。
まがい物的であるが、これでも自分は教育学心理学をかじった一人として。

まだ全部を読破していないが、
ここのところの子供だけでなく大人までもが昔ならありえないくらい<心もなくなり、人間だけでなく生き物すべての「命」の重さまで理解できていない>惨忍な事件が毎日のように起こっているが、簡単に言うならば、子供の頃からの親や家族内でのふれあいやコミュニケーションがほとんど取れていないことと、

高度成長時代の悪い遺産?からか、追いつけ追い越せの人を蹴落としても自分が一歩前に進むことを美徳とされ、高収入高学歴が勝ち組という教えからか、受験戦争がはびこり、

悪いことが起こると、国も学校も親も<規則を厳しくすれば解決する>という対症療法的な縛りをすればいいという<規制社会>である反面で、個人の生活は侵食されまいと<個人情報保護>とばかりにますます個人の殻に閉じこもっていれば良いという世の中だ。

<臭いものには蓋><モトから断つのでなく目前に出てきた芽を摘むこと>しか考えていない>ので、窒息しそうになってきている時代だ。

戦時中からの流れからか、お国がやたらと国民を悪い方向に誘導している時代でもある。

イケイケどんどんの流れで育った世代がもう孫がいる世代。
少子高齢化社会がどうこうというのでなく、昔と違うことは<家庭>が崩壊してしまっているという深刻な事態なんだ。

職場と住居の共有部分がないことも事実だが、いくら核家族であれども、親子でのコミュニケーションすら担保されていない時代は深刻で。親から箸の持ち方から各家庭で教えてもらうとか生きていくためのルールや礼儀を就学前から各家庭で叩き込まれてこないから(教えられない)入園なり入学の際に自分の子供には劣等感を植え付けたくないと、入学前にそれを意識した塾などに通わせる。

ご近所のお友達と小さい頃から遊んだりケンカしたり仲直りしたりといったコミュニケーションが十分にできていないから、<お友達とどのように遊んだらよいか>さえわかっていない。

協調性もへったくれもないのに、気を使いたくないからと他人とあそぶことなく一人遊び=ゲームというわけで。

いじめも、昔から多かれ少なかれあったが、いじめっ子がいれば昔はいじめっ子を制止する正義の味方もいたものですと無着先生。

親がヤンキーであれ不良であれ、子供が授かったら子供にはウソでもいいから規則正しい生活やことばづかいのお手本を示せばいいものの、深夜0時過ぎにレンタルCDを返却に行くと、まだ2歳3歳ほどの2人の子供たちを連れた不良っぽい両親が平気でクレーンゲームをしに来店する。

<親がこどものままなんだ>

でも、その祖父母の価値観がしっかりと教育面で機能していれば、そんな時間に子供達をゲーセンには連れてこないだろう。

人間としての基本を会得する家庭やご近所とのコミュニケーションが担保されずに成長してきたから、協調性も思いやりもない。

大人のじいちゃんばあちゃんもここのところ<不良ジジイババアが大繁殖している>時代だ。

でも、
子供を二人三人と授かった共稼ぎの両親が、家庭や地域の皆さんと必死になってかかわろうと健気に生きておられる人も沢山知っている。

マスコミの取材の問題報道の問題から、今回の選挙を決めた安倍首相も同じで、果たして主人公である国民のためを考えた生き方をされておられるかと思うと疑問符がたくさん。

あれだけ国民に大うそつき的なことを平気でやっていけば、政治に無関心な人も増殖するだろう。

投票率が担保されなかったらいくら国民の信を問うといえども、今の政治に特急券をプレゼントするようなもの。

困ったものです。

いい悪いは別にせよ、小泉さんのように<国民が関心を持つような政治手法で国民に信を問う>ならまだ納得がいくが。

私は個人的にこのような日本全体の流れが騙し合いとかうそつき合戦で体裁だけを整えた流れを止めないと沈没してしまう危惧感を拭えない。

🎵安倍のままでーまかせていくのよ〜では「ダメよ〜ダメダメ」と思うのだが。
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※647 珍しく丸一日ベッドにて、、、

2014/12/03 03:39
特段風邪をひいたわけではない。
朝から鼻汁が止まらないだけで。実を言うと姫が親戚筋の関係者のお世話に振り回されていて、詳細まではよそ様のことですから知る由もなく、知りたくもないことでもあったが。

姫の足の手術をあと1ヶ月ちょい先に控えている大変な状況であるのにもかかわらず、自営の職場の経理責任者として重要なポジションにいることはわかっているが、同僚である義妹でもう48にもなる彼女が何度仕事を教えても覚えようとしないいい加減さの上に、月末月初の多忙期にも平気でジャニーズのコンサートのチケットを買いに出かけてしまう恐ろしく図太い非常識さ。

姫の娘からも<お母さん、責めて給料分は働けっていいなよ>とバッサリ言い渡されてしまうほどのどーしょうもない女の子です。

そんなことからも、今月22日には術前精査とか輸血用の自己血の貯血?まで始まるというのに、12月の上旬も食い込んでいるのにもかかわらず、 12/01の冷たい雨と休み明けの通勤時の混雑に加えて埼玉高速鉄道の設備の不具合発生で電車が止まったこともあって、電車内は大変なことになっているとラジオで聞いていたので、正直土日が一番疲労が溜まる私であっての月曜日は公休日にしていたのだったが、

姫の歩行自体がもう痛みからもおぼつかなくなってきていること、転倒の危険が危惧されていること、手元から定期券や財布のように持ち物を床に落としてしまったら拾うことができないとなれば、朝に踏ん張って勤務先まで車で送ろうとしたのだが、ひたすら<大丈夫だよ>と。

でも、
月末月初の事務集中で苛立っていると思えば、来年1月の手術が終わればリハビリをこなしていった暁には自分で出来る行動範囲や能力が飛躍的に戻ることからも、それまでの 1.5ヶ月の辛抱と、夕方の退勤時に合わせて迎えに行った。

車内で口を開けば仕事や親戚の叔父の世話のこと。
叔父には世話になったようであながち邪険にできないのもわかるが、月初の仕事もここまでにして弟社長に公休を貰って入院までの期間に心身ともに落ち着ける状況を作りなさいと再三言っているのだが。

もう姫も疲労困憊なんだろう。
先日も急に<タケちゃんさ、これからもタケにお世話にならないとダメな体でも心でもあるから、私より先に死なないでね>と真剣な面持ちで言うから、

<何をいまさら。合点承知の助だが、もっと大事にしてくださいまし〜>と茶化し半分で。
<明日は誰だってわからないけれどさ、俺はそう簡単にくたばらないから大丈夫だよ>と。

まあ、
改めてそんなことを言うのは、本人としては相当心に不安材料を溜め込んでいるのであって。

勿論、ツレとしても姫は最優先であることには変わりないものの、わたしは基本的に価値観を持てないような輩でない限り、頼まれた人に対しては誰にでも懇切丁寧に迅速な対応をするのがモットーですから、皆さあん、今後ともどうぞご贔屓に〜って感じです。

でも、
昨日の夜のメールに記された内容が帰宅時に車内であれだけ言い伝えたものを全くもって反映していない内容だったので、いい加減にせい‼️と。

人間、
聞く耳を持ったとしても最終的に自己意思決定は自己責任下では自分の判断だから、これ以上無駄な時間を使わせるなと。

<このようなわけわからぬ言動をすること自体、姫の常軌を逸した状況でもある>

こんな様子で大手術に耐えることができるかが最大の懸念材料なのに。

まあ、水曜日の夕方に2人で予約した美容院も、僕は今回はやめておくと伝えたが、本人も過労で今回はキャンセルということになった?。
(無理を言って予約を入れてもらったのも私であるのだけれど)

冗談抜きで今週で仕事は丸投げでもいいから治療に専念するからと休みなさいと言っておいたが。
(今回は自分でも何書いているのかもわからなくなった)

そんな火曜日。
今日こそ、返信しないといけないみなさんへのメッセージ作成とか、久しぶりにfacebookの友達の記事を真剣に読ませていただきコメントを書いたり、新しく友達として繋がった人が5人?。

ご無沙汰していますメールを書いたりで、久しぶりにデスクワークというかベッドワークに明け暮れた1日だった。

18日に休みを作って、地元町内の先輩夫妻を東京スカイツリーの展望台にご案内させていただくミニ遠足と、姫にも術前の最後の遠足としてチケットも取ったが、夕方に川口に戻り、夕方からの参加メンバー4人を迎えに行き、合計8人でセレナで足立区内の焼肉&サラダバー「でん」が行きつけですから、そこの海老蔵さんに酷似したエビゾー店長に予約を入れて。

わたしがなんとなく主宰している町会の仲良しの老若男女グループの<ドーデモイイ会>の2014年の忘年会をやることに。そんな中、最年長のご夫妻のリクエストで、東京スカイツリーの23時の消灯のタイミングを見たいと言われていたので、遠足の時の恒例企画である<シークレットポイント>を設定して、2030
から2230までの2時間をどう潰そうかと考えて、<まず一人二人でも改めてはいかないだろうと思われる夜景ポイント>巡りのドライブを企画した。

勿論、誰一人当日の行程はわかるよしもない。

一番のオススメポイントとしては<東京ゲートブリッジ>で幻想的なモニュメントのライトアップを実際に見ていただこうと。

最終的に2230に墨田区押上まで戻ってきて、東京スカイツリーのお膝元の数カ所に車をつけて写真撮影等をしていただき、おしまいに押上駅北方の<十間橋>で<逆さスカイツリー>を見ていただきながら23時の消灯の模様をご覧いただき、向島 ICから首都高速で川口に戻ってくる趣向だ。

葛西臨海公園からお台場、中央防波堤、東京ゲートブリッジ(折り返しまたは葛西ICから首都高速で羽田空港(湾岸環八)から国際線ターミナル、臨海部の滑走路等を後ろにみて羽田ICから都心方面に戻って元祖東京タワーと芝増上寺、銀座、上野と回って東京スカイツリーに戻るか、羽田空港からさらに西に進み、鶴見つばさ橋から横浜ベイブリッジを横目に見て川崎大師方面に戻る途中の川崎の工場街のプラント照明の夜景から都心方向に戻るルートもチョイスできるでしょう。

意外と印象に残るだろうと思われるポイントは<川崎の工場街のプラントの照明>では?

お天気であること、渋滞がないことを祈るしかないですね。

そんなこんなをイメージしていたらもう深夜0時。

それから寝る準備をしてブログ更新で午前3時。

不眠症復活だと困るので今日はここまで。


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※646 一泊二日の紅葉旅行

2014/11/27 11:17
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久しぶりに綺麗な富士山を目の前にして、脚のオペを控えている姫のリクエストで思いついた名勝地が、愛知県の豊田市の外れの足助町香嵐渓でした。

足を助けるにかけたつもりという形になった旅でしたが。

埼玉県人ですから真っ先に浮かんだのが秩父から長瀞地区でして。でも2月の豊川稲荷さまへの参詣の旅で知り合った皆さんの絡みから再度紅葉のライトアップが幻想的と言う紹介もあって予定を組みました。

川口からいきなり東名に入るのではなく、あえて時間調整と混み具合から関越道を下って鶴ヶ島から圏央道経由で八王子、厚木と経由して海老名から東名に。

いつも富士方面に行くときは絶対に外さない<盲導犬の里 富士ハーネス>に立ち寄り、スタッフさんや盲導犬のPR犬や引退犬のワンちゃんと触れ合ってくるのですが、今回は折角賛助会員にならせていただいたこともあり、何かお手伝いできないかということで啓発についてのアドバイスをいただいてきました。


富士ハーネスは以前オウム真理教の本部があった跡地に建てられた施設です。

そこから4時間運転で夕暮れの足助町に到着。

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富士ハーネスでは視覚障害者のスタッフさんも元気に働いておられます。

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ほんの一部ですが、香嵐渓の風景です。

そこで車椅子を押しながら見物でして、あまりの賑わいに地元の友人や倅の同級生で旅行関係で活躍されている若者君からもタケさん、安芸の宮島や京都観光と同じレベルで賑わうから大渋滞になるよと。

納得です。

さらに、
岡崎でお世話になった観光バスのドライバーくんであるヒロくんからも、タケちゃんさ、高速でもう一つ先の豊田勘八インターまでいって国道でいくといいよというアドバイスのおかげで渋滞に巻き込まれたのは15分ほどでしたから、心から友達のありがたさを痛感し。

晩に岡崎市まで戻り、今年友達になっていただいた30代の老舗割烹のユキちゃんと再会。
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その晩は岡崎泊。

翌日は岡崎城址に立ち寄り豊川稲荷さまへ。
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秋の例大祭の当日だったようで。
狐塚のお参りでは、指揮者になった気分で記念撮影と気取るも姫は意味がわからず???
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お天気に恵まれて東名に向かって進んでも気分が良くてねー。
ヤマサちくわの本店に寄ってから東名でお決まりの焼津さかなセンターへ。

いつも立ち寄らせていただくお店で<あれ?少し痩せたんじゃねーの?>と。覚えてないんじゃろ?とカマかけたつもりだが、そう言われると覚えていてくれたんかなとか。

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どこにでもある風景ですが、、、、

この時点で13;30でしたから、予想に反して新東名も御殿場以東が概ね順調ということで、もう一度富士ハーネスに伺って。
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本当にワンちゃんは犬が好きな人を忘れないと。今年3回目のご対面のフィオーレちゃんです。

そして、新清水から新東名で御殿場に、東名で海老名JCTまで事故5箇所発生で3時間程かけて上京でしたが、さらに横浜町田まで1時間と聞き遠回りですがまた圏央道、関越道、東京外環道経由で川口に着いたのは22時を回っていました。

2日間で1050キロ運転。
30代までに川口〜広島県三原市の大学の友人宅まで4往復した経験がありますが、我ながらよくやるなあと思いながらの旅でした。

沢山の友達に支えられて、また新たに友人ができて、、、。
特に、盲導犬の育成やその以前に啓発のお役に立ちたいと啓発資料を送っていただくことにして。

よく弱いものいじめのように視覚障害者と盲導犬に非人道的なことをすることも平気という輩もニュースに出ますが、男女同権と鼻息を荒くしている面々と同じだと思うし、どんな人や動物でもみんな同じ共生するものですから、わざわざ強制的に自分の権利主張を認めてくれとばかりにいきがることは外道と。

評価は他人様がしてくださるものですから。

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※645 6町会合同防災訓練

2014/11/18 12:16
11/16日曜日。お天気に恵まれた少し冷え込んだ朝でしたが、防災部長を中心に準備を進めてきた合同防災訓練。近隣の町会が合同でやりませんか?という提案が見事に実現したわけだが、その日はなぜこの日を選んだかという素朴な疑問がでるほど、市内の行事が重なった日でもあった。

その大きな一つが、川口市の毎年1回実施の<全市一斉のクリーンタウン作戦>と言って、朝9時からの1時間、それぞれの町内会をクリーン推進委員という委託された市民がリーダーになって町内をきれいにするというイベント。

考えてみれば、防災訓練の開始は各町会の指定避難場所に9時30分に集合してから団体で地域の小学校に通学班のように避難してきて、10時に開会式という段取りだったが、双方ともに市の関係部署が関わっているので、過去に衛生部と防災部の双方ともに関わっていた私としては<潰し合い>を避ける方法はなかったのか?という疑問を持つ。

わたしは防災部員でも衛生部員でもないが、今回は防災部長からの要請で<ポスターの作成>と<当日と前日のトラックの提供>を担当することに。

その時点では既に日程が決定して動き始めていることから変更の提案ができないこともありましたが、正直、9時30分を10時に30分遅らせるだけでも2つの行事が連携して、うまくいけばクリーン作戦の流れで防災訓練につながったのかなあと。

結果は、
クリーンタウン作戦の参加者が8名(通常は25名〜30名)と壊滅的な数字に反して、防災訓練は108名という我が町会にとっては歴史に残る参加者数になった。

わたしは、双方の行事の様子を見ていたのですが、クリーンの担当者の驚嘆された様子は言うまでもなく、本来なら副町会長も2人いるのですから、責めてその二人だけでも小学校に顔を出して欲しかった。
(すれ違いで見たのは、暗い表情でやけ酒というイメージで。気持ちがわかるだけに防災部で諸手を挙げて喜ぶのはどうかと)

我が町会はいつの時代から今のように変わったかは定かではないが、10年ほど前から町会の役員が何か<勘違い>するようになり、競って役員の立場の争奪戦を繰り広げ、仲良しグループの思いを優先した自治会行政を展開し、自分たちの意に反した皆さんは姑息な手口で除外や攻撃の対象にするといったムード。

ですから、上下の秩序もなく筋道もあったものではない。

防災訓練のように本来なら万が一の震災等の時に一人の被災者を出すまいという理念で動いている行事には興味さえ示さないものに対して、盆踊り、新年会のように<タダ酒>が飲める行事にはタイミングよく集まってくるという始末ですから、毎年恒例の敬老の日の記念祝賀会も会場に入りきれないということを楯にとり今年から中止という判断。

記念品を班長さんに届けてもらうという班長に指示もないことを勝手に決める。
でも、記念品とは別に班長さんへのお礼として和菓子が少々入っていたが。

でも、
今年初めて<合同で防災訓練をやりませんか?>という提案によくぞ6町会が団結したと思う。
<集団での防災のイベントとなれば、川口市から助成金も交付される>ことも役員さんが熟知されていて、ですから地元の小学校の施設も借用できた。
(学校長も参加されていたということは、休日出勤というお手間を許していただき、学校長が参加となれば、児童指導で「地域住人として参加を促進」されるような教職員への指示もあったと思う)

町会長の理解と防災部長との連携や信頼関係が主体となって、新規に防災部副部長を受けてくださったマンション班の班長さんが当日に向けての防災倉庫のインベントリーや準備。炊き出し方面では女性部長と女性部員が、参加を促していただき当日も女性部にも加わってくださった青少年部のみなさん、そして、機材等の搬入と撤収については体育部長が率先して力仕事に手を貸してくださった。

わたしは、以前に総務部長、広報部長、副衛生部長等を歴任させていただいた時に、町会の各専門部の動きやメンバーはある程度熟知していたので、そこに目をつけた(笑)防災部長の強引な?要請でポスターの製作と前日と当日のトラックの提供と運転を受け持たせていただいたのだが。

従来の悪習のように<変わったことをしようものなら潰される>とは<言わせない、言われない>ように、実質的に防災部長の牽引力と前向きな向上心があらゆる方面の皆さんの心を動かし、大盛会という<成果>を生んだものと思うので。

わたしは、持ち前のずば抜けた?馬鹿さで、行く場所行く場所でもともと声が大きいこともあり、皆さんがぷっと笑ってしまう雰囲気を作ってしまう悪癖が抜けず、目立った存在になりましたが、

実はこれも性格だけではなくれっきとした理屈がそうさせていて、<ただ当日の任務を黙々と遂行するのでなく、「笑い」を生むだけで楽しい雰囲気になり、笑いがあるところに事故もミスもない>という昔からの信条でもある。

よく、物作りからサービス業に至るまでの現場で6Sとか5Sという標語のように、6Sとは「整理、整頓、清掃、清潔、躾、作法」を表すように、一般の自治会行事の運営でも当てはまる。

もっと言うのなら、
<製造過程での品質管理手法>でも、TQCつまりTotal Quality Controlと言って、ものづくりをした製品に不良品が出てしまった時に、<不良品を出したという「結果」を注視して、その発生原因を精査した上で二度と不良品が出ないようにするために不良品発生原因の要素を一つづつ無くしていく>言わば<対症療法>

それに対して、
TPMという概念もある。Total Productive Maintenanceというモノづくりに限らずに<人材育成、作業改善、設備改善>の活動を継続的に実践していくことで未然に不良品の発生等を抑制する手法。
言わば、予防医学とでも言うのでしょうか?

自治会運営もモノづくりと同じで、旧態依然以上に限られた勘違いされている人たちが自分の自治会の運営に限らず、近隣町会とのお付き合いや連携をゼロからでいいから構築していくということの重要性を実績とともに明確化できたことは、わたしが町会に直接間接的に関わらせていただいて30年余りで記憶にない<歴史的偉業>と言っても過言でないイベントだったと思う。


今までも、
町会の野球部なりバレー部が優勝という偉業はあった。が、それらは全て選抜された皆さんがもぎ取ってきた偉業で、今回の防災訓練は老若男女全員が参加対象でしたから、重みが違う。

今回は、元町会長で現在も町会顧問である81歳の父にも車椅子で避難から参加。
「車椅子なんて恥をかきたくない」と初めは拒絶した父でしたが、町会の皆さんが懸命に準備されていることを父に話した末に<具体的に訓練に参加しなくても会場まで皆さんと一緒に行き、実演されている皆さんの様子を見に行くこと>だけで、父本人だけでなく、参加された皆さんにもマイナスになることはないだろうと。

案の定、昔の父の友人の皆さんとも再会できてまんざらではなかったようで。

個人的にはあと、部長から依頼されたのは<記録、つまり写真撮影>だった。
いつものハシゴ高さんはわたしのカメラの師匠であっても、77歳でも副部長で現役ですから、重要な運営スタッフさんである以上、カメラまではできないということもあって。

そんなこんなで、
打ち上げの席は30名も。わたしは通常は飲酒が体質的にできないこともあって、まして<黒子に徹する>気持ちですから、普通は打ち上げには出ないが、今回は欠席こそ背信行為と(笑)積極駅に参加。


50名参加してくれたらと予想していたものが108名で6町会でビリという意識レベルと嘆いたいたのが一転して町会第2位。残りの4町会は100人に至らなかったという<快挙>を喜ばないことはあり得ない。

ちょうど、
学園祭のノリで楽しかったし、また新たな友人もできて嬉しかった。

「next防災部長はタケさん!」という悪ノリの雰囲気になったから「やかましいワイ❗️」「何事にも縁の下の力持ちがいなきゃ晴れ舞台もないのでさ、ぼくはプロの黒子を目指しているんだよ」と。

友達に恵まれた上に、このような評価をしてくださるのは光栄なことですが、あす11/19で56歳にもなる年恰好なら、輪番とかジャンケンに勝てなければとか罰ゲームでということで、トップの椅子に座らざるを得ないこともあるでしょう。

でも、
男の子としての野望は誰にもあるものの<物事はうまくできて当たり前>が世の中ですから、ましてボランティアの世界ですから、<楽しく日々是前進>でさせていただくのならまずはブレーンを奇数人数確保。

古い世代と新しい世代が共生できるような手段をふんだんに使い<やってよかった>という気持ちを共有できるためには、わたしはもっと表面には出さないように心がけた上で、きちんと自治会運営のノウハウを習得しないといけないと思うのです。

例年通り、成り行き任せは絶対に結果がついて来ないので。

今回の成果は来年度の糧になり、それがどの専門部の行事にも活かされるようにしないとね。
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※644 秋というより冬到来だが。

2014/10/23 14:11
前回のブログ更新の時から大して時間は経過していないが、気候は10月でも夏日の気温になったり
昨日は昼間の気温が10度台。55歳の中年のオヤジでもついていけない身体だから、81歳の父や77歳の叔母の身体をとても心配している。

以前、年末調整でまとまった金額が戻ってきたときに、お正月のお年玉と訃報を聞いてお香典で全部持っていかれちゃう。要するにあぶく銭は持つなということだねと笑い話になったものです。
(それだけ年末年始にお亡くなりになる人が多いということだ)

昨年の年末は兄貴分のような前川口市長の訃報からはじまり、2月の上旬まで何と8名のお葬式。
何ということだと思った。皆さんが70にもならない皆さんだから。

ところで、
以前にも登場した70歳の従姉妹カズの旦那であるシゲさんが、咽頭ガン確定らしく、市内の拠点病院(S病院)で二度も病巣切除をして放射線治療も受けていたものの、結果が芳しくないのか帝京大学病院に転院して15日に再度オペを受けたという話を(やっと)カズから聞き、姫からも心配だからお見舞いに行こうよと

S病院と信じて疑わなかったから、S病院に二人でお見舞いに出向いたが、またまた「空振り」。
ナースセンターで尋ねると、手術も入院もされていませんよと。

前回もシゲさんは事実、婿さんという立場だから、昔から口数も少なくどんな事でもデンと構えて対処したり耐えていたことも私は痛いほどわかっているし、長女でもあるカズも並々ならぬ苦労を重ねてきただけに、自分も姫も出来る範囲での応援をさせていただいてきたが、

今の女性の皆さんには「女性差別」と言われてしまうかもしれないが、やはり生物学的にも男女は明らかに違うので、自営の会社運営なり町会の仕事なりを熟すカズはまさに<男脳>に切り替えてきたから立派にこなせてきたが、

感情的になると聞く耳もたず暴走する<女脳>剥き出しにするものだから、シゲさんからも「タケさん、また病気が始まった」とほっておけとよく呟かれたものです。

<両成敗>とよく言うように、シゲさんだって問題は絶対にある。
それを差し引いても今回のシゲさんを襲った咽頭ガンという病気は、喫煙も暴飲暴食もない普通の人には残酷すぎる。

オマケに一人息子のケン43歳夫婦も同居でも両親が必死に生きているときにも関わらず、息子は自宅のダイニングで全員が揃う夕食も自分の部屋で食べるそうで、嫁も亭主の稼ぎでは足らないと、朝6時台に都心の病院に介助の仕事に出て夕方帰宅。頑張ってるなあと思ったら、よく考えてみると小2の子供を朝起こして朝食を食べさせて学校に送り出す、下校時も自宅で迎えるのはカズとシゲさんだった。

子供の世話もできない時間にアルバイトに行くのなら、義父が大変になってしまったら、それなりに仕事の合間を作ってでも帰り際に義母であるカズと連絡取り合って帝京病院に立ち寄るなど、なんらかしらの応援もできるだろうに。

職場では嫁も人気のようで、月に一度の親睦の飲み会が聞くところだと2回、3回と。
カズの家にお邪魔していた時、嫁が帰宅したのは24時手前。
(今や、カズと嫁がお互いに避けあっているような)

ま、それ以上は親戚であれよそ様なので。

そのシゲさん。
気付かなかった咽頭部つまり喉仏に気道切開孔があり、酸素吸入なりをしていて、会話は全て筆談。
帝京に入院しているのよとカズから聞いたのが週末18日。

私とツレの姫と以前も隠すつもりでなく隠密でシゲさんを元気付けたいと思ってよくS病院には見舞いに行くというより、気遣いなく何でも話せるようにと<ガス抜きタイム>を過ごしに行ったものだが、

口数が少ないシゲさんが、時に「もう帰っちゃうのかよ」とデイルームに移動して90分も延長(笑)
僕は年齢的には弟分だが、実の息子は何吹く風のように逃げるように寄り付かず。嫁も似たり寄ったりだが、昨年に新居にうつり新しく二世帯住宅のようになってからますます<勘違いした威厳>を振りまき、義母の上の立場のように振舞っているようで、久しぶりに対面すると、

人間の形相ほど事実を隠せないものだから、アクの強い剣がある眼差しに変わっていた。

話題は戻すが、
家族として主治医とカンファレンスを受けているわけではない。
つまり、シゲさんの病状についての確定情報も知る由もないが、カズの自宅に最も近いところに従兄弟であり叔父である父もいるのに、

辛い状況をぶつけてくれていたカズでさえ、ここのところのシゲさんの情報はオンタイムでは隠すようになった。
(以前、仕事のことで明らかに常軌を逸していたカズを叱咤して、ごめんなさい私が間違っていましたと手紙をもらったが、それは「半分は謝罪であれ、どちらかと言うと人間誰にでもある<開き直り>でもあり、謝罪したから二度と世話にはならないわ」と言った訣別宣言でもある。)

自分もうすぐにた56歳、カズ70歳の14年差。シゲさんも70歳。
説教する年代や立ち位置ではないことも重々承知。

でも、
お互いに苗字こそちがうものの、親戚である中で殆んどお互いに家庭事情を熟知している関係であるから、自分だって込み入った相談もできる唯一の兄貴や姉貴でもあるのに。


シゲさんの病状については、事実をこの目で確認した範囲が確定情報に近いと解釈すると、
<下部咽頭ガンで声帯を一部もしくは全摘して、人工咽頭を置換する方向で治療を受けていること>
<市内のS病院で初期の悪性新生物細胞を除去する手術を受けて、2〜3ヶ月にわたった毎日の放射線治療を受けたものの、完全に声帯部分の腫瘍を除去出来ないからと2度目の入院と手術?。退院して一度だけお世話の仕事で父のところに来てくれた時は声のかすれが良くなったね?と尋ねると怪訝そうな顔で「最悪なんだよ」とポツリ。(勿論、自分は医者ではないが様々な皆さんのお世話や相談を受けてボランティアをさせていただいている経験から予断を許さない状況ということも分かっていたが、

3度目の手術を15日に受けた。今回の入院は最低1ヶ月〜3ヶ月になるということを18日に<初めて>聞いた。それも、入院先の話までないものだから、てっきりS病院と思って見舞ったら空振り。

姫にそれとなく尋ねさせて、それも「うっかり」帝京大学病院にと。

紆余曲折の後でやっと病室を知り21日月曜にカズに乗せていくから連れてってと懇願してシゲさんと再会。

シゲさん本人の欲しいものリストから優先して筆談用具であるホワイトボードとペンと黒板消しに、メモ用紙と彼が以前、手の大怪我で入院した時に密かに日記をつけていたことも思い出し、少し違った装丁の日記帳とか、息子夫婦の立場を気にしながらも、身近なティッシュから濡れタオル、筆箱になるポーチまでどうも兄貴の病状でなく、彼の性分に叶うようにとお店で色々と考えながら物色していると、お節介根性丸出しで買い物袋が膨れ上がってた。

でも、
冷静に考えると、人工咽頭を組み込み発声は戻るとしても、最初に嫁であるカズから聞いた情報も冷静に捉え直すと、帝京に転院は手術の技術面や施設の問題からだろう
最大3カ月の入院は、最初の話しっぷりで考えたら、咽喉ガンはリンパ節も集中していることや咽喉の真裏には食道があるから、普通万が一リンパ節や食道に転移すると全身に飛んでしまう危険性と2度も切除術を受けても取りきれない、放射線を浴びせた部分は手が出せないという説明で大規模な帝京大学病院にと聞くと、余命の事まで考えてしまい、正直夢にも出てくるようなほどのショックで。

実際は、
帝京大学病院クラスであれ、救急対応の入院にせよ3ヶ月が上限とした入院しか受けてくれないという社会通例的な事実がありますから、急性期を凌いだ患者さんは地元の病院に戻されてしまうということだろう。

寝たきりのお年寄りのご家族が、転院自体体力的にも耐えられない容体であれ家族は転院時点で次の受け入れ先を探しておられたご苦労をたくさん聞いているので。

となると、
シゲさんを見舞った自分にも、シゲさんと自分でほんのりした笑い話をしてもひとり怖い顔のままとは「どうしてこの子は?大人になれんのだろうか?」と何度も思う。(これこそ「女脳」の典型)

人工咽頭で声は戻る。勿論、シゲさんに適合するか否かは別問題だが。

++++++事実はこれだけだ+++++++

誰であれ、主治医からガンと宣告された時点で<完治はない>ということ。
寛解と言って一時的に健常な状況に戻ることはあっても、発症は必ずつきまとい残念だがその繰り返しで衰えてやがては、、、、、、という運命には変わりはない。

QOLと言われるQuality of Lifeつまり「生活の質」は残念だが、かなり低下すると思う。が、今日明日に命を落とすということではない。
<最初のカズからの話題だと、まず声帯を失うことだけでかなりのショックだったから、あとどれくらいの命という絶望的な考えになった自分が恥ずかしい>

祖父母や母を失った時も自分は涙一滴流せなかったし、葬儀に参列してくださているみなさまの接待と言うか、気丈に振る舞うことや残された父を支えることを最優先にしていたから、大泣きできるような気持ちになった時は一周忌あたりからだったか?

<今は、現実は知らないし、聞くことは無粋ですから、命の危険性が払拭された時点でシゲさんに少しでも明るく楽しく前向きになってもらえるように、従兄弟として弟分としてできることをさせてもらおう>と。


ブログとはいえ、かなりの痴話話になったが、
自分のブログで留めておきたいと思ったので。

__________________________________

さて、本題。(笑)
自分を振りまく環境では、81歳の足腰弱った父、56歳の股関節の置換術を受ける予定で関連部位の痛みに耐えている姫、26歳になった愚息も会計士事務所の開設でイケイケドンドン状態でも現代病の代表選手のような潔癖性もつきまとい、健気?というかなんというか明らかに無駄と思われる動きをしている状態、自分も罹患経験の先輩ゆえに親としてアドバイスや協力は惜しまないが。

自分の立場も自分の家の総本家の長男ゆえに、余計なお世話でも祖父母から動いていた親戚付き合いのモノマネはさせていただき、ご存命の叔父や叔母に定期的に声をかけたり。同じように母方もご近所でもあるので、母の存命の兄弟姉妹である叔父や叔母へ表敬訪問よろしく時間を見つけてはお邪魔させていただきお話を伺ったり。

以前のように、町内会の執行部役員は退任したが、役員会での発言権やお手伝いも経験者としてある意味での市民権を維持するために、班長だけさせていただいておりますが。
月に一度の役員会のあと我が家になだれ込んできてくださって深夜まで情報交換の宴会。
(そのメンバーの会が「ドーデモイイ会」というわけで)

殆んどが60代半ば以上の先輩ですから、今回のようにシゲさんのように体調を崩される人もいますから、そうなると皆さんで心配して支えあっていく心温かいメンバーですから、そういった時に誰が旗を振る役を受けるかなあ?というと、

タケさん‼️ということに。

親戚筋からご近所だけでもこれだけになるので、お付き合いしていただいている老若男女のみなさんも含めると20〜30人はくだらないことに、、、、。

今回のように集中すると睡眠時間を確保するだけで大変な状態になります。

昨日は東京都新宿区内のカリスマ美容師のケンタロー君に姫と二人分の予約を入れていただいたので、半分眠っている(笑)状態でサロンに。

ケンタロー39歳、自分ももうすぐ56歳という父がいない彼にとっては若いオヤジ?兄貴分のように思っていただいていて、タケさんもiPhone6にしたんっすよね?という事から始まった会話で、手を動かしながらも隣の姫を差し置いて(笑)男二人でiPhone6plusの設定から活用法の話題で盛り上がり、、、。

ど素人同士ですが、これでも私のようなマニアにはプロのように思われているようで、、。

その直前にも34歳の愛知県内の割烹の若女将から同じような質問や相談があって、深夜の一人の時間にリビングにかけてある160×90センチの大型ホワイトボードにわかりやすく書いたレクチャーシートを写真に撮り若女将とケンタローに添付メールで送ったりの作業が、、、

<好きなんだよなあ、、、>

昼に食事で寄った高田馬場のビッグボーイというレストランで三遊亭小遊三師匠とすれ違ったことも忘れて、、。小遊三師匠とは川口市内でのラジオ放送の中継先で固い握手を交わした覚えがあるけれど。

それでカラーとカットが終わってから、21日から高速のSAで無料配布しているhighway walkerというフリーペーパーと地図が毎月楽しみにしているという友人と友人のお店においておくと、お客様も毎月取りにきてくださると聞いているので、障碍者割引で高速料金が半額になる自分がSAのコンシェルジェにお願いして40部づついただきに行っているから、昨日も折角雨の夜でも一旦出たついでに首都高速王子北ICから東北道最初のSAである蓮田SAまで走り、その先の久喜ICで折り返して、首都高速川口PAでも首都高速のフリーペーパーをいただいて帰宅が22時。

夜食をとるともう身体は既に限界点を超えていて、自分と姫と父の洗濯物を洗濯乾燥のナイトモードでスイッチオン。あとは枕元でiPhoneとiPadの充電をした時点で記憶喪失(笑)だった。

今までは、長袖長ズボンの寝間着でも布団をかけるほどではなかったものが、昨日は布団にくるまった状態で日記帳に何か書くつもりだったペンを持ったままで、、、、。

トイレに数回起きたあとだと2時くらいから意識が戻ったのは9時。
7時間睡眠ですよ!7時間。

私の平均睡眠時間は3〜4時間の人間の7時間だよ!!

いかに疲労困憊だったか、、、、わかる??ほんとに???
「疲れ切っていたんだね」、、、ですって?

「、、、、ですよねー?」(笑)

連日、都内を中心に120キロ超の運転していれば疲れるよー。

「、、、、でしょ?でしょ?」(笑)

あー、ブログのタッチも本性がバレバレー。

てなわけで、
<今日は朝からベッドから出ていません>、私のベッドはまくらの周辺にAV機器から書籍が山積しているので、iPadにbluetoothキーボードを枕の上に固いデスクマットを乗せた上でタイピングしています。

もう14時。
今日は殆んど休みが取れていない状況ですから、今日こそは<ベッドから出ない!⁉︎>ことに決めた‼️

ご飯作るの面倒だから、ここのところ止めていたカップ焼きそばでも食べてごまかそう!





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